目が覚めて最初にしたことと言えば、土下座だった。それ以外考えられなかったので。
ユキはそりゃもう、引いていた。正直こんなものでは足りず、包丁で切腹ぐらいは考えたのだけれど、ユキの前で刃物を扱うわけにもいかず諦めた。ユキが先端恐怖症であることが功を奏してしまうなんて、あってはならないのに。
そんなわけでオレは今、寝室のベッドの上、まどろみの中にいたユキを叩き起こし、目の前で土下座をしている。
「本当に…………すみませんでしたぁ!!!!!!」
「ゔっ……!? う、うるさ……モモ、ちょっと、今、朝、五時だよ……」
「煮るなり焼くなり叩くなり潰すなり壊すなりしてください!!!!!!」
「ご、ごじ……」
シーツにごりごりと額をこすり付けていると、暫くして頭をぽんぽんと撫でられた。恐る恐る顔をあげると、頬杖をついて眠たげなユキが柔和な笑顔を見せている。きっちりと閉めそこねたカーテンから朝日が差し込んで、ユキをピカピカと照らしていた。
「……女神……?」
「うーん、頭のネジが安定しないな……。一旦、布団に戻ってみるのはどう?」
神からの提案に、しおしおになりながら居住まいを正した。
「……はい、そうします……」
おずおずと、ユキの隣に体を滑り込ませる。指が伸びてきて、目元を軽く擦られた。
「……もの凄い腫れてる」
「言わないで。今ぜったいブスだし……」
「大丈夫、ブスでも可愛いよ」
「そこはブスを否定して……」
まるで憑き物が落ちたように、スルスルといつも通りの会話が出来る。最近は考えることが多すぎたせいか、専売特許である夫婦漫才もどこかハリがなくなっていたから。
よしよしと、満足げに頭を撫でられて一息つく。ころりと横寝の姿勢になって、ユキと視線を合わせた。
目を細めたユキが、不思議そうに笑う。
「うん?」
「……言うつもりなかったこと、全部言っちゃったなーと思ってさ」
「いいことだよね。僕らは言葉が足りないって、おかりんから何度も言われてたわけだし」
確かに、そうなんだけど。それでも、言わなくていいことを沢山言った。黙っているべきことの方が多かったようにさえ思う。
特にオレなんて、ユキの突飛な発言に混乱していたとはいえ、癇癪を起こしたと言っても過言ではなかった。アラサーが子供みたいに泣きじゃくる姿なんて、普通に考えてホラーだろう。
ユキの言葉を、反芻する。
自ら抱こうとしなかった理由。好きだと言ってもらえなかった理由。
全部全部、オレに正しくあろうとしてくれた結果であるということ。
目をつむり、ううう、と唸った。癇癪を起こすより先に、もっと出来ることがあったはずだ。相変わらず、後悔の多い人生である。
「オレ、ユキのことなんも分かってなかったんだなぁ。……分かんないなりに、分かってるつもりだったのが恥ずかしい」
「まあ、僕も言うべきこと、全然言わないでいたから。反省してる。ごめんね」
「だからそれは〜〜……全部オレのセリフなんだってば〜〜……」
両手で顔を隠して、はああ〜〜と大きく息を吐く。今更改めて言うのも気恥ずかしいので口にはしないが、オレたちはちゃんと、好き合っている同士になった。多分これから、付き合うだなんだの話になるのだと思う。
付き合う前からこんな感じで、心底先が思いやられた。まあ勿論、よろこびはその何倍もあるのだけれど。
指の間からユキを見つめ、くぐもった声で言う。
「……これからもこういうこと、死ぬほどありそう。むしろこれからの方がさ、色恋沙汰でも喧嘩出来るようになるわけだから……」
「そりゃ、あるだろうね。……その度このレベルの喧嘩するのか。しんどいな……」
「うぅ……。しんどい? 嫌になる?」
「しんどいし嫌になる」
ユキの飾らない言葉は好きだ。けれど普通にショックも受ける。オレがわざとらしく「ガーン」と口にすると、顔を隠していた手をどかされてから、ちゅっと額に軽く唇をつけられた。
セックスをしてる時にも、したことのないような仕草。こんな不意打ち聞いてない、と顔に熱が集まっていく。
ええ? ユキって、こんな感じだったっけ?
「でも、大丈夫だよ。絶対終わらせないって誓うよ」
この星の人間とは思えない美貌と、とんでもない破壊力を持ったセリフ。
光を集める薄縹がキラキラと輝いて、あまりの眩しさに目が眩んだ。
「ゆ、ユキってば超イケメン! さっすが宇宙のスーパーダーリン!」
「茶化さない」
「……う〜〜……」
照れていることがバレバレなことに更に恥ずかしくなって、こんなに取り繕えないのはユキの前だけだと改めて思い知る。これが別の人だったら、もっとずっと上手くやれていた。
ユキだけがオレを、めちゃくちゃにするのだ。
そしてその事実が、唐突にとても愛おしく思えた。
心がぽかぽかと火照り始めたところで、打って変わって表情を湿らせたユキが、気まずげに口を開いた。
「こんなこと聞くタイミングじゃないんだと思うんだけど」
「は、はい、なんでしょうか」
「……僕とセックスしてない間、誰かとしたり……してないよね?」
「……はい。してません。昨日はまあ……ギリギリ、でしたけど……」
バツが悪そうに答えると、ユキがはああー、と大げさにホッとしたような声をあげた。ごろりと仰向けに寝転がって、腕を大の字に広げた。オレの胸元に手が乗っかって、ドキドキしているのが丸わかりだ。
「よかった……。モモ、本当にやることが極端だから、もうヤッちゃってると思った……」
「い、いやいや、ユキにだけは言われたくないですぞ!? ってそうだ、ユキにお金返さなきゃじゃん! あの封筒いくらいれてたの!?」
「さあ? 覚えてない。いいよ、あれは手切れ金みたいなものだし。そんなことより、もう二度と使わないって約束して。連絡先も消す」
「えー。折角紹介してもらったのに……」
わざとそう言うと、ユキが目を丸くしてこちらを向いた。
「嘘だろ、今の流れでそれ言う?」
「あはは、ごめんごめん! 嘘だよ、ちゃんと消す。……なんかさ、ユキがそこまで必死になってくれたのが、未だにびっくりっていうか……びっくりなんですよ、オレは」
「……僕は結構、一途な方だと思うけど?」
「ええ? それ、オレみたいなガチ恋に言うのまずくない? そうやって期待させてきたから、今まで地獄見てきたんじゃないの?」
「も、モモにだから言ってるんだろ……?」
弱ったような声が可愛くて、思わずユキの上に乗っかった。ぐえ、とカエルが潰れたような声すら愛おしい。
鼻先をくっつけてにゃははと笑うと、ぎゅうと抱きしめられた。苦しい。
「うぐっ、ゆき゛っ、力がつよい……ッ」
「ここで刺されると思ってなかったんだけど。僕って結構繊細だよ?」
腕の力が弱まり、ぶはっと顔を上げる。
「でもさ、オレの方がもっと繊細かもだよ? めちゃくちゃ面倒くさいだろうし、これからはもうウェッティ通り越して雨そのものかもよ?」
「まあ、そうね。僕、モモのこと、まだよく分からないし。多分傷つけるから、その度償って、信じてもらえるよう努力するよ」
びっくりして、はちはちと瞬きをする。
起き上がって距離を取り、未だ眠たげなユキに神妙な顔つきで言った。
「……すっごい。愛が無限大だ」
「そりゃね。地球規模では測れないよ」
ユキが自信満々に言うので、まるごと信じるしかないじゃん、と。オレは心底、降参した。