渡された。なにをって、指輪だ。
 指輪?
「これって……」
「凛太郎が付けろってさ。なんだっけ、営業戦略?」
「あ……あ〜……。なるほど」
 すぐさま得心したオレと違って、ユキは「どういうこと?」と頭にクエスチョンマークを載せている。そのままのユキで居て、と心底思った。

 オレはエゴサもパブサも日々欠かさないので、Re:valeが世間からどんな目で見られているか知っている。知っていて続けている。色んな意味を含んだ好奇の目は、実は嫌いじゃなかった。不躾でさえなければ、どうぞ見ていってね、とすら思う。我ながらふてぶてしくなったものだとちょっと感心してしまう。
 とはいえ指輪は。流石にやりすぎじゃない?
 手のひらに置かれたやけに黒いリングを、そっと指でつまんだ。そこそこの金額がしそうな幅広の輪っかは、どんな服にも邪魔にならないシンプル設計だ。それすら計算され尽くした、社長のとっておきのアイテムなのだろう。
 ボロい居間の真ん中で、オレとユキはいつものように向き合っていた。蛍光灯は時折、チリチリと虫が焼けるような音を立てている。白色の灯りを吸い込んで鈍く光るそれがあんまり不釣り合いで、眩しくないのに目を細めた。
 ユキの中指には既に番となる指輪が鎮座していて、然るべき場所に然るべきものが収まっている安心感があった。
 いやでも、指輪だ。
 指輪かあ。
「流石に薬指にはつけないんだね」
「凛太郎にはそうしろって言われたけどね。なんで? って返しておいた」
「さっそく戦略失敗してるじゃん」
「だからその戦略ってなに? ……ま、なんでも思い通りになると勘違いしてる奴の言うこと、全部聞くのも癪でしょう」
 自分のところの社長に向けているとは思えない言いように、思わず笑ってしまう。それで溜飲が下がったのか、ユキは軽く微笑みながらオレに問いかけた。
「どうする? つけたくなかったら、無理しないでいいと思うけど」
「え? なんで? つけるよ。オレはその営業乗っかりたいもん」
「そうなんだ。ノリいいな」
「それだけでここまで来たましたんでッ!」
 ぐっと腕を曲げて力こぶを見せ「この辺の筋肉は全部ノリと勢いとハングリー精神の塊!」と指差すと、ユキがくつくつと喉を震わせておかしそうに笑った。
「だけ、じゃないけどね。全然」
「やった! 褒められちゃった!」
「こんなのでよければ、いくらでも」
 また目を細める。今度はちゃんと眩しかったから。
 すっごいなあ。
 オレの神様は、今日も綺麗で美しくて、なんと素晴らしいことだろう。

 いつの間にか使わなくなった敬語と、日に日に増す気安さ。反比例して物理的な距離は離れていく。お互いに一人暮らしを始めることをもう決めていて、引越しは目前だった。
 だからこそ、社長は目に見えて分かりやすい、物理的な繋がりを作ろうとしているのだ。ファンを喜ばせる営業戦略であることは勿論、オレたちの心が離れないように縛りを作ろうとしている。
 そんなことしなくても大丈夫なのに、と呆れる反面、五年という期日を思えば社長の気持ちも分からなくなかった。五年しかないのに、仲違いなんかされてはたまったもんじゃない、と思っていそうだし。
 だからどちらかというと、オレへの縛りの意味合いが強いのだろう。逃げるなよ、と言われているようだ。少し眉をへの字に下げてから、五年はちゃんとやり切るよ、と心の中で返事をした。
 深呼吸。
 ユキと同じ指に、指輪を通す。
 左手の中指。まるで最初からそこにあったみたいにピッタリとハマって――普通に引いた。
「モモ、すごい顔。分かるよ。サイズ、なんでか完璧だよね」
「うん。えー……? ちょっと……いな、かなり、……ヤダな」
「あ、今のいい。ほらモモ、もう一回このスマホに向かって言って。録音して本人に聞かせてあげたい。アイツ、喜ぶと思う」
「ユキ、実は社長のこと好きなんじゃない?」
「……君って、たまにバグってるよね」
「え、辛辣ぅ……」

 これってつけたままお風呂とか入っていいのかな、いいでしょ錆びたら突っ返せばいいし、なんて会話をしながら、その日は久々に同じ時間に眠った。
 隣からはあっという間にすやすやと寝息が聞こえてきて、ふっと緊張を解くように息を吐く。
 安物のカーテンから漏れ入る月明かりに向けて、手のひらをかざす。いちいちつけ外しをしているとすぐに失くしそうなので、特別なことがない限り外さないことに決めた。お風呂の時も、眠る時も。健やかなる時も病める時も?
 目線の先で、手のひらをくるりと回して、戻して、また回す。

 ――ユキと、オレの、ペアリングだ。

 体温が急上昇して、心臓がぐつぐつと脈打ち、痛いほど強く心音を刻んだ。
 嬉しい。嬉しい嬉しいうれしいめちゃくちゃうれしい。
 伸ばした腕を布団の中に招き入れて、ぎゅっとしまうように胸に抱き込んだ。
 この世で最も大事なものの一つになってしまった指輪に、もう片方の指でささやかに触れる。今にも壊れてしまいそうな、心もとない細さが少し惜しかった。
 決して壊れてくれるなよ、と、まじないをかけるみたいに何度も願う。なぞる。ひっかける。なでる。
 ぎゅっと、拳ごと握り込む。
 ペアリングだなんて、夢だ夢。オレはずっと、夢を見ている。いつか醒める夢を。五年で終わる夢を。正確に言えば、あと三年半とそこらで終わる夢を。
 いいよ。それでいい。なんだっていい。営業だろうが縛りだろうが、好奇の目だってなんのそのだ。
 ユキとオレが、この指輪で少しでも繋がっていられるなら。なんでも。


 その日は興奮して、うまく眠れなかった。
 対してユキはぐっすりと眠れたらしく、早朝、朝日に照らされながら「モモが隣にいたからかな」なんて言って笑い、オレを無意味に喜ばせた。
 好きだなと思った。ユキが好き。オレの神様。
 人間が、神様を好きになってどうすると思う一方、絶対に叶わないことが分かっているから、自らを咎める気持ちも生まれない。永遠ではなく期限付きの片想いなら、誰にも迷惑はかけないし。
 言えないことは日に日に増えていく。気安さも増して、だから引っ越しはオレから言い出したのだった。
 けれどこの指輪があるお陰で、オレは勝手に、ユキのものになったような気がしていた。
 完全に思い込みだし、勘違いだし、ただの社長の営業戦略で、それすらユキはよく分かっていないレベルの話だけど。
 オレは、それでもユキのものに、なったような気がしていた。恐ろしいことだ。妄想癖も大概にしろと思う。

 けれどもう、何があっても。
 これさえあれば大丈夫だと思った。


 *


 Re:valeがペアリングをつけ始めたことは、瞬く間に世間に広まった。
 SNSを中心にたいそう盛り上がり、地上波まではいかないもののネットニュースに何度か取り上げられ、社長はご満悦だった。
 その日の夜はなんと鰻重が振る舞われ、ユキには有機野菜をふんだんに使ったキッシュとブルスケッタが用意された。
 社長室のテーブルに並べられたそれらを各々自由に食べつつ、社長が語るこれからの戦略展開に耳を傾けつつ。
 ユキはユキで、社長の説明とファンの反応でやっと指輪の意味を理解したらしく「なんだそういうこと?」と心底呆れていた。
「ペアリングぐらいで喜ぶものなの」
「千。おまえは乙女心を何もわかってないな。俺が一から教えてやろうか」
「は? 誰が何を誰に教えるって?」
「まあまあユキ、話題になるのも大事だからさ! 今回は社長に軍配上がったってことで!」
「今回″は″ってところが気になるが……まあいいさ。ほら、千。百みたいに素直になって、大絶賛してくれていいんだぞ?」
「最高に不愉快」
 あんまりな言葉にオレは盛大に笑った。

『モモと"そんな風"に思われるの嫌なんだけど。外そうよ』
 ――そう言われないように、社長室を出てからも、聞かれてもいないのにファンの反応がすこぶるいいことを伝え続けた。
 みんな気になるって言ってるよ、外しちゃヤダって見た、こんなに効果テキメンと思わなかった、噂されてるうちが華だよね――。
 オレの焦りなどつゆ知らず、ユキは興味なさげに「そうね」とだけ返してくる。
(いや、そうねじゃなくて。これからも外さないようにしなきゃねとか、そういうこと言ってよ)
 喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、「ね」と笑った。
 説得が功を奏したのか知らないが、それ以降もユキは指輪を外すことはしなかった。

 せっかく出演出来たバラエティ番組で爪痕を残せなかった時。
 大御所を怒らせてしまった時。
 プロデューサーの期待に応えられなかった時。
 ファンに自分の言葉が適切に届かなかった時。
 オレのせいで、ユキがやりたくもないことをしている時。
 誰にも見られないように、こっそりと指輪をいじる。それが癖になるのにそう時間はかからなかった。
 なぞる。ひっかける。なでる。ぎゅっと、拳ごと握り込む。
 そうして最後に、儀式のように唇を落とす。
 オレはユキのものなのだと――勝手な妄想は続いている。
 そう思えば、頑張れたから。
 オレたちは繋がっている。だから大丈夫。きっと大丈夫。
 深呼吸して、背筋を伸ばした。


 *


「嘘だろ……」
 自分でも可哀想に思えるほど悲壮感あふれる声に、誰も反応してくれない。そりゃそうだ。
 ついさっきまでのオレは、一人で自宅のトイレの中、便器に顔を突っ込んでバカみたいに吐きまくっていたわけだから。

 一般社会とは隔絶されている芸能界も、季節行事だけは一般社会と同じように行われる。所謂忘年会シーズンの到来だ。
 年始放送用の収録が立て込んだ過密スケジュールに、年末特番生放送。その合間を縫って行われる無数の打ち上げに、オレは誘われるまま全て参加していた。
 『モモ』というキャラクターは大規模の飲み会には特にうってつけらしく、来年は幹事をヨロシク、と複数のディレクターや芸人に頼まれたのはつい先日のこと。ベロベロに酔っ払っていたせいで、全部OKしてしまった。シラフでも二つ返事で了承するに決まってるのに、泥酔時を狙ってくるのがお偉いさんのいやらしいところだ。
 とはいえ、コミュニケーションを取るには絶好の場だし、そもそもどんちゃん騒ぎは昔から大好きだった。
 無限にアルコールを入れては出してを繰り返し、食道は焼け肝臓は悲鳴をあげ、その代わりに新たな連絡先をゲットする。そういうゲームだと思えば、辛いことはなかった。全てはRe:valeを全国区のアイドルにするため。テレビに出まくって、バンさんに見つけてもらって、ハッピーエンドを迎えるため。
 そこにオレが居続けるのは、どう考えてもバグだ。ユキが言うように、オレは最初っからバグってる。

 左手の中指を喉奥まで一思いに突っ込んで、嘔吐反射で全部出す。それが一番手っ取り早くて、気持ち悪さを引きずらずに済む方法だと最初に教えてくれたのは――誰だったっけ。おかりんだっけ、了さんだっけ。ユキじゃないことは、確かだな。
 右手は色んな場所に手をついて身体を支えているので、突っ込むのは絶対左手と決めている。だからその時だけは、指輪を外していた。でも、絶対にポケットに入れるようにして、失くさないようにしていたのだ。
 ただ、今日の服にはポケットがなかった。
 だから確か、棚に置いたのだ。
 ……置いたはずだったのだ。
 頭も呂律もほとんど回らないぐらいしこたま飲まされて、帰巣本能一本で無理やり帰ってきた。年上女優にお持ち帰りされる寸前のところを命からがら逃げてきたとも言う。
 それから指輪を外して一気に吐いて、口と顔を洗うために洗面台に向かい――タオルで顔を拭いている時に、鏡に写ったまっさらな指を見つけたのだ。
 ああ、トイレに忘れたんだな。と、最初は余裕だった。なのに、どう探しても見つからない。
 一気に血の気が引いた。
 望み薄ではありつつも、寝室もリビングもしっちゃかめっちゃかにかき回して、今はリビングのラグの上に仰向けに倒れ呆然としていた。それが冒頭だった。
「もしかして、流した……?」
 そうとしか思えないほど、忽然と姿を消してしまったのだ。吐瀉物まみれにした可能性がある時点でかなり最悪だが、気づいていたら絶対に手を突っ込んででも救済していた。だってそんなの洗えばいいし。気になるなら店に持ち込んで磨いてもらえばいい。
 見つからなかったらどうしよう。社長に聞いて、全く同じものを買う? ユキは多分気づかない。
 いや、そうじゃない。そうじゃないだろ。
 ペアリングとして買われたあれじゃなきゃ、意味、ないだろ。

 オレはもう一度「嘘だろ」と零した。
 絶望する演技には今後一生困らないだろうなと、現実逃避をするまでがセットだった。


 *


 そんな時に限って、翌日にRe:vale二人で受ける取材がある。二日酔いと絶望感で二重に痛む頭を抱えながら、真っ青な顔で事務所へと向かった。
 二日酔いに効く健康飲料も飲んだし、サプリメントもお菓子みたいな量食べた。しばらくすれば顔色はマシになるだろうが――精神的に、完全に参っていた。
 指輪は今のところあれしか所持していなかったせいで、代わりのものをつけることも出来なかった。午前の取材で買いに行く時間もない。
 ユキに何か言われたらどうしようと思う反面、何も触れられなかったらどうしようとも思う。
 どちらにせよ傷つくことに違いなく、完全に詰みの盤面だった。

 インタビューは滞りなく終わり、これからしばらくの休憩後、次の現場へ移動することになる。
 休憩はきっかり一時間。その間、オレたちがフリートーク無しで過ごすことなんてありえないので、いそいそと外へ出る準備をする。
 適当にカフェとか、難しいなら近くのショップを巡るとか。外出で乗り切ろうとした矢先、ユキから普通に声をかけられた。
「あれ、モモ。どこか行くの?」
「えっ、あ……えーと……。……コンビニ?」
「なんで疑問形? 僕も一緒に行こうかな」
「なーんてウッソ〜〜! ショッピング! ショッピングに行きます!」
「そうなの? 暇だからついていきたいだけだし、いいよ。行こう」
 こ、コンビニに用があるんじゃないんかいッ!
 オレが唖然としても、ユキは気にする素振りすら見せない。いつも通りのマイペースさんは、オレより先に準備を済ませ扉を開けてしまった。
「どうしたの? 早く行こうよ」
「ふぁい……」

 行き先なんて本当は決めてなかったから、結局廃れた公園になった。誰もいない広場の端っこに設置されたベンチに、並んで座る。手元には、自販機で買ったホットコーヒーがひとつ。
「買い物しなくてよかったの?」
「オレら二人だと、どこ行くにも目立つからね」
「……確かに?」
 俺が普段より明らかに元気がないことに、ユキは気づいているが触れようとはしない。昨日が激しめの飲み会だったことを知っているからだ。いちいち状況を説明しないで済むことが、こんなに有り難いとは。
 オレの手元は、白のレザーで覆われている。十二月最終週を目前とした今、季節的に手袋をしていてもそこまで違和感はない。今日は十度以上あるので若干暑いが、それでも外すわけにはいかなかった。
 ユキがコーヒーを持つ手には、しっかりと指輪が光っていた。それだけでぐっと気分が憂鬱になる。
 ああ、なんで、失くしちゃったんだろう。あんなに大事なものだったのに。頭を抱えたくなって、余計なモーション付けて心配させるわけにもいかず、結局誰もいない広場をぼーっと見つめるしかすることがなかった。
 しばらく沈黙が続く。オレが喋らないと、ユキもそんなに喋らない。会話に消極的なわけではなく、ユキはそもそものんびりさんなだけだ。
「そういえば」
 そんなユキが突然口を開いたので、オレは飛び上がるほど驚いてしまった。
「ッッッ……ゥ……、うん……!?」
「そんなに驚く?」
「ご、ごめん、めちゃくちゃ気ぃ抜いてたぁ〜……」「ふふ、モモ、すっごい顔してた、今……」
「み、見ないでよお〜〜〜……!!」
 一気に体温が上がり、首から赤く染まっていくのが分かる。いくら虚を突かれたからといって、自分の驚き方が大げさだったことは事実だ。ギィーッと歯噛みして悔しがると、ユキは更に楽しくなってしまったらしい。お腹を抱えて笑いはじめて、オレは何度かポコポコと肩あたりを叩いた。勿論猫にするぐらいの力で。
 しばらく笑いっぱなしのユキを、オレは途中から見守るように眺めていた。こんな風に笑えるようになったんだなあとか、破顔したって綺麗なんだから凄いよなとか。
 この人をいつかあの人の元に返さなきゃいけないんだ。
 ――とか。
 ……ユキはモノじゃないんだから。そんな風に思うなんて、失礼極まりないだろ。
 慌てて首を振って、色んな気持ちを誤魔化すように缶コーヒーを煽る。やっと笑いが治まったらしいユキが、何の気なしに言った。
「そういえば、あの指輪って今してる?」
 クリティカルな質問に、ゴフッ、と思いっきり咳き込む。ユキはそっとオレの背中に手を回して、ぽんぽんと撫でてくれた。いや冷静……ッ。
「大丈夫?」
「だっ、……だ、ダメかも……」
 弱々しい笑顔しか向けらず、うつむく。今日は本当にダメかも。咳き込んだ拍子に汚れてしまった手袋は外すしかなく、全身が冷えゆくのを感じながらも、ゆっくりと手から抜いた。
「あれ……無いね」
「……失くしちゃった」
 何よりも大事にしていたのに。
 薄汚れたレザーをぎゅっと握りながら、なんの装飾もない素手が寒々しい。ユキの視線が刺すような痛みを伴って、早くこの場から居なくなりたいとすら思った。
 たかだか指輪だ。でもオレを支えてくれる大事な指輪だった。

「じゃあちょうどよかった」

 そう言ったのは、確かにユキだった。聞き間違いでもなく、どう考えても明朗に、そう言った。オレが予想していたどんな言葉――「そっか、まあ仕方ないね」「どうせ酔っ払ったついでに失くしちゃったんでしょう」「僕はちゃんとつけてるのに」――とも違ったことに、驚きとショックが混ざり広がる。
 ちょうどよかったって、何。
「……な、失くしたこと、めちゃくちゃショックだったよ」
 声が掠れるのは噎せたからじゃない。頭が真っ白になって、まともな発声の仕方を忘れたからだ。言い訳がましくも、どこか卑屈っぽくも響いた声に、オレはオレが嫌になる。
 こんなことになるなら、すぐに社長に連絡して同じものを教えてもらうべきだった。あるいはユキに謝るべきだった。ユキが「ちょうどいい」と思おうが、オレの心はそれだけでも少しは救われただろう。
 オレがそれ以上何も言えずに黙っていると、ユキは少し顔を顰めて「でも」と続けた。反論があることにも素直に驚く。
「……あれ、凛太郎から渡されたものだよ」
「……それは、そう、だけど……」
「そんなに大事にするのって、なんで? 凛太郎がくれたから?」
 いやなんでそうなるの。そうじゃなくて、ユキとお揃いだったからじゃん。なんでそんな簡単なことも分からないんだこの人。
 でも言ったら言ったで気味悪がられるかもしれない。本気の落ち込みようを見て、その理由が「ペアリングが嬉しかった」って、「あなたのことが好きです」と言ってるも同然だ。
 オレが抗議をしあぐねていると、ユキがやりづらそうに一度咳払いをする。
「……もしそうなんだったら、悪いけどさ」
「……?」
 ごそ、とユキがコートのポケットに手をつっこみ、すぐに取り出した。四角い小さな箱が目の前に現れて、ぱちくりとまばたきをする。
「え、……何?」
「この会話の流れで分からないことある?」
 ぽん、と腕に押し付けられて、慌てて受け取った。
 この流れで分かったところで。オレはどう反応していいか分かんない。ちょうどいいって、ユキは言った。社長からもらったものを大事にしたかったなら悪いけどって、ユキは言ったのだ。
 恐る恐る箱を開けると、そこにはもう一回り小さな箱が眠っていた。
 うわ。うわうわうわ。
 思わずユキを見ると、「そんな目で見ないでよ」とあからさまに照られた。その反応で、完全にアタリはついてしまった。
 ぱかりと、蓋を上方向にあける。
「……指輪だ」
「指輪だね
「指輪?」
「ペアリングだよ」
 アクセサリーケースに綺麗に刺さった幅広の指輪は、社長がくれたものに限りなく近い。けれど、お互いを表す音楽記号があしらわれたそれは、初めて見るデザインだった。
「特注しちゃった。モモにつけてほしくて」
「……ゆ、ゆ、ユキのは」
「ここ」
 いつの間にか、同じデザインのものがつけ直されている。左手の中指に綺麗におさまるそれを見て、オレはもう一度渡された指輪を見た。
 綺麗だ。凄く。だってユキが選んでくれたものだから。
「凛太郎からのプレゼントをつけておくの、癪だったし。遅くなっちゃったけど、誕生日プレゼントだよ」
「も、もらったよ! 大好物フルコース!」
「形に残る物の方がよくない? ……僕とペアリング、嫌なわけじゃないでしょう」
 それは自身満々な言葉ではなく、どこか懇願に近い響きを持っていた。嫌だなんて言わないで。ちゃんとつけて。そう伝えられているみたいだ。
 ユキが願わなくたって、絶対そうするのに。
「ゆ、夢みたい、なんですけど……」
「あ、本当?」
「こんなサラッと渡されていいもんじゃなくない……?」
「ええ? 教会で、恭しくとかの方がよかった?」
「……そ、それは……」
 即答で返事が出来なかったせいで、変な沈黙が流れた。ユキが何かを言いかける前に、オレは慌てて指輪を取り出す。まっさらな指にそれをはめようとして、けれどユキの手に阻止されてしまった。
「えっ、何、なになに」
「僕につけさせてよ」
「へぇっ!?」
 オレのひっくり返った声なんて気にも留めずに、ユキはオレの左手を取り、中指に静かに通した。真っ白で美しい指がオレの指をなぞるように動くのを、ほとんど呆然と見守る。
 サイズは、ピッタリだった。
「モモ。どんなときも、外さないで。それと今度は、失くさないでね」
「……うん……」
「ふふ、健やかなる時も病める時も?」
「外さない……」
 ユキ、オレ、最初に指輪をもらった時も、そんなことを一人で唱えていたよ。
(どうしよう)
 指輪を抱きしめるようにして体を丸める。
 正真正銘、オレはユキのものになりたい。誰にも返したくない。渡したくない。

 想いは留まることを知らず、いつかきっと、蓋が外れて溢れてしまう。健やかなる時も病める時も。その言葉の続きを求めてしまいそうになる。

 オレは指輪だけでは飽き足らず、あなたと共に、生きたいと思っている。気づきたくなかったのに、気づけてよかったのだと、魂が震えている。
 




告白の代わりに