「合鍵? オレの家の?」
「うん。欲しいなって」
「え、なんで?」
それは純粋な疑問だった。いくら付き合い始めたからといって、合鍵を即座に所望するなんて話はあまり聞かなかったから。元カノのことを一瞬思い浮かべたものの、それらしい記憶はどこにもない。
しかしオレの言葉に、ユキは拒否されたと勘違いしたのか、しゅんと眉を下げてしまった。
そんな顔も、恐ろしいぐらい整っていてイケメンだ。背後には先程と変わりなくオレの部屋が映り込んでいて、コラ画像みたいだなと失礼なことを考える。
「ダメ?」
おねだりするような甘い声。これはベッドの上でも聞いた気がする。顔が一気に熱くなって、犬の水浴びみたいに首を振り無理やり熱を逃した。
「だ、だ、ダメじゃないけど! けど……オレの家、見ての通り狭いし」
「そう?」
「うう……ッ。いいから、その優しさが辛いから!」
だって実際、ユキの家はこの部屋の100倍ぐらい広いのだ。タワマンなんて初めて足を踏み入れたし、ベッドだって想像の10倍ぐらい大きかった。
部屋が広すぎるせいで、家具が小さいと遠近感がおかしくなってしまうため、キングサイズの更に上のサイズのベッドを特注したのだそうだ。
どっかの富豪の話としか思えない。
それに比べて、オレの部屋は六畳一間。ユキの家の玄関くらいのサイズ感。茶色のちゃぶ台を囲むようにして座るだけで、脚がくっつきそうな狭さだった。ユキの脚が規格外に長いせいもあるんだけど。
こんな出会いがあると知っていたなら、もっと広い家借りてたのにな、とバカみたいなことを考える。今引っ越すにも、ゲーム会社就職を目指し就活始めたオレには時間も資金も足りない。
「だからそのー……。もしね、もしだよ」
「うん」
「ユキが終電を逃したとして。一緒に寝るスペースとか、すぐ用意出来ないんだよね。客用布団も無いしさ」
「……うん?」
「シャワーも壊れかけで、お湯が出てくるのに5分近くかかっちゃうし。あ、でも待てよ。修理屋呼ぶいい機会になるか……?」
オレが顎に手を当てて考え始めると、ユキがどこか焦った様子で割り込んでくる。
「ちょっと待って。モモ、もしかして僕が、君の家をビジネスホテル代わりにしようとしてるって? 考えてるの?」
「え?」
違うの? と瞬きすると、ユキが物凄くショックを受けたような顔で「えぇ……」と鳴いた。
初めて聞いた覇気のない声に、やっとのことで自分の間違いに気づく。
「えっ、じゃあなんで合鍵欲しいの!?」
「抜き打ちチェックの為だけど」
「ぬ、抜き打ちッ?」
なんの!? 就活ちゃんとしてるかの!? ESが部屋に散らばっているかどうかチェックしにくるってことッ? 今どきはPDFで提出も多いんだよ!?
頭の上にクエスチョンマークをたくさん生やしたオレに、ユキは肩を落としてため息をついた。
「モモって、超がつくほど……」
「ほど?」
「……いや、なんでもない」
なんのチェックかは、結局教えてもらえなかった。
*
それからというもの、合鍵を所望される機会が増えに増えた。そしてオレは、毎度懇切丁寧にお断りをしている。
勘違いしてほしくないのだが、別に渡すこと自体が嫌なわけではない。ただ、合鍵を渡す条件に『フェアじゃないから僕の家のスペアキーももらって』が追加されてしまった為、容易に承諾出来なくなってしまったのだ。
だって責任重大すぎる。もし失くしてみろ、臓器をいくつ売ればいいんだ。というか、オレごときの臓器では足りない気がする。タバコは吸わないけど酒は普通に飲むし。もっと内臓の健康を考えて生活するんだった……。
素直にそう伝えても「僕だけが持ってると、本当に宿に使うみたいじゃないか」と不満げで、その条件を下げてはくれなかった。
故に平行線を辿り続け、今に至る。
合鍵の話が出たのは六月の上旬。
今はもう、九月の半ばを過ぎていた。
「うちは社長面接なんてしないけど」と渋るユキに頼み込み、何度も面接練習をしたお陰か、本番は緊張こそすれスムーズに進めることが出来た。
その甲斐あって第一志望の会社に就職を決め、中途採用枠で既に雇用が始まっている。
新設されたストリーマー部門にて、冬には他数名とストリーマーとしてラビチューブデビューし、活動を始める予定だ。
ラビッターやラビスタの登録も済ませ、過去のアカウントは(友人、知人らには勿論連絡してから)削除した。やましいことは一つもなかったのでそのままにしても良かったけれど、まあ、ケジメとして。
ゲームのアカウントも一から取り直すことになった。とはいえ、元のアカウントはプライベート用として残している。ログインの機会は激減するだろうけれど、初めてユキと獲った1STの称号。その記録を消すなんてことは出来なかったから。
とはいえ、社員に話を聞けば仕事用のアカウントでも、〝女性でなければ〟フレンド登録はしていいことになっているらしい。ガチ恋ファン対策が何よりも重要視される昨今、画面に女の名前がチラついた日には解雇も厭わないとのことだ。恐ろしすぎる。
『恋人の性別や有無については一切触れないしお任せするけど。〝人気商売〟であることは自覚しておいてね』
と釘を刺されたのはつい最近のこと。
それって結局、同業者以外推薦しないよってことじゃんね、と。オレは新アカウントでユキと繋がることは諦めた。ユキのいないフレンドリストは、味気なくて、寂しかった。
「モモ。やっぱり合鍵は必要だと思う」
「んぇ? まーた言ってる?」
外で食事をしてから、オレの家に二人で帰ってすぐ。会社から支給された機材でオレのPCまわりは以前よりずっとごちゃついていて、それを見てすぐユキが言ったのだった。なんで機材を見てそう思ったのかは分からない。
ユキにはインスタントコーヒーを出しつつ、オレは協賛企業から「お近づきの印に」と渡されたエナドリの缶を開ける。専用のミニ冷蔵庫も一緒にもらったので、キンキンに冷えたストックがあと15本ほどあった。手元のでっかい缶を見て、綺麗な顔が途端に歪む。歪んだってこの世で一番綺麗なのだからバグいな。
「健康に悪いよ」
「そこまで頻繁に飲んでるわけじゃないし大丈夫! それにこれからはあえてカメラにも映さなきゃだしなー」
ストリームの画面上に、協賛企業のロゴは常に表示させておかねばならない。し、その企業のアイテムを使ったり食べたり飲んだりしていますよのアピールも必要だ。そこまで露骨でいいんですかと思わないでもないが、むしろわざとらしい方がウケがいい。どれだけふざけられるか、というのもストリーマーに求められる技能だった。
とはいえ、ただ楽しくゲームをやればいいわけでは当然なく。体調管理だって仕事のうちだった。土日は大会が開かれる確率も高く、無休に近いスケジュールだ。
『一日休んだら一万人から、二日休んだら十万人からの興味を失うと思え』とは、マネージャーの言。
恐ろしいし厳しいなあと思わないではなかったが、長めのモラトリアム期間を経ての今ということもあり、やり甲斐のある仕事を得られたことには感謝しかなかった。
何より。
「協賛企業に、ユキの会社が入ってるのびっくりした。実質、ユキとのコラボ配信ってことでしょ?」
「……実質も実質すぎる。普通に僕と遊んでよ」
「ははっ、協賛企業の社長さんとFPSやりますーって? デビューして一年後とかなら出来るかもね」
「遠くない……?」
だって流石に、初手でそんな配信をしたら枕営業を疑われるレベルだ。
ユキの企業が協賛なのは全くの偶然で、偶然だからこそ嬉しかった。自分の選んだ道の先に、ユキが待っていてくれたような気がして。
なのに、何も知らない人たちから変に勘ぐられてしまうのは、オレとしても不本意だ。
あと普通に恋人との配信は、照れる。隠すのも下手なので、関係なんてすぐにバレるだろうし。しっかりと釘を刺されたことを忘れてはいけない。
オレのつれない返事に、ユキは眉をヘの字に曲げてごろんと床に寝そべった。
ふて寝のポーズが可愛くて、いそいそと隣へ近づく。
「ユキ、ユーキ。機嫌直して」
「最初に比べて、僕の扱い相当うまくなったよね」
「ユキの指導の賜物かな」
「指導……、された覚えしかないけどね」
そのまま薄くて綺麗な唇をぺろりと舐めると、ユキの手はオレの頭を掴んで引き寄せた。
準備は、正直万端だったので。
*
そしてデビューの冬を超え、一月下旬。
オレは何故か、自社スタジオでばかり配信するストリーマーになっていた。
理由は簡単だ。壁用防音ボードの設置程度では、音漏れは防ぎ来れていなかったのだ。
事前に何度か配信して騒音テストはしていたものの、なんとその頃隣人は長期の海外旅行に出かけていたらしい。マジか。……マジかあ。
しかもかなり神経質なようで、配信三日目で苦情の手紙がポストに投げ込まれた。即座に謝罪し、それ以降スタジオでの配信に切り替えている。
自宅には寝に帰るだけで、機材も家賃も勿体なさすぎてどうにかなりそうだった。
慣れない環境での配信もなかなか精神的にクるものがあるし、深夜から早朝に渡ってのコラボも少なくないため、あっという間に体調にガタがきた。けれど、休んでなどいられない。少ないHPをどうにかやりくりして、今日も明日も変わらず配信を続ける。
朝六時。ふらふらの足取りで帰宅し、シャワーもそこそこに敷きっぱなしの布団に突っ伏する。あーダメだ。このまま寝たらやばい。
起き上がって、顔洗って歯磨いて、着替えて布団かぶって、それで、それで――……。
毎日午前十時にかけてある爆音アラームによって叩き起こされたオレは、かろうじて予定していた午後からの配信には間に合ったものの、コメントでも顔色を心配される始末だった。
そんなに? と自分の配信をスマホで開いたら、顔面真っ白おばけが映っていて、ひええ、と声が出た。
疲労はピークに達している。どれほどかと言うと、配信を終えて夕方にスタジオを出た瞬間、見慣れたベンツが停まっていることに、一瞬気づけなかったほど。
「……えっ?」
スルーしかけて立ち止まり、勢いよく振り返った。
「ゆ、夢……?」
あるいはエナドリ過剰摂取が見せた幻覚?
覚束ない足取りで近づいたと同時に強く腕を掴まれ、助手席に突っ込まれる。容赦ない動きに、ユキの怒りを感じてびっくりした。
普段は運転手付きのリムジンで移動しているユキの自家用車に、オレは既に何度か乗ったことがあった。
いつだって和やかだったあの頃の雰囲気とは違い、今のユキは明らかに苛立った様子で車を走らせている。
ごめん、と言うべきだったかもしれない。ユキは協賛企業の社長であり、安くない金額を払ってストリーマー部門を支えてくれている。それなのに、リスナーを心配させるような配信をしたようでは、話にならないから。
でも。あたたかな車内と、大好きなユキの香り、環境音のみの静かな空間は、心底オレを安心させた。
だから、やっぱりごめんって言うべきだな。こんなヤツでごめん。オレは、ユキが来てくれたことが何より嬉しい、ダメなヤツだ。
いつぶりか分からないほど、深い眠りについてしまったと気づいたのは、ユキの寝室の天井を見上げてからだった。
「……ッ、配信……!!」
大慌てでスマホを探すも見つからず、枕元の時計を見ればまだ朝の七時だった。
ほっと胸をなでおろし、開けた視界で改めて周りを確認する。そこでやっと、ユキの家に置いていたスウェットを着せられていることに気づいた。体中さっぱりとしていて、髪に触れるとヘアワックスもしっかり取れてふわふわだ。もしかして、お風呂に入れさせてもらったんだろうか。記憶、ゼロだけど。
ベッドからいそいそと降り、もこもこのスリッパを履いてリビングへと向かう。
相変わらず天井がバカ高くて、廊下も長い。使ってない部屋も三部屋以上あるらしく、税金対策って大変なんだなあと完全なる庶民感覚で思った。
そこで、心に余裕が出来ていることに遅れて気づいた。配信に関係すること以外考える余地が、ここ最近どこにもなかったから。
……上質な睡眠って、大事なんだなあ……。
リビングに、予想した人影はなかった。
その代わりソファにはオレの荷物がまとめて置いてあり、ひとまずスマホを回収する。考えた結果、風邪を引いたことにして今日一日は配信を休むことにした。
デビューしてから二ヶ月弱、丸一日休むのは今日が初めてだ。
震える指でラビッターとラビスタに同じ内容を投稿すると、一瞬で何十、何百とリプライがつく。残念がる声も勿論あるが、大半は「お大事に」という労いの内容で、全身から力が抜けていった。
一万人、失った。でも、このまま続けていたら、多分半年でぶっ壊れてた。今日失った一万人は、これからの配信で取り戻していくしかない。
どさ、とこれまた大きすぎるソファに腰を下ろして、ぼーっと正面を見る。
横幅3m近くあるプロジェクター用のスクリーン。
ユキってば、最初はこのスクリーンにゲーム画面を映してFPSをやっていたというのだからとんでもないよな。そりゃ迫力はあるかもしれないけど、動作が重くなって逃げられるものも逃げられない。そうどれだけ力説しても、最初は意味を分かってくれなかったっけ。
ただ楽しくゲームをしていただけの日々を、脳裏に描く。
企業用のアカウントを作ってから、プライベート用のアカウントにログインしなくなって半年経った。
即ち、ユキと半年もゲームで遊んでいないのだ。
「……ユキと、したいなあ」
「なんでもしようよ」
背後から投げられた声に、飛び上がるほど驚いた。
勢いよく振り返れば、私服にポニーテール姿のユキが微笑んでいる。ゆるめに編まれたオフホワイトのニットに、同系色のカーゴパンツ。全身真っ白のユキは紛れもなく「天使……」だった。あれ、今もしかして口に出てたッ?
「ふふ。まだ寝たりないんじゃない?」
「ね、寝ぼけてないよ! 本当にそう思っただけで……!」
「じゃあ疲れが取れてない証拠だ」
「それもない! めちゃくちゃ元気になった!」
ならいいけど。とユキは回り込むようにしてオレの隣に座り、はい、と握った手を差し出してきた。意味が分からず、オレは手のひらをその下に差し込む。
ころん、と出てきたのは、見まごうことなくオレの家の鍵だった。オレとユキのフレマスのキーホルダーがついているので、間違いない。
「えっ、……あれ!? やば、どっかに落としてた!?」
「まさか。ほぼ完全に寝てるモモに許可を取って、キーケースから拝借したよ」
「許可の意味知ってるッ!?」
「寝言でも言質さえ取れればこっちのものだから」
勿論秘書という証人もいるよ。とユキは意地悪な顔をして笑う。そんな顔も美しく、オレは面食らいながらも鍵を拝借された理由について考えていた。
配信でオレの不調に気づいて、わざわざ迎えに来てくれて、鍵を拝借。
――そんなの。
今後オレが何かあった時、すぐに部屋に入れるよう合鍵を作ったに違いなかった。
配信が終わり次第、スタジオから寄り道もせずに帰っていることを知っているユキは、オレが家に居る時間帯も把握しているはずだ。
その心遣いが有り難く、何より情けなかった。そこまでさせるほど、心配させてしまったことが。
オレが肩を落とし、車内で言えなかった「ごめん」を口にすると、ユキがどこか不思議そうに言った。
「何が?」
「……心配かけて」
「ああ、そっち? 心配、したはしたけど。それより、僕が限界だっただけだから」
「……へ?」
「モモと会えないの、しんどかったよ。でもそれ以上に、半年もログインしないって流石に酷すぎない? 僕のこと忘れちゃった?」
そう言って、ユキがリモコンでプロジェクターの電源を入れる。
表示されたのは、勿論懐かしのログイン画面だ。
「僕を放置した罰として、今からこの大画面で僕をキャリーして」
画面の中のユキのアバターは、あの頃と何も変わらず笑顔で立っている。
バチン、とウインクを飛ばされて、オレはなんだか泣きそうになってしまった。
最近はFPSよりもLoLに触れている時間が長かったせいか、腕がなまっていて驚いた。
一時間近く慣らしてからやっと本調子に戻り、全盛期までとはいかないがそれなりの戦績を残せた。
半年触っていないだけで、こんなに鈍ってしまうものなのか。それ自体にも驚いて、今後はFPSの配信も増やそうと心に誓う。
ユキもユキで半年ぶりだったので、オレよりカンを取り戻すが大変だったらしい。しかも久々の超大画面。
「改めて、こんな環境で1ST獲れたのが嘘みたいだ。モモのお陰だったんだって痛感した」
「そんなわけないじゃん。ユキが長射程担ってくれなかったら、オレなんてソッコーで死んでるよ!」
嘘じゃなかった。後方からのサポートはオレの近接ファイトと相性ピッタリな上、ベストなタイミングでドームを焚いて守ってくれるから、安心して特攻をかけられるのだ。
パッドを置いて、ぐっと伸びをする。ユキもこきこきと首を鳴らし、「楽しかったね」と笑った。普段の表情からはあまり見ることの出来ない、無邪気さのある顔が可愛い。
「うん。めちゃくちゃ楽しかった!」
「僕とまたしたくなった?」
「すぐに!」
オレの返事に、満足げに頷いたユキは「ところで」と声色を変えた。
空気が一瞬で落ち着き、高揚感が抑えられる。
え、なんだろう。次の言葉を待つと、ユキはちょっと困ったように笑った。
「なんで鍵を回収されたか、聞かなくていいの?」
思わずきょとんとして、目を何度かまたたかせる。
「……合鍵、作ったんじゃないの?」
「え。作ってもよかったの?」
「へ? だって、逆にそれ以外なんかある?」
不思議に思って尋ねれば「あるよ」と言ってユキは立ち上がった。
手招かれながら、オレはユキの後ろをついていく。リビングを出て、廊下を右に曲がり――そこは確か、空き部屋だったはずの場所だ。
「ここ」
ドアノブに手をかけ、扉が開く。あ、入っていいんだ。
そうして覗き込んだ先に広がっていたのは、信じられない光景だった。
「……………ええッ!!!!?????」
「凄いでしょう」
得意げなユキは可愛いけれど、オレはそれどころじゃなく、慌てて部屋に入る。
そして、非現実的な光景に脳が混乱し、くらりと目眩を起こしかけた。
なんで、なんでオレの部屋が完全再現されてんの。
違うのは部屋の広さだけだ。六畳一間が恐らく十二畳近くになっていて、けれどあえてスケールも変えていない。
配信中の画角も恐らくだが計算されていて、カメラに映らない場所にのみ、見たことのないベッドやクローゼットが置かれている。それらはどう見ても新品だ。
恐る恐るクローゼットに近づき開ければ、洗濯したまま放置していた服の数々が綺麗に納まっていた。
「ひええええ」
「ふふ、嬉しい悲鳴?」
「違う違う違うめっちゃビビってる超ビビってる!!!」
無邪気に褒めてムーブを出してくる社長様に、オレは色んな意味で大パニックに陥り、わけもわからず土下座したくなった。
ただの完全〝再現〟ならまだしも(まだしもではない)、普通にオレの部屋にあった設備や衣服や雑貨や果ては家具まで、全てがそこにあるのだ。
これは紛れもなく、移設である。
「この部屋、完全防音に作り変えておいたから安心して配信出来るよ。リスナーにも、スタジオで配信している間に防音の設備整えてたってことにしておけるね。何より、僕が配信中に映り込める」
「最後なんてッ?」
「牽制」
「け……!? 何、何何何……!?」
「ちなみに、これもちゃんとモモに許可取ったからね」
とスマホを取り出され、オレの死にそうに眠そうな「なんでもいいよお」の声が流れてきた。
あのー、それって本当に許可でしょうか? そう問い詰めたいのに、声は出なかった。
オレもオレだ。なんでもいいとか、いくら無意識でも気軽に言うもんじゃない。それを本気にする人は確実にいるのだから。例えばこの、若社長みたいに。
色々ツッコミどころが有りすぎるのに、顔色は真っ赤と真っ青とを繰り返しているのに、あまりに規格外でめちゃくちゃな行動を前に――
オレはいつの間にか、滂沱していた。
これには流石のユキも、目を丸くして驚いていた。
「そんなに嫌だった? ダメなら戻すよ。全部」
「う、ううっ、うぇ…っ、だ、だめじゃっ、ないけどお〜〜っ」
「あ。ダメじゃないんだ。君は本当に心が広いな」
「なにそれぇ〜〜〜〜〜っ」
「あはは、ごめんね。正直言うと、完全にダメ元だったから」
いくら許可取ってても、流石にね。
ユキの胸元に優しく引き寄せられ、背中を撫でさすられてまた汚い嗚咽が出た。
途中「これであってる?」とか「慣れてなくてごめんね」とか、何度も言いながら、それでもユキはずっとオレを宥めてくれる。
とんでもないことを平気でしでかすくせに、オレへの優しさは誰よりも備わっているところが――大好きだなって思った。
今更、心底、思ってしまった。
*
「最初はさ、モモの家に他人が居ないか抜き打ちチェックするために、合鍵が欲しかったんだよね」
「……浮気を疑ってたってこと?」
「いや、一服盛られて既成事実作られてたらまずいでしょ。スマホに『今から行くよ』とか事前に連絡入れたら、犯行現場押さえられないかもしれないし」
「す、ストリーマー界隈のことをなんだと思ってるの……」
「よく聞くから心配してるんだよ。これからも気をつけてね」
「えっ……マジ……? き、気をつけます……!」
リビングに戻り、オレが落ち着くまで待ってから、今度は横並びではなく、お互い向かい合うように座って話をしていた。
色々と説明してもらわなきゃいけないことが多すぎたから。
「次に、モモの家に機材が運ばれてきた時。こんなの、この部屋じゃ絶対扱えないって思ったよ。音漏れだってめちゃくちゃするだろうしね。それこそストーカー被害に遭うかもしれない。でも配信日はすぐそこまで迫ってる。だから……まあ。合鍵もらえたら、今日と同じことをしようと思ってたんだよね。あの時点で」
「あ、あの時点で!? 移設を!?」
「もしくは隣人に交渉して、別の家に越してもらおうかなとも思ったけど。タイミングが合わなくて出来なかったんだよね。残念……」
壁用の防音シート結構な値段したのになあとか、いや隣の人を引っ越させようとするなんてヤバすぎるでしょとか、でも多分、ストリーマーになる前から「うちに来なよ」と言われても、絶対断ってただろうなとか。
タイミング、今以外なかったよ、……とか。
「……ユキ、将棋とか向いてるんじゃない?」
「……色々考えて出てくる言葉がそれなの、モモも大概だよね。こんなことしたんだから、怒っていいし、詰ったって構わないのに」
ユキはユキなりに、自分の行動に色々と思うこともあるらしい。オレからの罵倒を受け止める準備もしてきているらしかった。
でも、そんな気には全くならない。
何手も先を、そして何通りもの未来を想像して、結果出した結論が「同じ家に住む」だった。そしてそれを、ほとんど強行した。その事実は確かに、とんでもないんだけど。
ユキは自分の為だと言う。でも、絶対。ぶっ壊れそうになっていたオレの為だ。
――それって、とんでもない愛だしなあ。
そう思ってしまった時点で、オレはこれから始まるであろう生活を受け入れるしかないのだ。
「ユキ、さっきからオレのことばっか」
「……うん?」
「ユキは、どうしたいの。オレなんか住まわせちゃってさ、本当にいいの?」
「恋人と一緒に暮らしたいって思うの、そんなに変?」
「……全然、変じゃない」
「でしょう。それに、きっと楽しい。一緒に暮らす限り、喧嘩はつきものだし。その決着は、毎回ゲームで決めればいいよ」
「オレばっか勝っちゃわない?」
「生意気。いいね、ストリーマーっぽい」
「だーから、ストリーマーをなんだと思って……」
「モモ」
オレが言い切る前に、ユキの真っ直ぐな声が耳に届く。
ユキの視線に、自分の位置を合わせた。薄い唇が、歌うように開かれた。
「君の活躍を祈ってるよ。君を必ず支える。どれだけ辛いことが起きても、隣には僕が居ることを忘れないで。君は才能のある子だ。もっともっと、羽ばたいて。でも、ちゃんと戻ってきてね。僕の元に」
「…………」
「聞いてる?」
「…………聞こえた」
「ならよかった」
軽やかに笑ったユキに、今すぐ飛びつきたくて、こんなに大きなテーブルを用意しないでよと文句を言いたくなった。
ああ確かに、これはすぐに喧嘩するな。どんな些細なことも気にして、嫌になって、なのに傍にいられることが嬉しくて、別世界の人と一緒に過ごしている事実に、何度も驚いて感動するんだろう。
テーブルに乗り上げる勇気はなく、だから自慢の脚を使って回り込んだ。ソファにドサッと押し倒して、けれどユキは余裕綽々の表情だ。
「あはは、しっぽが見える」
「犬じゃないし!」
「そうだね。……モモだ」
手を差し伸べられて、嬉しくて頬ずりした。
ここまで近づいて見て、やっと分かった。ユキの目の下の隈。いつもはすべすべでピカピカな肌がちょっとだけ荒れているのも。触れる手のひらも、少し冷たく感じる。
不調なのはお互い様だったらしい。ならやっぱり、一緒に住むのって、大正解だ。無茶なやり方をしてくれて有難う。有無を言わせないでくれて、助かった。
「大好き」
「いいね、もっと言って」
「マジヤバいぐらい超大好き!」
「ふふ、僕も」
オレたちはぎゅうぎゅうと強く抱きしめ合って――そのままソファで、夕方まで爆睡した。
そして晩御飯のチョイスで早速喧嘩をしたので、ゲームで勝負し――二人でコンビニ飯を買い込むことに成功したのだった。ユキの希望は長い横文字のオシャレなお店でのディナーだったが、ちゃんとしたデートで行きたいに決まってる。
コンビニの袋をガサガサと揺らしながら、たまにはこういうのも悪くないでしょって笑ったら、ストリーマーっぽいってまた言われた。
「ねえその、それ。何。なんか不満なの?」
「不満っていうか、ただの嫉妬」
「えっ。……うん?」
「チャラっぽい仕草とか全部。今よりもっとモテちゃうんじゃないかって、心配して、嫉妬してる。……それだけだよ」
ちょっと首元が赤い姿は、初めて見るタイプのユキで、めちゃくちゃ感動してしまった。
「ユキって絶対、フェアリータイプだ……!」
「なにそれ?」
「えへへ。あとで教えてあげるね」
「じゃあ食べ終わったら一緒にお風呂に入ろう。その後、ベッドで聞かせて」
「……ど、わぁ〜〜〜〜……」
残念ながら、ベッドではお聞かせ出来ないような声ばっかあげちゃって、すぐに教えてあげることは叶わなかった。
最初から聞く気なかっただろって恨み言を言ったら、「配信で聞かせて」と返されて、鼻の奥がツンとした。
1億点のリスナーじゃんって、オレは懲りずにぎゅーっと抱きしめる。ユキも嬉しそうにお返ししてくれた。
あーあ。ゲームみたいに、この愛の数値も、可視化されればいいのに。
スカウターぶっ壊れちゃうよ。絶対。