■2021年6月
「モモちゃん、延長って本当にできない?」
「うん。ごめんね。ちょっと無理なんだ」
「お金なら払うよ?」
「んー、予約するときにも規約に書いてあったと思うんだけど、バレたらオレが辞めなきゃいけなくなっちゃうからさ」
人好きする笑顔には「これ以上わがまま言わないでね」と書いておく。
すると、腕を掴み離さんとしていた男はすぐに怯んで、「ごめんね」と謝った。
「だからまた」
そう続きそうな言葉の前に、求められている言葉をこちらから言ってやる。
「よかったら、また予約してね。今日、すっごい楽しかった!」
*
やってることホストと変わんないじゃん、と瑠璃――姉ちゃんは言うけれど、全く別物だとオレは断言出来る。
〝通常〟、ホストほど金はかからないし、時間制だし、裏引き――店を通さずに客を取ること――がバレたら、いかなる理由であろうと即刻クビだし。
客から金を搾り取るようなことは一切なく、建前なしの『健全な友好関係』のみを築く、そんな仕事だ。
「いや、健全って! モモのこと狙ってる人多いんじゃないの?」
「そうでもないよ? それに、本気で迫られたってさ、オレが応えなきゃいい話なんだし」
「えー……。いつか刺されそう」
「わはは! そんな下手打たないって」
「ユキじゃあるまいし?」
「ぶはっ、そうだね。ユキは、下手っぴだったからね〜」
数年前から実家を出て一人暮らしをしているオレは、こうして月に一度、姉ちゃんと近況報告会を開いている。
新婚生活を謳歌している姉ちゃんに比べて、オレと言えば姉ちゃんきっかけでとあるホスト――『千』にドハマりし、そのままエース――担当ホストに最も売上を貢献する客――にまで上り詰めてしまった。
男のホストに男の客がつくこと自体珍しいのに、エースだなんてついぞ聞いたこともないと、何度言われたか分からなかった。
それこそ担当被りの客とか、被りとか、被りとか、ユキを蹴落としたい古参とか中堅とか新人とか、色々。男のエースがついていることが汚点だと思われないよう、オレがエースになって以降、担当ホストであるユキには、一度だってNo.1を譲らせたことはない。
何せ、ユキの月間売上のほぼ半分を、オレが支払っている現状だ。
そんな真似、あの店では誰も出来なかった。そこに特別、優越感はない。それが当然だから。
「っていうか、エースって月数百万使わなきゃなれないんでしょ? 前から思ってたんだけどさ、モモ、借金とかしてるんじゃないの……?」
代官山のカフェテラスで、木漏れ日が肌を撫でる中するような話ではないと、きっと姉ちゃんも分かっている。ひそめられた声には本気の心配が滲んでいて、思わず「にゃはは」と笑った。それは確かに、もっともな心配だと思ったので。
「だーいじょうぶ! そのための副業じゃんか!」
「いやでも……普通に考えて、その仕事だけで稼げるわけないじゃん。なんだっけ、……レンタル彼氏?」
――いや、それが案外いけちゃってんだよね。
と、言ったところできっと信じてもらえない上、根掘り葉掘り訊かれる可能性も否めなかったので、「大丈夫だから」と念押しして、優しく微笑むに終始した。
「株やってる」とか言って誤魔化しとけばよかったなー、なんて思いながら。
レンタル彼氏。
ご依頼いただいたお客様の彼氏役として、一日一時間から予約を承り、その時間中デートをさせていただくお仕事。こちら、公式サイトからの引用。
デートと言っても、愚痴を聞いたり奢られてあげたりすることも多く、内容は多岐に渡る。
接触については手を繋ぐことだけが許され、ハグやキスは当然NG。客に無理やり迫られて仕方なく、だったとしても、規約を破った時点でキャストの方が即刻クビ、という意外とシビアな職場だ。
オレはその仕事で、自分で言うのもなんだが、最も人気のキャストだった。
キャストによって相場が変わるとはいえ、〝通常〟手取り一時間1万6千円程度として、オレの時給はそのおよそ十倍以上、一時間15万〜20万という超がつくほどの破格が設定されている。
1回のデートで、最大80万。それを週に3回×3週で720万。
この金額を、同じ箱のキャストは誰も知らない。というか、トップシークレットである。
わかりやすい性的な見返りを要求されない分、その金額の異様さは確かなものだ。
相手は芸能関係者や政治家が多く、男女比は3:7。
高い金を払うからこそ安心感を得られるという心理は、高級ブランドに対する信頼に近い。
その分、オレもしっかり期待に答えるような働きはしているつもりだ。
金額に見合う価値のある会話を目指すのではなく、相手が望む、明るく優しい自分でいること。
『モモちゃん』が『モモちゃん』であることを何よりも大切に。
犬のような人懐っこさは生まれつき。危機回避能力は高い方。笑顔が可愛いと言われ続けた人生。その全てが奇跡のように噛み合った結果が今だ。
偶然ついた一人の太客から、オレの客層は物凄い勢いで広まる――どころか狭まった。紹介客以外、もうオレは新規の受付を停止していた。単純に需要に対して体が足りないのだ。
ホストと比べられがちな仕事ではあるが、客取りのシステムも全く異なる。客はオレを独り占めしたいと考えたとしても、予約のシステム上、独占が出来ないようにしていた。
わかりやすく言うと、オレ〝だけ〟は、連続で申し込めなくなっている。
平日、一般企業の営業として働いているオレは、定時後にレンタル彼氏の仕事を始める。その『19時から22時までしか会えない』という狭き門をくぐり抜けようとすると、結局回線強者が勝ってしまうのだ。
それを回避するために、1枠1回と4時間とし、連続予約をNGにした。
そのシステムはオレから提案したもので、それ以降はいい感じに客もローテーションするようになった。数時間の間で客をコロコロ変える必要がないのもタイムロスがなくて助かるのだ。
利点は他にもあった。
太客は、大のお気に入りである『モモちゃん』を、どこの馬の骨とも知れない人間にお手つきされたくないと考える。となると、知人や友人に『モモちゃん』を予約させた方が、手っ取り早く安心出来るのだ。
そしてその紹介客もオレを気に入り、予約を取り始まる。すると今度は別の知人に店を紹介し……といった感じで、客足が全く途切れないのである。オレがこの店に籍を置き始めてからというもの、店の売上は過去類を見ないほど上がった、らしい。
ホストなら、こうはいかない。そもそものハングリー精神に欠くし、女性が苦しみながらも自分に必死に貢ぐ姿は見ていられないのだ。
あくまで、金が余っている人間が自分の好きに使ってくれる程度がちょうどいいのだ。
それがとても贅沢な話であることは、十分に理解している。
だからこそ、巡り合わせとは面白いと思う。自分に向いた副業に就けてよかったと、心底感謝していた。
そもそもホストは、常に色恋と共にある。恋愛感情で他人を縛り付けることほど難しいことは、この世にそう無い。
オレ自身、そういった欲を向けられるとが全くないわけではないけれど、仕事以外では絶対に会えないどころか、自分が色恋を迫れば『大好きなモモちゃん』が辞めざるを得ないことを知っている客は、無理強いをしたり、自殺宣言をして脅しをかけたりはしない。先日の客のように、すぐに引いてくれるのが常だった。
定時で上がることが難しいとされる営業職も、オレは持ち前の要領の良さで日々定時退社だ。その後、空いた時間でレンタル彼氏をこなす。
そうして貯めた金を、ユキのために一気に使う。それオレの、最近のルーティーンだ。エースになって、そろそろやっと半年。
働く理由が「ユキをトップにする」の一点集中が故にやり甲斐を感じるし、どちらの仕事も真剣に打ち込める。
有り難いことに副業の稼ぎが良すぎるのもあって、生活に困窮するようなこともなく、本業の稼ぎで貯金まで出来ていた。
だから本当に、姉ちゃんが心配する必要は一つもないのだ。
例え可愛い弟が、一人の男に貢ぎ続けていようとも。
金遣いが、異様に荒く見えようとも。
「あ、やばっ。そろそろ行かなきゃ!」
手首に巻かれたスマートウォッチを見て「じゃあね」と姉ちゃんに手を振り別れを告げる。何か言いたげな表情は、申し訳ないけれど気づかないフリをさせてもらった。
そういうことが、増えてしまったように思う。昔も今も、他人の機微にはそれなりに敏感で、立ち回り方も心得ている方だった。その上で、自分に都合の悪いことを黙殺したり、誤魔化したり。それが大人になるということなら、オレは結構、〝いい大人〟になってしまったんじゃないかと思う。
迷いも、後悔もないけれど。
小走りで駅へと向かう。店は新宿・歌舞伎町。代官山からはそう遠くなかった。
電車に乗り込み、店に向かう瞬間が一番好きだ。
ユキに出会いたての頃は、時間を見つけて店に通っては、都度数万ほどの支払いをしていた。
けれどある日、オレの中で明確な欲望が芽生えた。それと同時に、その欲望を叶えるためには、子供騙しの金額ではどうにもならないことにも気づいたのだ。
だから金が必要だった。大金が。
それさえあれば、いつかオレの願いは叶う。そう、信じている。
そしてその願いが叶えば、オレはホスト通いも、レンタル彼氏も辞める。
姉ちゃんが心配するようなことは全部無くなって、今の会社で永久就職を目指し一所懸命に働くだけだ。
全ては、ユキがホストを続けてくれているお陰だった。
ユキ。ホストになってくれて、ありがとう。
何度も言ってる。その度に微妙な顔をされる。
それも飽きもせず、何度も言うのだ。
この楽園で、オレとユキを出会わせてくれて、ありがとね、って。
*
「今日って百くん感謝デーだろ? 何時に来るの?」
「……それ。その言い方やめて」
「じゃあ『No.1がずーっと待ちぼうけの日』に変えるか?」
「うるさい。ほら、万の客来たんじゃないの。あの子メンヘラなんだから、早く行ってあげなよ」
「おまえなあ、口が悪いぞ。傷つきやすい子って言え」
「それ、マジで言ってるならホラーだから」
肩を竦めながら立ち去った万の背中を、胡乱な目つきで刺す。
万はうちのNo.2であり、色恋を仕掛けないのにガチ恋量産機と言われている。他人を依存させることが得意で、その性質が自分にあることを理解して、非常にうまくコントロールしている。
とはいえ、万のことなどどうでもいいのだ。右手で握りしめていたスマホに目を落とす。
十五分ほど前にモモから「もうすぐ着きます!」のスタンプが押されてからというもの、今か今かと待ち侘びていた。
こんな風に僕を待たせていいのは、この店で間違いなくモモだけだ。
普段であれば開店から客足が絶えず、ホールに出ずっぱりの僕は今、バックヤードで脚を何度も組み替えては彼一人のために待機している。
普段バックヤードを根城にしていると言っても過言ではない新人ホストや低ランクのホストたちは、僕の機嫌を損ねないよう、用もないのにホールに立たざるを得ないでいた。
最近モモは、僕のエースになった。故に以前よりは高頻度で店に足を運んでくれるようになったが、それでも毎日とは行かない。
クリスマスや誕生日などのイベントは必ず足を運んでくれるが、仕事が忙しいのだと言う。
本当は僕から会いに行きたいし、会えるものなら、毎日でも会いたかった。
そう。僕はモモを、気に入っている。よき友人であり、特別な存在だった。
それなのに、モモはすぐに『ホストと客』の関係を持ち出す。
じゃあホストを辞めてしまえば、とは何度も考えた。一人の人間として、僕と向き合って欲しいという純粋な欲もあった。
それなのにモモは言う。
『オレはユキをNo.1に、トップにしたいんだ』
と。
それが人生の目標にまでなっていると言うのだから、呆れた。その上、本当にその目標を叶えてしまったのだから凄まじい。
僕だって、年を取ったり、怪我をしたり。いつかはホストを辞めるかもしれないよ。
そう伝えたところで、モモは諦めなかった。僕がホストでいるうちは、ずっとずっと、一番でいて欲しいのだと言う。
『ユキが、テッペンでピカピカ光ってるところ見ると、オレ。ほんっとに生きててよかったーって思えるんだよ』
そんなこと、キラキラと目を輝かせながら、言わないで欲しかった。
「千! 百くん来たよー」
ホールから万の声が聞こえて、慌てて立ち上がる。入り口横の姿見でシャツの襟を整えて、寸分もズレていないネクタイを改めて正した。
オフホワイトのスリーピース。タイドアップを好むモモのために選んだネクタイのピュアブラックがよく映えている。
オーダーメイドのそれは生地からモモに選ばせたもので、思い出深い一着だ。モモのためのスーツ。
だから、彼が来てくれると分かっている日にだけ着ると決めていた。
ドアをくぐってホールへと向かう。締日が近いこともあってホールは異様に活気づき、がやがやと酷く騒がしかった。
しかし自分が一歩フロアに出た瞬間、ほとんどの客が息を呑んだのが分かった。
幼い頃から浴び続けてきた不躾な視線。
しかしそんなもの、気にしない。
だって。
「ユキ!」
「モモ。待ってた。遅いよ」
――君が僕を見つめることしか、興味がないから。