「Re:valeの百って枕しまくりなんだってさ」
あと二歩で曲がる予定の角から、俊足もびっくりの速度で距離を取った。幸い近くにあった自販機の後ろに滑り込み、身を隠すことに成功する。
「やっぱそうなの? だから来期のドラマ主演取れてんだ。演技雑魚いのに」
「N局つったら女社長だしチョロかったろうな〜。いいなー俺も楽して主演もらいて〜〜」
別にこういう噂を立てられることは珍しいことではない。が、流石にこのタイミングで顔を合わせるのは気まずかった。いや――気まずい空気をなんでもない空気に持っていく労力がもったいない、と言う方が正しい。
声からして、男女一人ずつ。〝Re:valeの百〟がすぐ傍にいるとも知らず、会話はヒートアップしている。
確かに今日、オレは収録日じゃなかったけどさ。オレが顔広いことなんて有名だし、友達に会いに来ましたーとか、全然あるわけじゃん? そういうの、ちっとも考えないのかな。……考えないんだろうな。やるねえ、A事務所の若手俳優SくんにモデルのUちゃん。お付き合いしてると他方から聞いています。二人とも、裏では黒い噂が絶えないようだけど、自分たちのことは棚上げかな?
なんて、ちょっと腹黒いこと言ってみたり。オレが他でもない、Re:valeの百でよかったよ。言っておくけど、心の広さは大海原よ?
「相方の千も女優から共演NG食らいまくってるし、二人して食い散らかしてるんだって」
「あー、なんか千ってイケメンイケメン言われてるけど、言うほど? って感じじゃね?」
「いやアレはガチだから。ガチ。流石にそれはアンタの目が節穴」
――あっぶな。マジでぶん殴りそうになった。
大海原を自称した一秒後に飛び出しそうになって、その場でギリギリ足踏みをして耐えた。自然と握り拳を作っていた腕をもう片方の腕で掴み、抑え込む。なにせ震えているもので。
オレってばもうこの業界ではそこそこの位置にいるっていうのに、暴力沙汰で不祥事はシャレにならなすぎる。でも、理由が理由だから、仕方なくない? どれだけ大衆の目に晒され批判されようと、無限に光るフラッシュの中で「オレは正しいことをしました」とキラキラ輝く目で言っている未来が見える。
オレの心の広さは大海原、だけど。ユキに関することは別。超えちゃいけないライン、あるよね。そこはきっちり、弁えようね?
って、言いたいな。言ってもいいかな。でもなあ、来週Re:valeがMCの番組に、なんと二人とも出演予定なんだよな〜……。結構本気で遠い目だ。
最初っから、隠れたことが間違いだった。もっと全力疾走して元来た道を戻って、裏口から脱出すればよかったんだ。後悔もしきらないうちに、二人とも自販機の前まで来てしまった。ピッ、ガコンッ、と取り出し口に飲み物が落ちる音がする。
「怖い顔すんなよ……。あ、つーかさ、それで言うと百って顔可愛い系じゃん? 男にも枕出来そうじゃね?」
「うわ! 男担当は百、女担当は千ってこと?」
「Re:valeやべえ〜! ぱねえ〜!」
こういう立ち話は、一度花が咲いてしまうとなかなか終わらない。常に極度のプレッシャーに晒され続けているせいなのか、現在の自分の立ち位置に満足していない人間ほど、根も葉もない噂に縋ってしまいがちだ。
こんなのは日常風景でしかないし、オレのことを言われるなら、ちっとも気にしないのに。
ああ、早くどっか行ってくんないかなあ。ここ、埃っぽい上、カビくさいし。これからユキに会いに行くっていうのに、湿り気を帯びていくわけにはいかないんだけどッ?
「まあ、俺も正直、百相手ならいけなくもないっつーか、枕相手の気持ち分からんでもないわ」
「うわ何言ってんの? キッモ!」
――はい、アウトー。やっぱり、もう出て行こう。こんなことでユキを待たせるようなことがあってはいけない。そうだ、だってスタジオ前に、20時に待ち合わせをしているわけで、…………あれ?
そういえば20時って、もう過ぎて――……
「へえ、モモってそんなことしてるんだ。知らなかった」
冗談抜きで、その場の温度が二度は下がった。
オレですら背筋が凍ったのだから、直接受け止めただろう二人は、全身氷漬けになったに違いない。足音も何もしなかったのは、裏口が自動ドアで、その手前の廊下は絨毯だから。時間を過ぎても現れないオレを、サプライズで迎えに来てくれたのであろう、Re:valeの千。満を持しての登場だ。
……オレだったら、この場で即・自害だな。
なんて、他人事のように思った。それぐらい、ユキの声は冷えきっている。絶対零度って言葉がぴったりだった。
二人の声は完全に止み、呼吸の音も聞こえない。
「モモが、枕営業してるんだ? それさ、もっと詳しく教えて欲しいんだけど。……ほら、僕ら仲良しでやってるじゃない? 夫婦漫才とか目玉だし。それが、まさか相方が枕で仕事取って来ましたー、なんてことがあったら大問題だ。関係は即座に崩壊。解散まっしぐらだよ」
「…………あ、は、……」
「…………」
ユキは今、Re:valeの千を完璧に演じている。なんというか、千が言いそうな冗談全部盛りみたいな。だって本当なら「捻り殺してやろうか?」みたいなことが、言いたいはずなので。オレには分かる。さっきのオレがそうだったから。
きっと物凄く優しげな笑みを貼り付けて――追撃の手は止まない。
「そしたら、Re:valeの仕事はパア。CMやバラエティ番組、撮影中の映画やドラマ、違約金で岡崎事務所は潰れるな。……その責任は、モモに取らせなきゃいけない。僕ら、法廷で争うことになるだろうね……」
淡々と、けれど最後の一言はとても残念そうに響いた。追い詰め方にまるで容赦がなくて、オレですら出ていくタイミングを見失っている。
自分が言われているわけではないのに、場の空気を完全に支配する、緊張感。
「あ、そうだ」
ぽん、と手のひらに拳を叩く音。名案が思いついた合図だ。
「そしたらさ、君たちを証人として呼ぶよ。是非、モモの枕営業について、証言してくれ。事細かに、見てきたことを頭から終わりまで、きっちりと説明してね。……あれ? まさか、『見たことありません』なんて、言わないよね?」
その問いかけは死刑宣告そのものだった。
だって、見たことあるわけないんだから。来期の月9主演を張らせていただくのは、ちゃんと実力で勝ち取った結果ですし。それを一番良く知っていて、誰よりも喜んでくれているのが、ユキその人だ。
「はい、そこまでー!」
流石に若い子たちが可哀想になってしまって、いちかばちかで姿を見せた。オレを見た二人は絶句して、顔面蒼白を更に漂白したみたいな顔色になっている。そりゃそうか。
でも、ここでオレが止めなかったら、多分二人とも今頃自害だよ、自害。
ユキといえば、オレの登場に驚く素振りすら見せなかった。想像した通り、ちょっとチビりそうになるぐらい優しい笑顔のままでいる。オレが裏に隠れていたことなんてお見通しだ。というか、まあ、普通に見えてたんだろう。
だからこそ、わざとあんなことを言ったのだ。オレが、オレの目の前で軽んじられ、侮蔑されていると知っていたから、ユキはあえて脅しをかけた。二人は、特別運が悪かったね。
それでもって、こんなこと今考えるのはバチが当たりそうだけど。
――いやあ。
愛されてるな、オレ。
いつものポジションに立ち、いつもの流れそのままに夫婦漫才を始める。
「ちょっとユキぃ〜〜! 新人イビリは止めたって言ってたじゃんかー! アレ、嘘だったのッ?」
「ごめんね、モモ。禁断症状が出ちゃって、ついね」
「つい、で許されるなら警察はいりません! ほら、二人に何か言うことない?」
「ああ、そうだね、ご――」
何一つ悪いと思っていないからこその謝罪をユキが口にする前に、二人は声を揃えて「すみませんでした!!」と叫び、頭を下げるやいなや全力で立ち去った。うわあ、凄い。悪手も悪手だ。ここで土下座の一つでもかましておけば、大体のことは丸くおさまったのに。裏口に消えていく背中を見送って、ユキの方に向き直った。
「はあ〜……。オレたちがRe:valeでよかったよね。別の誰かだったら、あの二人、明日には事務所から籍抜かれてる」
「別にいいんじゃない。ゲスト二人来れなくなるぐらい、大した問題でもないよ」
「あ、やっぱ二人がゲストなの分かってたんだ」
「そりゃね。……来週が楽しみだ」
「ユキ、ユキ。顔、めっちゃくちゃ怖くなってる。本番では絶対それ、出さないでねッ?」
「善処するよ」
厄介な日本語で返されて、ううむ、とちょっと唸る。ユキが裏口へと向かう後ろをついていった。
「流石に今回ので反省したと思うけどな……?」
「してなかったら、いよいよ終わりだろ。危機管理能力の致命的な欠如、礼儀も知らない。今の時点でも、0点超えてマイナスだ」
「怒りすぎ怒りすぎ!」
にゃははと笑って流そうとしたら、ピタリとユキが立ち止まり、振り返った。
分かりやすく不満げな顔。
「怒るに決まってる」
「……ユキ?」
「モモが、モモのことを言われても怒らないなら、それは僕の役目だ。モモだって、僕が軽んじられたら、怒ってくれるでしょう。僕の代わりに」
「……うん」
「お前が、自分を軽んじる相手に笑う度、僕はどっちにも怒ってる。モモがモモを大事にしないなら、僕がお前を大事にするしかないし、それを止める権利は、モモにはないよ」
――訂正。
愛されてるなんてもんじゃなかった。
オレ、めちゃくちゃ愛されてる。
「……ユキがイケメンすぎて、オレはオレを殴りたい……」
「え? それはどういう情緒?」
「さっき、Sくんが……ユキのこと、雰囲気イケメンっみたいに言った時。オレ、あの子のこと、ぶん殴らなかった。ちゃんと怒れなかった……」
「いや、殴るのはダメだろ。それはむしろ、自分を抑えきったことを褒めてあげてよ。モモにとっては我慢すること自体、凄く辛かったでしょ」
「ありがとね、ユキ。次は必ずやるからね」
「来週、スタジオは血の海になるってこと? 僕一人では抑えられないだろうから、モモにもモモを止めて欲しいところだけど」
「善処する、って言ってる……」
「それは……うん。期待出来ないね」
参ったな、と眉を下げるユキの表情には、柔らかさが戻っていた。なんなら本気で困っていそうで、キュートだ。
やばいな。オレは今、その眉間にちゅーしたい。
それぐらい、ユキへの愛にあふれている。愛されてるのと同じくらい、いやそれ以上に愛させてもらえるって、とんでもなく幸せなことだ。
もはやあの二人には、感謝すらしていた。
いや、嘘。
やっぱり、次に会った時には、デコピンぐらいはしてやろう。
*
当然、翌週の収録はつつがなく終わった。オレたち二人の番組で、失敗なんて許さない。
必要以上にガチガチに緊張していた二人のことは、全力でサポートさせていただきましたとも。
最後には笑って帰って欲しいしね。
もう、イヤでも分かったでしょ?
オレたちがRe:valeで、よかったって!