「ぜーったい無理」
……ここまできっぱり言われたら、流石の僕も諦める。
わけがない。
むしろ、なんでそう何度も拒否出来るんだと苛立ちが増す分、意地にもなる。
こうなることぐらい、モモは絶対に分かっているくせに、絶対譲らないのだから腹立たしい。僕を怒らせたって、いいことはないだろ。モモを怒らせても、いいことがないように。
僕らの喧嘩は誰も幸せにならない。それはおかりんの胃薬の量が一向に減らないことが証明している。
「いつも『無理』だけで終わらせようとするけど。もう少し、説明してくれたっていいんじゃない?」
「……プライバシーの侵害にあたるので、無理」
「自分から言うことは侵害じゃなくて申告。いい加減モモも、この話題には飽き飽きしてるだろ。この辺りで観念した方がいいんじゃないの」
「な、なんでユキの方が偉そうなわけッ?」
「いいから。早く」
コーディネーターに任せたところ、やたらと上等なあつらえになったテーブルに、人差し指をトントンと置くように鳴らす。神経質そうな音が効いたのか、モモがぐるると喉を鳴らして僕を威嚇した。凄みを効かせた瞳は爛々と輝いている。が、僕は引かなかった。
だってこれは、僕たち二人の今後の人生にとって、とてつもなく重要な話なのだ。対話不可、なんてことはあっちゃいけない。
何せ、僕らは正しく、パートナーである。
そう。パートナー。気持ちを伝えあった仲である僕らは、名実ともに最強となった。同じ鍵を持って出かけ、同じ家に別々、時には一緒に帰る。それを願うことなど、あまりに普通だろう。昔だって、そうだった。
それなのに、モモときたら「絶対無理」の一点張りだ。
可愛く大きな口が、愛おしい八重歯を覗かせながら、死ぬほど可愛くない言葉を紡ぎ続ける。この際、実力行使で塞いでやろうかと考えて、以前同じ流れで塞いでみたところ本気で怒らせ、仕事外で二週間ほど口をきいてもらえなかったことを思い出した。
なんで怒られなきゃいけなかったんだ、って、今でも新鮮に思うけど。モモと喋れないのは寂しいので、我慢する。そんな僕のいじらしさなど知る由もなく、モモは焦るように言った。
「好き合ってる同士だからってさ、同棲再開する必要はなくない? 籍を入れたわけでもないし、今の生活も気に入ってるし!」
「0点」
「はあ〜!?」
不満げなモモは、テーブルを挟んで地面に座している。ソファに腰掛け、前のめりにモモに向かっている僕と、膝を抱えたままのモモ。話し合いの姿勢からしても、僕に分があることは間違いなかった。視線の位置が上にある方が、立場も上だ。
「僕には複数の言い分があるから、誰が聞いても完璧な100点の回答が出来るよ。けど、そんなことより、おまえがあの家にまだ住み続けてることへの不安が大きい。あの家で何があったか、覚えてないわけじゃないだろ?」
「う……そ、それを出すのは、卑怯ですぞ……」
「正攻法だし、正論しか言ってないと思うけど」
あの家。月雲了が送り込んだ輩が上がり混んだ上、モモがそいつらの手によって泥酔させられた家だ。更に言えば、モモがベランダから飛び降りようとした家でもある。それだけで、恐ろしいほど曰く付きだろう。
普通、あれほどの事件が起こった場所に身を置き続けるなんてことはあり得ず、即転居がセオリーだ。なのに、モモは頑なにあの場所を離れようとしなかった。ウォークインクローゼットの中は未だ荷解きされていないダンボールだらけで、なんなら明日にでも引っ越せそうなのに、だ。
モモは、更に身を縮こまらせて、先程よりも抑えた声量で続けた。
「またあんなこと、起こるわけないじゃん……」
「あり得ないなんてことはあり得ない。今まで散々、嘘みたいな目にあってきたでしょ」
「でも、オレが招き入れなければ、誰も入れないよ。合鍵だってユキとおかりんとサブマネしか持ってないんだから!」
「……」
モモのこの必死さには、違和感しかない。
そもそも引っ越しについては、僕からではなく、おかりんも打診をしていたはずだ。一人暮らし用の物件についての相談は、それなりの食いつきだったらしい。ということは、引っ越し自体を面倒がったり、嫌がったりしているわけではないことになる。
即ち、〝ユキと暮らすこと〟が、モモにとっては最大のネックなのだ。
……さっきからそう言われてはいるのだけど、認めたくないという感情に支配されて、正直あまり耳に入ってなかった。三年前、二年間を共に過ごしていた記憶は、モモの中から消えてしまったのだろうか。あるいはあの時も、本当は一緒に暮らしたくなんかなかった?
そんなこと無いと思いたいけど、思わざるを得ないのも確かだ。だから僕は、少しだけ言葉の角を落とし、素直に問いかける。動物の耳が生えていたとしたら、しな、と耳が寝てしまっているだろう顔で。
「……そんなに、僕と一緒が嫌?」
ヒュッ、と息が詰まったような音が聞こえた。
瞬間、
「嫌なわけないじゃん!!!!!!」
爆音。
鼓膜、破れるかと思った。
「……っ……も、モモ……声、……」
「嫌なわけないからね!!!??!!??」
「も、モモ、壊れる、耳、壊れるから……」
何せ僕の耳は現状四つほどあったので、倍の破壊力がある。しなだれていた耳は突然の攻撃に毛を逆立てながらもへなへなになっている。部屋の窓ガラス、割れなくてよかった。流石に弁償してもらうところだった。
モモは肩をわなわな震わせ、勢いよく立ち上がる。テーブル越し、今度は僕よりモモの方が視線が上だ。視線の位置が上にある方が、立場も上。爛々と光る瞳は、怒り心頭の表情とは裏腹にどこか潤んでいた。
「ユキは、なんっにも分かってない!!!」
「な、何が……」
声量は衰えず、このフロアに僕の住まいしかないことに本気で感謝する。普通だったら警察を呼ばれていてもおかしくない。あの部屋から、悲鳴のような声が何度も聞こえるんです。善意の通報によってRe:valeがスポーツ紙の一面を飾りかねなかった。
なんて考えている間にも、モモの大きな口はよく動いた。
「実家から出て、初めての生活がユキさんと二人暮らしだったんだよ、オレは!!」
「……う、うん……?」
「でも……今のオレは、……一人暮らしを覚えちゃったオレなんだよ……!」
「え? あ、うん。…………で?」
「で? じゃない!!」
いやだから声。声量バカだからそれは。もう少し手加減して欲しいのに、僕の返事がおそらく全部0点なせいで、全く治まってくれない。怒ったモモは、大方の人間の想像通り、割と手に付かない。
「オレがどんだけ洗い物溜めるか知ってる!?」
「……し、知らない」
「二週間は溜める! 食洗機付けるのすら面倒だから、最近はウーバーしか使ってない!! 掃除だって一ヶ月しないとか平気であるよ!? 洗濯物も溜めまくるから下着も何も全部クリーニング出してるし……あの頃、一緒に住んでたオレとは、もう違うオレなんだよ!!」
はあ、なるほど。そういうこと。
やっとのことで合点がいって、僕は素直に耳を塞いだ。もうこれ以上大事な話は出てこないし、モモの声は手のひらを貫通してでも聞こえるだろうから。これもまた、0点の行動だと分かっている。けれども、挽回出来るなら問題ないと判断した。
「ちょッ……ユキ、聞いて、ちゃんと聞いて!」
「大丈夫。聞こえてる聞こえてる」
「なんでいきなり適当!? オレ、めちゃくちゃ真剣に話してるのに……!」
途端に泣きそうになるモモは、面倒くさくて可愛い。面倒くささというのは、価値観の違いによって引き起こされるものだ。僕にとってどうでもいい物事が、モモにとってはとてつもなく重大だったりすると、途端に面倒なことになる。今がまさにそう。
「僕と暮らすなら、食事を作るのはたいてい僕でしょ?」
「……へっ?」
会話にする気がなかったので、脈絡なく話し始める。モモの肩の動きがほんのりと穏やかになったのを見計らって、耳に当てていた手のひらを外した。僕は瞬発力が無いので、次に大声を出されたら本当に鼓膜が破れるかもしれない。……その時はモモに塞いでもらうしかないな。
「そしたら、洗い物だって僕がするよ。食洗機に放り込むぐらい、僕なら簡単に出来る」
「そ、んなのダメだよ。作ってもらった上に、洗い物まで、とか……」
「そもそも。そういう罪悪感によって、モモは洗い物しちゃうんじゃない?」
「だから、罪悪感を覚えながら生活するのが嫌だっつってんの」
「何? ストレスってこと? 別にいいんじゃない。生活が矯正されるんだから。皿も服も洗えた方がいいし、料理は出来るだけ手作り食べた方がいいし、掃除も一緒にやればいい。楽しいよ」
「…………楽しい?」
モモが、訝しげな顔で問う。僕は間髪入れず答えた。
「楽しい。罪悪感があっても、それを吹き飛ばすぐらい、楽しいよ」
こう断言出来るのは、昔の生活が僕にとって、楽しかったからだ。事故物件のボロアパートですら、心の底から楽しかった。それがなんで、今一緒に暮らす、それだけのことで、つまらなくなれるんだろう。甚だ疑問だ。
きっと、とか、多分、とか、そんな曖昧な言葉はいらなかった。
ソファのバックレストに背中を預けて、ふんぞり返るみたく脚を組む。つま先がガラス製のローテーブルに引っかかって、新居でこいつの出番はないなと確信した。
視線を合わせる。
「絶対、楽しいよ。あの時がそうだったみたいにさ」
モモの喉が、ぐるると鳴った。それは威嚇ではなく、懐くみたいな、降参したみたいな音だった。
僕はとっておきの笑顔を作る。
「僕が諦め悪くてよかったね、モモ」
「…………オレが潔くてよかったって言って」
「それは無理。嘘は言えないよ」
「ヒドイッ!!!」
ワッと顔を覆い隠して泣き真似をするモモから、涙は引っ込んでいた。それが答えだ。
「僕、明かりのある家に帰りたかったんだよね」
「……それは、分かるけどさ」
「でしょう。あの感動に替えられるもの、そうそう無いよ。その上、そこにはモモか、僕が居るわけだから」
「最高だねえ……」
「最高でしょう」
僕が得意げに返す傍ら、立ちっぱなしのモモはぼんやりと惚ける。本当にコロコロとよく変わる顔だ。可愛くて可愛くて仕方がなかった。その顔は100点。いや、実際のところ、いつも100点だ。
だから、おいでおいでと手招いて、隣に腰をおろしてくれたらキスをしようと思った。
これからよろしく。大好きだよと、これ以上なく伝える為に。