平気な素振りをする時と、全然ダメだと音を上げる時の、2パターンに分かれる。モモの話だ。
 今回は後者だった。僕としては助かる方。
 だからこれみよがしに腕まくりなんてして、それから「モモはそこで寝てて」とL字型のソファを指差した。
 うつろな目つきのまま一言も言葉を発しなかったモモは、コクリと一度頷き僕の言う通りソファに座った。暫くぼーっとしてから、糸が切れたようにどさりと倒れ込み、そこから微動だにしないで今に至る。
 その様子をキッチン越しに見守って、相当だな、と少し驚いた。
 モモ単独でのレギュラー仕事は、相変わらずのテッペン超えだ。モモを僕の家まで連れてきたおかりん曰く、今日のモモは〝いつも通りの進行が出来なかった〟らしい。
 かといって、番組に支障が出たわけでもなければ、共演者を不快にさせるようなこともなかった。ただ、モモのMCの端切れが、悪かった。だから一度だけ、オープニングトークを撮り直した。それだけだと。
 けれど、モモにとってそれは、〝だけ〟では済まされなかった。
 モモのプライドはモモのもので、他者には不可侵領域である。勿論、状況によってはあえて踏み込んで喧嘩に発展させることもあるけれど、こと個人仕事について、僕からモモに意見するようなことは殆どない。演技ならまだしも、MCなんてモモの独壇場とも言える。釈迦に説法としか言いようがなかった。
 それはおかりんも当然理解するところで、だからこうして、僕の家にモモを引っ張ってきたのだ。
 平気な振りも出来ず、普段みたく「迷惑をかけてごめん」とも言えない。
 刻一刻と限界に近づいている爆弾みたいなモモを、元の人間の姿に戻すのが僕の役目。
 そしてそれは、僕にとってご褒美でもあった。
 ――モモには内緒だけど。


 トントンとリズミカルに野菜を刻む。深夜一時を回っているので、流石に肉料理の用意はしないでおくことにした。
 幸い、これから始まる今日については、二人で受ける予定だったインタビューの仕事を明日に回して貰えたので、実質オフとなった。昼食か、夕食にステーキでも拵えてあげればいい。
「お肉を食べると無条件でハッピーになれるんだよ」
 とはモモの言葉。それを信じて、僕はいつでも肉料理が提供出来るうように、ジビエをストックしている。モモにはいつだって、当たり前にハッピーでいてほしいからだ。
 疲れた体と胃には中華粥と決まっているが、ミネストローネを作ってリゾット風に仕立てた方がモモが喜びそうだった。
 トマトのホール缶を開けつつ、生トマトを刻む。玉ねぎはオリーブオイルでにんにくのみじん切りと炒め、そこに人参、いんげん、茄子、キュウリを追加して、しんなりするまで炒め続けた。
 産地直送の有機野菜はバリエーション豊かで、野菜好きとしては垂涎モノのコレクションだ。けれどモモは肉食だから、有り難みをちっとも感じてくれない。コンビニで買ったゆでトウモロコシも、超高級トウモロコシも、炊き込みご飯にしてしまえば全部まとめて「超美味しい!」なのだから、なんというか、作り甲斐がある。
 僕がサクサクと調理を進めている間、モモが動いた気配はなかった。
 ホール缶と生トマトを放り込み、水を注いでコンソメを砕き入れ、更にローリエを浮かせて火をつける。暫くは弱火で煮込む時間が続くので、手をすすいでリビングへと足を向けた。
 モモはLの短い方に寝そべり、横寝の姿勢で膝を抱え、ひたすらぼーっとしている。真っ暗なテレビをじっと見つめているようにも見え、傍から見るとちょっとしたホラーだ。
 けれど僕は慣れっこなので、わざわざモモの足元に腰掛けた。ぎゅっと端っこにモモの体を追いやって、絶対に触れ合うような位置を陣取る。
 モモが眉間にちょっとだけ皺を寄せたのを見て、お、と思った。表情筋が、仕事の仕方を少し思い出したらしい。
「今、僕が何作ってるか分かる?」
「…………」
「モーモ」
 根気よく返事を待つ。こんな会話、始まりも終わりもない。モモがいつもみたく、ぽんぽん言葉を繰り出してこないのも新鮮で面白かった。喧嘩した日には、何時間も舌戦を繰り広げる、なんてことも珍しくないのに。
「ヒント。トマト味」
「………………デミグラス、ソース」
「ハズレ。もっとトマトっぽいよ」
「………………ミートソース…………?」
「さっきから肉に絡めてくるな。肉、食べたい?」
「いらない……」
「よかった。それはまたお昼にね」
 腕を伸ばして、よしよしと肩を撫でる。頭にはあと少し届かなかった。
 すると、固まり続けていたモモがのそのそと動き出し、上半身を持ち上げたかと思うと、今とは逆向きにぺたりと寝そべった。頭が、僕の腰元に来る。
 その行動の意味を的確に読み取って、今度は白メッシュが跳ねる頭をよしよしと撫でた。普段だったらすぐに鳴りはじめる喉は静かなまま。その代わり、開きっぱなしだったモモの大きな目が、ゆっくりと瞼を下ろしていく。
 このまま寝てしまっても構わなかった。調理途中でも寝室にモモを運んで、一緒に寝てしまえばいい。そもそもおかりんから一報が入らなければ、とっくに寝ている時間だ。
 一応僕も男なので、モモを運ぶくらいはなんとかなる。
 ……なんとか。ギリギリ。
「……正解は?」
 僕がモモの抱え方を考えていると、意外とはっきりした声で問いかけられた。眠くはないのかもしれない。
「ミネストローネだよ。モモに食べさせるのは、ちょっとアレンジしたリゾット」
「……おいしいやつだ」
「僕が作るものならなんでも美味しいでしょう」
「うん」
「素直で可愛いね」
「可愛くない」
「そう? じゃあ、可愛くないところも、可愛いよ」
 それって褒めてなくない? という気配を感じつつ、「ちょっと様子を見てくる」とソファから立ち上がる。
 ミネストローネの鍋を覗き込んで、ぐつぐつと煮えるそれをひと混ぜした。優しい香りが漂って、それだけで幸せな気分になる。それがモモの方にも届いたのか、まるで亀みたいな動きでゆっくりゆっくり起き上がるのが見えた。
 ソファのバックレスト越しに目が合う。
「味見する?」
 コクリと頷いて、またしても亀の動き。僕の寝起き以上に遅い動きに思わず笑うと、モモがじっとりこちらを見た。非難めいていて、可愛い。
 自分がダメになっている姿など、きっと誰よりも僕に見せたくないモモだ。けれどその虚勢すら張れない時が、こうしてごく稀にある。
 僕はそもそもモモ相手に無理をしないので、基本自然体なのだけれど。だからといって、僕らしくあれ、だなんて言えはしない。僕は僕でモモはモモだ。
 だからこそ、僕が出来る精一杯で、モモを癒やしてあげられる。
 その事実はやっぱり、素晴らしいことだと思うのだ。

 のたりのたりと歩を進めたモモが、僕の隣に影を落とした頃には、既にリゾット用の米も洗い終わっていた。
「炊いてあるのを洗うの? 生米じゃなくて?」
「それだと時間かかるし、邪道だけど今回はね。ぬめりを取っておくと口当たりが良くなるから」
「雑炊みたいな……」
「まあ、そうね。でもチーズとパセリ入れるから、あそこまでサラサラにならないよ」
「……チーズ」
「モモが入れたいだけ入れていいよ。グレーター新調したし」
「……」
 あ、ちょっと目に光が戻ってきた。
 何を隠そうモモはチーズと、チーズを好きなだけ削るのが大好きなのだ。ミネストローネよりよっぽどテンションを上げているところ、素直すぎて笑える。
 それにしても、いつになったらモモの胃袋は落ち着くのだろう。いや、折角ならおじいちゃんになっても、肉をバクバクと食べ続けていて欲しいけれど。
「僕の分まで」
「え? なにが?」
「……ああ、ごめん。口に出てた? モモがおじいちゃんになっても、毎日肉を食べてて欲しいなと思って」
「……ユキの分まで?」
「うん。それを僕は、しわしわの笑顔で見守る。楽しそうじゃない?」
 しわしわのモモと自分とを想像して、ふ、と自然に笑みが溢れる。
 ね、と同意を求めるようにモモの方を見ると、大きな瞳がボロボロと涙を落としていた。
 粒が大きすぎて、頬を流れるのではなく、直接床にぼたぼた落ちている。
 わ。
「モモ?」
「ユキ……、ユキ〜〜〜〜……」
「うっ、ぐ」
 ドスッと音がしそうなほど激しめのタックルをかまされて、思わず呻き声があがる。そんな僕の声など気にも留めず、ぎゅうぎゅうときつく抱き締められた。慌てて米入りのストレーナーを置き、モモの背中に腕を回す。
「うう、う゛ぅう゛〜〜〜!!」
 子供みたいな泣き方。手のひらでぽんぽんとなだめてやると、逆効果だったのか更に泣き声が大きくなった。
 ――色々、重なってしまったのだろうか。パンパン膨れた水風船が、ほんの少しの衝撃で破裂するのと同じで、モモも今日、小さな針が心臓に突き刺さって、飛び散ってしまったのかもしれない。
 とはいえ、細かいことを聞き出そうとは思わなかった。モモが言いたくないなら言わなければいいし、話したいのなら、聞いてあげるだけだ。
 そもそも。僕の家に来て、僕の料理を待ち、僕の胸で泣くモモは、僕を頼ることを自分に許している。
 もう、たった一人で全てを抱え込もうとするモモではないのだ。
 その事実を目の当たりに出来ることは、やっぱり僕にとって、幸福でしかなかった。申し訳ないな、と思わないでもないが、これぐらいは許してよと強く願ってもいる。
「亀さんや。お腹、結構空いてる?」
「う゛っ……、ずびっ、……え、な、なに、亀ッ?」
「うん。動きが亀みたいだなと思ってて、さっきから」
「そ、な、こと思ってたのッ? 亀ッ!?」
「可愛いじゃない。一人桃太郎みたいな……」
「浦島太郎と混ざってない!?」
 堪えきれず顔をあげたモモは、涙と鼻水とでくちゃくちゃの顔をしていた。
 それがあんまり可愛くて、思わず鼻先にキスを落とす。
「……はえ?」
 呆けたモモの顔は、いつものモモだ。
 よかった。ちゃんと人間に戻れたね。
「ちょ、何、なんで今キスしたの? 何これ、ドッキリ!?」
「違うよ。亀から人間に戻すための儀式みたいな……」
「それはカエルの王子様じゃない!?」
 やけに詳しいな。まあ、その話は後で聞ければいい。
「モモ、やっぱり肉、食べない? 亀じゃなくなったから、肉食に戻っただろうし」
「だから亀って何? っていうかキスのこと、全然説明してくれる気ないじゃん……!」
「いらない? リゾットだけにする?」
「………………食べますけどぉ!」
 くうう、と悔しそうに言ったモモは、それでもきっと、まだまだ傷だらけだ。
 僕の腕の見せ所は、正しくはここから。
 美味しい料理を食べさせて、一緒に湯船に浸かり、抱きしめ合いながら眠る。モモより先に起きて、モモの大好物を一から仕込んでみせよう。
 モモが頼ってくれるなら、その分僕は頑張れる。
 君は知らないかもしれない。
 けれど、それはやっぱり僕に与えられた、最上の幸福なのだった。


魔法なんかいらない