猫を二匹、一週間だけ預かることになった。
モモが。
その事を知らずに勝手に家に上がった僕は、当たり前だけど二匹を大変に驚かせた。小さい毛玉がゴム毬みたいにびょんびょん跳ねて部屋の奥に散ったていったのを見届けて、ヘナヘナとしゃがみ込む。
僕だって、ゴム毬と同じぐらい驚いた。未確認生命体を、目撃したのだから。
モモ、至急、本当に、至急、応答して。
震えながら電話をかけたら、丁度ラジオの収録を終えたらしいモモが『にゃはは』と、楽しそうに笑った。笑いごとじゃないし、全然楽しくない。玄関でヘナヘナになっている僕を見ても、同じように笑えるのか? ……笑えるだろうな。なんなら「ちょっと写真いい?」ってバシャバシャやり始めて、#ヘナヘナダーリン世界一キュートなイケメン って書かれる。今まで秘密にしていたが、僕には未来予知の能力があるのだ。びっくりしすぎて、僕も混乱している。
『その未確認生命体はねえ、ズバリ! 預かり猫ちゃんですっ! チビシロちゃんと、コシロちゃん』
そして、混乱は一瞬で治まった。あ、なんだ。そう。猫? というか、なんだその名前は。
「……ハイセンスだな」
『どっちも小さくて白かったからつけたんだってー。仔猫なんだから小さくて当たり前なのにさ。大きくなったらデカシロちゃんとオモシロちゃんになるのかなぁ』
「小の対義語は大じゃないのか?」
あるところに、モモと懇意の若手芸人が溺愛している、白猫兄弟がいました。同棲している彼女は旅行に、その芸人は泊りがけのロケに。多忙を極めるモモに白羽の矢が立ったのは、なんてことはない、酒の席での勢いだったそうです。お人好しかつ猫好きのモモは、アルコールの気持ちよさも手伝って、快諾してしまいましたとさ。ちゃんちゃん。
「なるほど、簡潔な説明、有難う。その芸人、馬鹿なのか?」
『どっちかって言うと、受けちゃったオレが馬鹿なんだと思うんだけどにゃ? ユキの愛情、尖ってて最高……♡』
「韻を踏むな」
ともかく。兄弟猫なので、家主が居なくても、寂しがらないのが救いだ、とのこと。そこそこ懐っこく、粗相もしない、かしこい猫なんだそうだ。現在、同棲を始めて四日目。あと三日でやってくるお別れを、既に惜しみまくっているらしい。
なるほど。僕が映画撮影でパリに発っていた期間に、丸かぶりだ。お互い忙殺されていたので、ラビチャを送り合って近況報告をし合う余裕もなかった。というか、何通かモモから貰っていたけど、返信する余裕もなく、毎日気絶するように眠っていた。から、自然と途絶えた。僕の扱い方を心得ているモモは、「なんで返信してくれないの」みたいな面倒なことは言わない。それを言うのは僕の役目なので。言うのはいいが、言われるのはかったるい。僕は僕のそういうところ、なかなか素直で、いいなと思っている。
そう、撮影だ。撮影があった。
こだわりの強すぎる監督から繰り出されるリテイクの嵐に、現場の人間は全員、目の下を真っ黒に染め上げていた撮影が。お噂はかねがねで、出演依頼を受けた時点で覚悟はしていたものの、一日三時間寝られれば〝マシなほう〟とまでは聞いていなかった。し、知っていたら、絶対に受けていなかった。だから伏せてたんです、とはおかりん談。おかりんはいつも正しくて、モモと同じかそれ以上に僕の扱い方を分かっているので、岡崎事務所は今後も安泰だなと思う。
パリでの地獄の撮影をなんとか終え、三日後には日本で残りの全ての撮影が控えている。だからこの二日間は、おかりんがなんとかねじ込んでくれた束の間の休息というわけだ。羽目を外しすぎなければ、なんでもしてください。とおかりんは電話越しに優しく伝えてくれたが、どう考えても僕への贖罪だ。いいよ、許すよ。結果として、素晴らしい体験になったことに間違いはないから。
そうして仕事を一段落させた僕は、身一つでモモに会いに来た。成田から自宅へ全ての荷物を送り、何もかもから解放された心地で、誰も居ないことが分かっている玄関に「ただいま」と声をかけたのだ。
そして、健気にモモの帰りを待っていた未確認生命体――仔猫に遭遇。度肝を抜かれ、今に至る。
出鼻は、見事に挫かれた。
『でもね、勢いで約束しちゃったのは事実だけど、命に責任を持つ覚悟は、あったからね!?』
「……え、なんの話……あ、そっか。そうね。なんで預かったかって話ね。そこは別に、心配してないけど」
『きゃっ! ダーリンったら♡』
「でも、全然見つからないんだよね。どこに居るか、見当つく?」
『んー。逆に、ユキはそこでじっとしてた方がいいんじゃないかにゃあ。逆にビビらせちゃうと思うよ。気まぐれに出てくるの待った方が、楽!』
一理あるどころか、絶対その方がいいのは、分かってるんだけどね。
部屋の片付け中、隠れてしまった猫を気にし続けるのが、面倒くさかっただけで。
モモの部屋はお世辞にも綺麗とは言えないので、帰ってくる前にある程度掃除を済ませてしまいたかった。でないと、僕が落ち着いて、モモとイチャイチャ出来ない。富士の樹海で安眠出来るほど神経は太くないのだ。
いや、ウソ。正直、限界まで眠かったら、寝られるとは思う。でも、安眠ではない。モモの隣では、いつだって健やかに眠りたい僕だ。
理想を言うと、足を踏み入れた瞬間から安眠が約束されているといいんだけど。
半径二メートルの間に点在した荷物に囲まれ、行き場を失って息絶えたルンバを見ながらしみじみ、無理だろうな、と思う。
『ムムム……? ユキってば、今なんか失礼なこと考えてなかったかにゃ?』
「いや、樹海で安眠は出来ないなって考えてただけだよ」
『おっ……とぉ。モモちゃんの想像を軽く超える失礼っぷりだ。べ、別にっ、今はそこまで、汚れてないと思います……けどぉっ!?』
「うーん、どうかな。あ、ほら、あんなところにティッシュの残骸が……」
『えっ、うそうそ。絶対ウソ。ぜっっったいウソ! 生ゴミ出さない生活心がけてるしっ、ほら、そこ! そこのゴミ箱とか、殆ど何も入ってないでしょ!? ティッシュにだって、お世話になってません! 漁っていいから。必ずや潔白を証明してみせるからぁ!』
「ごめんて。落ち着いて、モモ。ゴミ漁りをしに来たわけでも、浮気を疑っているわけでもないよ」
ああ、いいな。
モモって、なんでこんなにうるさいんだろう。その事実が、今の僕には圧倒的な癒やしになっていて、いつもより長く会話を続けてしまう。どうにもこの場から離れがたく、僕は結局リビングから一歩も動けずにいるのだった。
先程のモモのアドバイスにより、猫の捜索も掃除も80%ほど諦めている。四人がけのソファの真ん中に座って、モモとの会話を続けているのが良い証拠だ。
目の前には、最新型のペットカメラが設置されている。ウィーン、とヘッドが動いた。
『そこに乗ってる雑誌、全国的に初日で即完だったみたいだよ』
「らしいね。これ、見本?」
『まっさかー! 自分で買いましたとも! ユキの単独表紙は、毎度百年前から予約してますぞ!』
「ふふ、僕が生まれる前からなら、安心だ」
『でしょ〜? オレには未来予知の能力があるからね!』
「偶然だな。僕もある」
『えっ。オレたち、お揃いだね……っ』
「気が合うな。一緒に住んだりするといいかも。未来予知が出来るアイドルユニットとしてボロ儲けしよう」
『にゃははー!』
モモが明らかに話題を流したところで、ザザーッ、と右側から音がした。見ると、自動給餌器が餌を吐き出している。
ペットカメラに、自動給餌器。ちなみに猫用トイレも電動式。一週間預かるだけなのに、とんでもない力の入れようだ。
いくら後天性セレブでも、独身男性のお金の使い道っていうのは、大体一緒なんだな。
『給餌器、楽だよ。ちなみ今、遠隔操作してみました。自慢したくて』
「時間通りにあげなきゃいけないとか、ないの? そろそろ日付超えるよ」
『大丈夫だよ〜。仔猫たちは躾が行き届いていて、入ってるだけ全部食べたりしないもん。凄いよね。…………見習いたい…………」
「そうね。モモは、お皿に残っているものも、全部食べる」
『ううっ……お耳が、お耳が痛うございます……』
「ここで朗報だけど、僕はよく食べる子が好き」
『……えへ、知ってる! オレも、ダーリンが大好き!』
モモは今、おかりんが運転する車の後部座席に座っている。おかりんの「摂生も大事ですよ〜」という、のほほんとした声が聞こえたから、ほぼ確実に。
会話をスマホの電話口からペットカメラに切り替えて、既に二十分は経っているので、そろそろ帰宅する頃だ。仔猫の捜索はモモに任せて、その間に軽く片付けよう。ちょっとしたタイムロスはあるが、許容範囲だろう。やれやれとため息をつくと、カメラから『幸せが逃げちゃうぞ』と聞こえた。モモもモモで、僕の一挙一動にいちいちコメントしてくるので、相当テンションが上がっているようだった。
それはそれで、まあ、嬉しい。いっぱい眺めるといいよ、と思う。君の為の、イケメンだしね。
ただ一つ文句があるとするなら、僕からモモの顔が見えないこと。これは完全に、不公平だ。今見られっぱなしの分、あとで色んな顔を見せてもらわなきゃ、と思う。仔猫は、邪魔をしてこないように、うまいこと寝かしつけてもらおう。
リビングのソファの横には猫用の広々としたケージが置いてある。そこの扉に鍵はかかっておらず、自由に出入りが出来るようになっていた。リビングと廊下のみを行き来できるようにドアも解放しっぱなしのようで、しかしキッチンに繋がる通路には、絶対に飛び越えられない高さの柵が設置されていた。
見れば、鋏やカッター、ライターなどの危険物はきっちりしまわれているし、ただただ服やバッグが点在し積み上がっているだけの部屋は、なんでもあるようで何もない。仔猫にとって恰好の遊び場であるだけだ。
モモのこういう、気遣いみたいなもの。なんでも愛せる才能。凄いと思う。単純な〝好き〟だけでは、出来ないことは沢山あるから。
『あれ、ユキ、おねむかな? あと五分ぐらいで着くよ。ソファで寝ておく?』
「……まさか。モモを玄関に迎えに行くのが、今日の僕の、一番の重要任務」
『きゃっ♡ じゃあ、早速遂行させてあげよう!』
「うん?」
ピンポーン。わざわざ鳴らされたチャイムは、玄関扉の横に設置されたインターホンの音だった。柄でもなく勢いよく立ち上がって、小走りで廊下を渡り、扉に手をかける。ガチャ、と開けると、そこには鼻から耳から赤くしたモモが、満面の笑みで立っていた。ショート丈のダウンジャケットを羽織って、変装用の黒マスクとキャップ。人差し指でマスクを下ろして、「ただいま!」と開かれた口からは、なつかしの八重歯が見える。
冷気が部屋に流れ込む前に、腕を引いて、ぎゅっと抱きしめた。ダウンジャケットが、物凄く冷たい。けど、離す気には全然なれなかった。
「わわっ、ユキ、熱烈だね?」
「あと五分って言ってたのに」
「サプライズですぞ〜! 驚いた?」
「ふふ、驚いた。地味サプライズだ」
「そうそう。ユキが一番好きなやつ。既に今日は一番のサプライズを食らったあとだしね」
「それもそうね。腰抜かしたよ」
「えっ……? そんなの、めちゃくちゃ見たかった。……今、再現出来る?」
「あとでね」
腕の力を緩めて、モモのキャップを外しながら、まじまじと顔を見る。うん。かわいい。……かわいいな。すごく、かわいい。
「え、なんかユキ、超、イケメンじゃない?」
「モモもかわいいよ」
「……会えない時間がうんたらかんたら……?」
「ちゃんと言って、そこは。僕もあんまり覚えてないけど」
別によく考えなくても思い出せるような言葉を、僕らはあえて思考しなかったりする。そういう遊びだ。二人きりの会話を目一杯楽しむ為の茶番。モモと僕となら、無駄話なんて一生していられる。お互いにしかウケないネタでいいなら、何千と持っているし。
ここで、もっと雰囲気のある、素敵なムードに持っていくことも、出来る。出来るんだけど、一週間ぶりに会うニュートラルなモモが、かわいすぎて、もうちょっとこのモモを堪能しておきたい気持ちにもさせられた。
でもまあ、キスぐらいなら、いいかな。バードキスとか。挨拶程度のやつなら。
モモも、恐らく全く同じことを考えている。普段なら、もっと勢いよく飛びついてきて、なだれ込むように色んなことを勝手にし始める男だ。バーサーカーモモも、趣きがあって素敵なんだけどね。
これは朗報だけど、僕はどんなモモも好きだし、モモもどんな僕だって好き。
二人、全く同じタイミングで、いやに時間をかけながら、唇を近づける。
ふ、とお互いが吐き出す息が唇にかかって、この瞬間が特別好きだった。
にゃう。
「……」
にゃううぅう。みゃう! にゃにゃー!
「…………モモ、静かに」
「いやオレなわけなくない? マジで言ってる?」
「だってこんな、ドラマみたいなタイミング、あり得ないだろ……」
「あり得ちゃいましたな」
でも、僕の脚を見ると、小さな毛玉たちが必死になって攻撃をしかけてきているのが、見える。痛くも痒くもなく、冗談か? というほど軽い猫パンチは、それでも僕に効いた。こんな生き物を、邪険に出来るはずもない。
ぐったりと項垂れると、モモがにゃははと仕方なさそうに笑った。ぽんぽん、と肩を叩かれて慰められる。別にムードを作るためのものでなかったとしても、出鼻を挫かれてからのリスタート、まで失敗するとは思わなかった。
猫の気まぐれも、大概にして欲しい。家主を守らんとする、勇敢な毛玉たちは、家主の手でひょいと持ち上げられた。
「コシロ、チビシロ、ただいまー。ほら、ユキ、リビングいこ!」
「……はいはい」
ぴょんぴょん飛び跳ねるようにリビングへ消えたモモを追って、僕もゆっくり歩き出す。
玄関まで出迎えるという重要任務は、確かに遂行出来た。モモにはひとまず猫と遊んでもらって、ある程度片付けも済ませてしまおう。猫が遊べるように、クローゼットに押し込まれた新品のクッションも出すことに決めた。勝手に。
それで、さんざん遊ばせて、疲れさせる作戦だ。この任務も、相当重要。何故なら僕も、あの小さなかわいい生き物に、抗う術がなさそうだから。邪魔をされたら、きっと構ってしまうだろう。
リビングの真ん中、ラグの上で二匹と遊ぶモモは、大きい猫みたいであり、犬みたいでもある。もう、僕が近づいても、仔猫たちはちっとも怯まなかった。強いな。
そして、ズルい。モモと遊びたいのは僕も同じだ。なんなら僕の方が、よっぽど遊びたがっている。
「モモ。また一緒に住む時は、動物を飼うの、禁止にしよう」
「うん? なんて?」
「だって、その子と僕がモモを取り合って、醜い争いをするんだよ。そんなの、見たくないだろ」
「…………え。ちょっと待って。それは…………。え?」
「目を輝かせるな」
「いやだってそれは……キャットファイトじゃん……? ちょっと、真剣に、考えさせてください……」
「……キャットファイト……? うん? モモ?」
この話題から僕らの同棲生活がリスタートしたのは、また別の話。
結局僕は、一生あの仔猫たちに頭が上がらなくなった。今では、デカシロと、オモシロになってしまった、あの二匹に。