冷えたコンクリートに仰向けに倒れ、全身の熱が奪われていく。
 弾を打ち込まれた左肩だけが、燃えるように熱かった。痛みよりも先に『生かされた』事実に口の端が上がり「あーあ」と笑う。
 刑事さんって、本当に甘い。
 だから万年刑事止まりなんだよ、って、言ったら本当に殺されるかもな。

 *

 目覚めたのは病室だった。
 白色蛍光灯の光が目に染みて、う、と目を眇める。次いで、左肩が包帯で固められていることに気づいた。口の中がやけに乾いていて、舌で歯をなぞり、ぎゅっと噛み締める。肩以外に、痛む所もない。
 こんなにちゃんと治療されちゃったら、一ヶ月もすりゃ治っちゃうなあ、これ。
 殺人犯の爆弾魔を丁重にお迎えして、治療までしなければいけない病院を憐れむ。その選択をした警察という組織に対しては、しょうもなさすぎて、いっそ泣けちゃう。だってそんなの、情けなさすぎない? どう考えても、地獄じゃん。
 だから組織ごと、ぶっ壊そうとしてたのにな。
「生きてんだもんな〜〜……」
「開口一番それか」
 右側から投げられた声には聞き覚えがあった。
 その方向に頭を倒すと、出入り口横の壁に寄りかかり、こちらをじっと見ている刑事さんと、目が合う。腕を固く組んで、警戒していることを隠そうともしない様子だ。
 折笠千斗刑事。名前、綺麗だよね。って、初めて知った時からずっと思っている。
「あ。オレを殺し損ねた無能ノーコン刑事さんだ」
「……出来る限り、生かした状態で拘束。それが上からの指示だ。そうで無ければ殺していた」
「嘘だね」
 刑事さんの肩がピクリと動いて、そんな簡単に動揺を悟らせちゃ駄目だろ、と鼻で笑う。
 正確に言うと、嘘〝だけ〟ではない。上からの指示であることは、本当だろう。ただ、刑事さんはその命に従ったのではない、ということだ。
 散々鬼ごっこをして、銃を向けあったあの瞬間まで、刑事さんの殺意は本物だった。同僚を喪った事実が彼を突き動かしていたのは間違いなく、それの絶望を引き起こしたのは、オレだ。
「刑事さんは分かってたんでしょ。オレが、死にたがってたこと」
「…………」
「だから敢えて殺さなかった。それだけだ。冷静な判断、どうも有難う」
 ――初めて、人を殺した。
 それが例え事故であったとしても、オレが爆破を決行しなければ、有り得なかった死だ。
 いなくなったものは還らないし、還らないから尊ばれる。生死におかれましても、人間ってとても利己的でいらっしゃいますね、みたいな感情も、無くはないんだけど。
 始めは。地位と名誉に取り憑かれ、汚職に手を染める上流階級の人間たちが、どれだけ無能かを世間に知らしめる為の、連続爆破事件だった。
 やられっぱなしの警察組織や公安ごと、社会的地位を奪ってやれれば最高だ。根幹から腐っているなら、そこから破壊して、更地にして、やり直させるのが一番早い。
 無人のビルばかりを狙って爆破していけば、世の中に不満を持った、そこそこ頭のいい一般人はすぐにメッセージに気づく。最終的には勝手にオレを祭り上げて、大騒ぎだ。SNSで拡散されたツイートには『現代のヒーロー現る』なんて言葉が書いてあったりして。
 けれど、世の中がオレに張った〝ヒーロー〟というレッテルは、まるで見当違いだった。家族がどうだ、仲間がどうだ、というお涙頂戴話でもない。
 ただ、オレがそうしたいから、した。それだけだ。
 誰かの為ではなく、この地獄を生きる、自分の為に。
 その時、刑事さんに出会った。
 犯行現場で出くわし、鬼ごっこをしたのが最初。
 自慢じゃないが、身体能力に秀でていたオレが、小細工なしでは全く撒けなかった、初めての相手。
 オレは刑事さんをすぐに気に入って、情報屋に扮して近づき、交流を図った。敢えて――致命傷を負わない程度の――内部情報を漏らし、情報屋としての信憑性を高めるのに執心した。次の犯行現場の予測を一緒に立てるという茶番にも時間をかけ、必ず現場に来てね、と暗に誘いをかけていたのだ。
 いつバレるかもしれないスリルは、生きる歓びを感じさせた。ヒリヒリと肌を焼くような焦燥感と、くらくらするほどの酩酊。
 このサングラスを外したら、あなたは、どんな顔をするんだろう? 少しは傷ついてくれたり、するかな? とかね。
 ――でも、それも終わってしまった。
 だってオレは、人を殺してしまったから。
 だからせめて、最後はお気に入りの刑事さんに、仕留めてもらいたいなって、思ってた。それすら意図的に叶えてもらえなかったんだから、なかなかどうして、鬼畜の所業だ。
 ずっと一緒に動いていたチームメンバーは既に解散、海外への亡命の手筈も整えて出てきた。皆とても優秀だったから、きっとつつがなく逃げおおせることが出来ただろう。
 かつ、かつ、とリノリウムの床が鳴って、刑事さんがベッドサイドに立つ。オレもゆっくり身体を起こして、その姿を見上げた。
 ほんと、綺麗な顔だな。笑った顔は、ついぞ見ることは出来なかったけど。
「――奥歯に仕込んでいたカプセルだが」
「ああ、うん。さっき噛もうと思ったらなくなってて、やられたーって思った」
 へらへら笑うと、刑事さんの顔が歪む。
 この人って、なんで刑事になったんだろ。こんな優しいんじゃ、流石に向いてなくない? オレみたいな犯罪者にも、心を動かしてしまうのって、物凄く疲れる筈だ。刑事さんから見たら、オレって本当に、ただの愉快犯なのに。
 けれど、刑事さんから発された言葉は、オレの予想を大きく裏切るものだった。
「噛んだなら、お前はさっき、死んだんだな」
「………うん? 何?」
「バトラコトキシン入りのカプセルなんて、どこで調達した? まあ、まず間違いなく即死出来るとは思うが」
「え、いや、まあ、色々……」
 刑事さん、会話って知ってる? 何、って問いかけ、聞こえなかったんだろうか。
 そして、ちょっとした感傷に浸っていたことが恥ずかしくなるぐらい、当たり前みたく刑事さんは続けた。
「お前はこれから、警察の犬になる」
「…………は?」
 オレはこの時、初めて刑事さんの前で動揺した。
 繰り出される言葉の全てに脈絡がなさすぎるのだ。点と点が、全く線で繋がらない。
「上層部からの命令だ。お前の能力を見込んでのとことらしいが、僕は納得していない」
「あー……? いや、待って。オレ今起きたばっかだから、ちょっと頭回ってな」
「僕の同僚は」
 語気の強くなった言葉に、身体が固まった。
 この人、こんな声、出せるんだ。僕は目を見開いたまま、続きの言葉を待たざるを得なくなった。
「……長いこと、現警視正の不正を追っていた。独断で捜査を続ける中で、お前の爆破に巻き込まれて死んだ。――ことに、なっている」
「…………」
 もう一度、ちゃんと刑事さんの顔を見た。昏い瞳。一切の抑揚がなくなった声は、無機質な病室に冷たく響く。その中でただ一つ、きつく握られ、震える拳が、この人の燃え盛る怒りを示しているようだった。
「お前が眠っている間のことだ。僕の元に荷物が届いたよ。中身はSDカードと、『頼んだ』とだけ走り書かれたメモだった。カードの中には」
「不正の証拠が入っていた?」
「――ああ」
 よくある話といえば、よくある話だ。
 死期を悟った警察官が、最も信頼の置ける人間に、命より大事な情報を渡す。刑事さんの清廉潔白さといったら、信用に足るに違いない。
 そして、任されてしまった以上、この善良な人間は、捨て置くことも出来ないのだろう。
 強すぎる執念は伝搬すると知って選んだのなら、同僚もなかなかどうして、恐ろしい人だなと思った。
「お前が生かされたこと自体、警視正が裏で進めている違法取引と関係がある。体よく使われた後は、適当に殺されて終わりだ」
「へぇ〜。でもさ、そんなドラマとか映画みたいなこと、本当にあるの?」
「爆弾魔がそれを言うのか?」
「うわ、それ出すのはちょっとズルくない?」
 にゃははと笑うと、勢いよく顎を掴まれた。黙れ、と暗に言われている。想像よりずっと大きな手は、そのままオレの顎を潰しかねない程の力が込められていた。
「お前が一連の連続爆破事件主犯であり、一級犯罪者であることに変わりはない。僕は、到底許すつもりはない」
「……っ」
「だが、お前に殺人の罪をなすりつけた挙げ句、贖罪もさせず使い捨てようとしている奴らには、反吐が出る……ッ」
 顎にかかった手を強く振り払って、口の端に漏れた唾液を乱暴に拭った。
 心臓が、これ以上ないほど強く脈打っている。
 ――だってオレは、この刑事さんを気に入っているのだ。
 そして今この瞬間、オレがずっと打っていた点と、この人が打たざるを得なくなった点が、線になって繋がったのだ。
 打ち震えるような興奮が、そこにはあった。
「ねえ、刑事さん。警察の犬になれってさ、首元に噛み付けってこと?」
「ああ。理解が早くて助かる」
 わはっ、と。心の底から声が出た。おかしくて仕方なく、肩を震わせて笑う。打たれた傷が疼いて、痛みと興奮でおかしくなりそうだ。
 鬼ごっこを純粋に楽しんでいた時の興奮が、蘇ってくる。
 がばりと顔を上げて、はい! と挙手した。
「乗った! オレ、絶対成功させる!」
「調子に乗るな。最終的には、お前を刑務所にぶち込んで、罪を償わせるまでが僕の仕事だ」
「なるほど? あ、じゃあオレの最終目標は――」
 挙手したままだった手を下ろして、刑事さんのスーツの裾を強く引っ張った。体勢が軽く崩れ、近づいてきた唇を、ぺろりとひと舐めした。
「――っ!」
 一瞬で飛び退いた刑事さんは、得体の知れない生き物を見るような目で、オレを見ている。
 うわあ、最高。そんな顔も出来るんだね。
 甘ったれの刑事さん。オレが頬にも毒を仕込んでいたとしたら、あなたは今、死んでいたね。
 これでおあいこだ。ピースサインを送って、にゃはっと明るく笑う。
 オレの、最終目標は。
「刑事さんにぶっ殺してもらうこと!」
 あ、ところでオレの名前、〝モモ〟って言います。
 偶然だけど、めちゃくちゃ犬っぽいでしょう?


Behave Like one Mad