人間の分際で、おまえはなかなか、可愛い奴だ。
妖向けに調合された酒は、人間用のそれとは比べ物にならない程の酩酊感を齎す。
とはいえ、烏天狗程の大妖怪ともなると、効き目なんてあって無いようなものだ。蛟や九尾の狐なんかは、飲む意味がない、ということでそもそも口をつけることすらしなかった。
だから今、人間の目の前でわざと酒を飲んでいるのは、その相手を油断させたいからに他ならない。
烏天狗にとって、この世に顕現してからの生は、全て余暇に過ぎなかった。故にこれも、遊びの一環だ。
九尾の狐は、渋々酒を出しつつも半目でこちらを睨みつけているが、さらりと無視する。代金は色をつけて払っているのだから、文句を言われる筋合いはなかった。
で、この、人間だ。名を、詠という。
俺を使役しようとして大失敗し、体中に穴ぼこが空いた愚かな人間。
蛟のところで治してやったにも関わらず、今でも身体に触れると極端にビクつくから愉快だった。人間はあまりにも壊れやすく、力の加減が難しいことこの上ないが、壊れやすいということは治しやすいということでもある。
壊れたら、また治せばいい。そう素直に伝えると、詠ではなく蛟が「こらこら」と言ってきたので、腑に落ちなかった。詠は震え上がって、その辺で縮こまっていたように思う。
まあ、確かに。無謀にも俺に立ち向かってきた時の、生意気な視線。あれが、一番好ましいおまえだ。無残に負けて、血だらけて横たわる詠は、ちっとも好みではなかった。
だから、助けた。
常に俺好みであることも、負けたおまえの役目でもある。
さて、この詠という男は、愚かな上にそこそこ卑しい。葛ノ葉でラーメンを食べているところをひっ捕まえて、そのまま酒を奢ってやると、始めこそ嫌そうに呑んでいた筈が、どんどんペースを上げて、最終的には泥酔する。途中、烏天狗の酒まで手を出すのだから、その卑しさたるや計り知れない。
妖が口をつけているものを、人間がやすやすと摂取していいわけがないのだ。とはいえ烏天狗も、止めはしない。九尾の狐に色をつけて酒代を払っている理由の一つが、これだ。
余計なことを言うなよ、という口止め料。
普通の酒なら、前後不覚になるまで酔うのにも多少の時間がかかる。しかし、妖用なら話は別だった。酔いやすく、醒めやすい。この効能を詠は知らないし、今後知ることもない。
カウンターに突伏している詠を、隣に座っていた鬼火がつついている。「詠ー、もう閉店だよ〜」なんて声をかけているが、あいにく、そいつはしばらく起きない。それぐらいには、酔わせた。
そいつの遊び相手は、鬼火から、この烏天狗に代わるのだ。
「よし、勘定してくれ」
「……はいよ」
撃沈した詠を小脇に抱え、提示された金額の倍を支払う。
さて、と自分の根城へと持ち帰ろうとすると、九尾の狐が苦々しく口を開いた。視線は、抱えられたままぐうぐう寝ている詠に向けられている。
「本当に、趣味が悪いね」
「そうか? おまえもたまには人間で遊んでみるといい。結構イケるぞ」
「ちょっと! 鬼火がいるんだよ。下衆な話はよしな」
「え? イケるって? 食べちゃうの?」
「まあ、そんなとこだな」
「烏天狗!」
狐の尾が勢いをつけて飛んできたので、ひらりとかわし、さっさと飛び立った。数瞬の間に遠く離れた地上から「しばらく出禁!」という声が響いてくるが、答えず上空へと飛び続けた。
今頃鬼火は「でも詠は生きてるよ?」なんてことを九尾の狐に聞いて、尾で頭を叩かれているだろう。
それにしても。こんな上客を出入り禁止にするとは、とんだ横暴店主だ。実のところまったく商売っ気がないので、そういう所は少し面倒だった。
*
人の手を離れた寺院を根城にしてから、八百余年が経つ。
時々下級妖怪達に掃除を手伝わせているので、清潔感は保たれていた。正直、全く気にしないでいられるのだが、ここ数年で詠を運び込むようになってからは、若干気を使うようになった。ならざるを得なかった、と言う方が正しい。
初めて詠をここに連れ込んだ時、埃にやられて咳が止まらなくなった上、酔わせていたのもあって、服の上に戻されたのだ。あんな最低なことは、二度とあってはいけない。まさか人間の介抱をする羽目になると思わず、本当に散々だった。
そもそも、服を汚されたのなんて、顕現してから初めてのことだ。反射で殺しかけたが、詠があまりにも苦しそうに呻くので、それはそれで悪くはなく――結果殺されずに済んだのだから、こいつもまあまあ運がいい。
いや、おまえが吐いたのが悪いんだが。
寺院は今にも崩れそうな崖際に面しており――人が寄り付かず廃墟になった一番の理由だ――、東側の露台はそのまま寝所の近くに繋がっている。詠を抱えたまま露台に降り立ち、下駄を脱いで部屋に上がった。
二十畳はあるだろう居間を抜けると、竜虎が描かれた巨大な襖が現れ、そこを開けるとすぐに木造りの寝台が見えた。金作りの天窓は吊灯籠のぼやけた明かりで鈍く光っている。内装は朱赤で統一されていて、なかなか趣のある部屋だ。
寝台の上に、未だへばり続ける詠を放り投げ、「おい」と声をかける。
「詠。いい加減起きて、俺の相手をしろ」
「ぅあ……?」
そろそろ酔いも醒める頃だろう。仰向けに寝転がる詠の、無駄に凝った制服を片手で脱がしながら「詠」ともう一度呼ぶ。ピク、と肩が動いて、閉じられていた瞼がゆっくりと持ち上がった。
躑躅色の瞳が、烏天狗をゆらゆらと映している。飴玉みたいだと一度舐めたことがあるそれは、塩辛くて不味かった上、詠が泣き喚いて鬱陶しかったので、もうしていない。
「……からすてんぐぅ……?」
「さんを付け忘れてるぞ、詠」
「ァ〜……? ……うっさ……」
「く、……おまえ、酔ってる間は本当に強気だな」
あまり名前を呼びすぎると妖力を帯びるので、注意が必要だった。〝詠〟が真名ではないにしろ、人間相手にはそこそこの威力を持ってしまう。操りたいわけではない。むしろ、抗って欲しいのだ。
帯刀された刀が邪魔で、その辺に放る。すると、やっと意識が戻ってきたらしい詠が「あ!」と声をあげた。流石に、命綱である刀をやすやすと手放せる程ボケてはないらしい。がばりと勢いよく起き上がり、きょろきょろと辺りを見回す。
ひぇええ。気が抜けるぐらい情けない声が、詠の口から漏れた。
「ちょっ……こ、ここ、え!? いつの間に……」
「おまえがへべれけになっている間に」
「ええ!? な、なんでだ……!? 僕そこまで酒、弱くないのに……。最近なんかヤッバいな……え、年……? いやでもこの大妖怪に比べればまだピッチピチの……」
「ごちゃごちゃうるせェな。早く遊ばせろ」
「ぎゃあっ!?」
上半身に身に付けていた衣服を全て剥いで、顕になった薄っぺらい皮膚に触れる。
「ひっ……ッ」
いつも通り怯えられて、一気に面倒くささが頭をもたげる。
いや、いや。ここで乱暴したら、今度こそこいつが死ぬ可能性が高い。死なれるのは、少し困る。この面倒すら、愉しむと決めたのだ。
詠が身を固くするのを無視して、ぺたぺたと肩や胸、腹に触れていく。
「う、ぁ……っ、つめた……っ」
「……はあ。毎回言って飽きねぇのか? それ。妖の手がぬくいんじゃ示しがつかねぇだろうが」
「あ、あ、アンタこそ毎回僕のこと抱いて飽きないんですか!? 大妖怪様のくせに! 大妖怪様のくせに〜〜〜!!」
ああ、抱かれる気はあるんだな。
半泣きで叫ぶにはあまりに間抜けな内容で、思わず笑ってしまう。く、く、と喉を鳴らすと「笑いごとじゃないんですけど!?」とまた喚かれた。
すっかりと酔いは醒めているようだった。感度が鈍いままで終わらなくてよかったな、と頭を撫でる。だってそんなのは、勿体ないだろう。
たかだか人間如きが、俺とまぐわえることなど、そうないことだ。
「口をあけろ、詠」
嫌そうに顔を顰める詠の小さい顎を片手で引っ掴み、唇を重ねて舌を捩じ込んだ。詠の舌は短く、分厚い。その〝もの足りなさ〟が愉快で、自分のそこそこ長い舌でもって捕らえて、舐るのが好きだった。
「んっ、ぇうっ、ぅ」
何度繰り返しても、口吸いすら一向に上手くならない。女遊びぐらい派手にやっているものかと思ったのに、妙に初心なところも、唆る。舌先で上顎を撫でながら、耳の穴を塞いでやると、躑躅色に膜が張った。
「ふぁっ、んっ……」
ぐちゅぐちゅと鳴る粘膜の音が頭の中に響くのが、詠は苦手らしい。というより、気持ちよすぎて怖いのだという。
酔うと全部白状してしまうおまえから聞いた、とても有用な情報だ。馬鹿で、愚かで、卑しくて、そういうところ、とても助かる。
指を離し、舌をずるりと抜き取って、今度は身体に這わせていく。首筋には歯を立てて、詠が震え上がるのを笑った。こんなに身体を火照らせているくせ、怖がることも止められないのだ。
性の歓びに翻弄されながら、本能で「死にたくない」と叫んでいる。下手したら、気をやりそうな程の恐怖だろう。
普段であれば、泣かれるまで腔内を犯してやるのだが、今日の俺が機嫌がいい。さっさと抱いてやろうと、胸元の飾りを舐めようとしたところで――「待って」と頭を掴まれた。
――は? おまえ、今、俺の頭を掴んでんのか?
驚いて顔を上げると、詠の熱っぽい瞳と視線がかち合う。潤みすぎて、もう殆ど泣いているような顔だった。
情けない表情に、自然と口角が上がる。たったそれだけで、頭を掴まれたという、無礼すら許してしまえる程。
「ま、まだ、……もっと」
「……もっと?」
「もっと、お、おかしく、してくれない、と……」
切なげに寄せられた眉が、詠の葛藤をそのまま物語っている。
なるほど、まともな神経のまま、抱かれたくないのか。もっと嬲られて、ぐずぐずにされたいって?
気をやりそうな程の恐怖、だなんて。俺は少し、おまえを見くびっていたかもしれない。そもそも出会ったその時から、おまえの気はそこそこ触れている。
確かに、詠の要求を呑み、情欲に全身を浸らせてやることも、悪くはない。
が。それはまた別の機会に取っておくことにする。
「詠。いい仕事をしたな」
にっこりを笑って、そのまま下半身に手を伸ばした。「は?」と大いに狼狽える声に、喉だけでくつくつと笑う。
「お望み通り、今日はこのまま、抱いてやる」
「え? は? や、んなこと言ってな、っ、あっ、やめっ……!」
下履きの中に指を差し込む。おまえが正気で居る間中、これ以上ない程まともなやり方で、抱いてやろう。
そんなクソ程の面倒を、俺に指図するのはおまえしか居ない。
慎重に、名前を呼ぶ。意識を、俺に集中させろ。決して、飛ばすなよ。
「詠」
口元を隠していた腕を無理やりどけて、触れるだけの口づけをする。
それすら泣いて嫌がるくせして、詠の腕は俺の首に巻きついてくるのだった。
人間の分際で、おまえはなかなか、可愛い奴だ。
*
ずるずるとラーメンを啜る音が、はた、と一度止まる。
「詠、今頃食べられちゃってるのかなあ」
と、ちっとも心配していない口調で語る鬼火に、九尾の狐は心底かったるそうにため息をついた。
らーめん葛ノ葉はとっくに店じまいを済ませ、今は鎌鼬が作るラーメンを鬼火と啜っている。勝手の中で油揚げを頬張っていた鎌鼬が、ごくりと飲み込んだあと、鬼火に問いかけた。
「なんの話だ?」
さっきも尻尾で叩いて叱ったのに、鬼火はそのことをすっかり忘れているようだった。こんな子に育てた覚えはないのだけれど。九尾の狐が半目で見つめていることすら、鬼火は気づかず続ける。察しが、悪すぎやしないか。
「あのね、烏天狗は詠を食べちゃうんだって。『結構イケる』って言ってたんだよ!」
「へ!? じゃあ詠、死んじまうってことか!?」
「それがさ、もう何度か食べられてるみたいで……。でも、詠はボクたちと一緒にラーメン食べてるでしょ? どういうことなのかな〜って」
「……おん? なあ鬼火、もしかしてだけど、それってさぁ……」
「鬼火。麺が伸びるよ。早く食べな」
「あぁっ、ほんとだ! はーい」
九尾の狐の急な割り込みに、鎌鼬も完全に合点がいったようだった。二人で目を合わせ、はあ、と同時にため息をつく。
「こんなこと言っちゃなんだけど……烏天狗って、変なヤツだな」
「とにかく、趣味が悪い。その上、わざわざ人間の真似事をしているんだから、世話ないね」
そもそも、烏天狗には妖術があるのだ。人差し指を詠の額にトン、と触れさせるだけで、頭なんてどうとでも弄れる。それを断固として使わず、わざわざ妖向けの酒で落とそうとしているあたり、回りくどくて仕方なかった。
いつでも乱暴を働いています、なんて顔をしながら、誰よりも大事に扱おうと、努力しているわけだ。
ああ嫌だ嫌だ。見ているこっちが恥ずかしい。なおかつ、烏天狗本人がそれに気づいていないことが、何よりも厄介だ。これ以上巻き込まれたくないし、惚気られたくもない。
そういうのは、人間のすることであって、妖怪には無縁の感情だ。
「長生きしすぎるってのも、考えもんだね……」
「九尾の狐が言うと、説得力あるな〜」
「えっ、えっ? 九尾の狐、死んじゃうの!? ボクのこと置いてったりしないよね!?」
ガタンッ、と席から立ち上がり騒ぎ出す鬼火を、六本の尻尾でぐるっと巻いて黙らせる。
「むあっ!」
「いいから、おまえはちょっと寝てな」
残りの尻尾でするすると撫でると、鬼火はあっという間に尻尾の中で眠ってしまった。まだ生まれたての赤ん坊には、これが一番効く。あまりにも簡単に眠らされた鬼火を見て、鎌鼬が苦笑を漏らした。
「子育て、大変そうだな……」
「なんだ。何か言ったかい?」
「ひえっ! な、なんでもありません……!」
分かっている。これもまた、人間の真似事であるということを。
なんとも柔いところを撫でられたようで、腹立たしい。全てはあの大馬鹿妖怪、烏天狗のせいだ。
次の勘定は五倍にして請求してやろうと、新たに心に決めたのだった。