おまえの都合だろ。
 って、あの言葉を言われた時、オレの心がどれだけの恐慌状態に陥ったか、ユキは知らない。
 なのに、ついさっきやり取りをしたラビチャで、同じことを言われた。
『今日はオレ、飲み会入ってて帰れないや。ごめんね!』
『僕が今すぐ会いたいって言ってるのに、飲み会優先なの?』
『いや、完全に外せないヤツ! 大御所に手酌させるわけにはいかないでしょ〜!?』
『させておけばいい。おまえは頑張りすぎるし、その頑張りのお陰でないがしろにされ続ける僕のことも考えて。僕のためって言いながら、おまえの都合で動いているところ、あるだろ』
 なんて饒舌。怒り心頭というところだ。
 そんなユキからパーフェクトな正論を浴びせられて、それ以降は完全に無視を決め込んだ。飲み会が始まった体にすれば、別段問題はなかった。
 そんなの、言われなくたって分かってるよ。なんなら、言われ続けているからこそ理解してる。オレがオレの都合だけで動いて、それをユキが全く、望んでいないこと。
 けれどそれは拒絶でもなんでもなく、オレの努力を慮った上で〝一緒にやっていこう〟と言ってくれているのだ。単純に、ユキの思いを素直に受け取れないだけの話で、物事を複雑にしているのは、他でもないオレ自身なのだった。
 でも、それを、頑なに認めたくない時が、ある。それが例えば今日だ。 年に一回ぐらい、持ち前のポジティブさも鳴りを潜め、アンガーマネジメントもままならず、誰かを傷つけてでもいいから自分が楽になりたいような瞬間が、訪れる。
 とはいえ、一度地の底まで落ち込めば、あとは復活するしかないと、分かっているだけマシだった。
 だから今、オレはソファの上で丸まり、永遠に鳴り続ける着信から、じっと身を隠している。息を潜めて、自分の存在ごとなかったことにして、自分が眠りにつくその瞬間を待っていた。

 今日の収録で、最悪の失敗をした。
 大御所相手にたった一言、余計なことを言った。それは接続詞を間違えた程度の些細な言葉で、しかし、相手の地雷を踏み抜いたのだった。言った瞬間、肌で感じた〝怒気〟は、思い出すだけで鳥肌が立つ。急激に激昂した後に離席され、戻ってきた頃にはなんと三時間が経過していた。幸い、他の共演者に次の予定はなく、あったのはただ一人。
 そう、オレだった。
 しかも次の収録は生放送で、自分がメインMCという、考えうる限り最悪のパターンだった。結果オレは途中退場。地獄の空気を取り残した状態で、次のスタジオでは笑顔を振りまいたわけだ。
 生放送が終わった瞬間、共演者の一人に連絡を入れたものの「大変だったよ、お疲れさん」と、返事はそれだけだった。
 それは間違いなく労いの言葉だったのに、オレの心は、ポッキリと折れてしまったのだった。
 ああ、これ、本格的に駄目なやつだ。
 きっとこれで共演NGを食らって、暫くあの局での出演数は減るだろう。よりによって星影の大御所は、オレの範疇外だった。
 あーあ。あの番組、MCの後釜狙ってたのに。こうして努力が水泡に帰すのを、デビューから何度繰り返してきただろう。
 いくら絶対王者と持て囃されようと、齢六十ともなる相手からすれば、この世界に踏み入れてから五年のアイドルなど、超がつく若手に過ぎない。
 奢らず、気取らず、セレブネタには〝後天性〟と必ず添えて、『お茶の間のアイドル』としての地位を獲得してきた。芸能歴という今すぐにはどうにもならないものに対抗するには、大衆を味方につけ、市民権を得ていくしかないと踏んだのだった。
 努力をするのは当然で、打算も計算も必要なスキルだ。
 全ては、ユキのため、そしてRe:valeのために。
 ……だったのになあ。あーあ。あーあ!
 着信は、依然止まらない。どれだけ鳴らされたところで、絶対に出ないと決めていた。今来られたら、確実に喧嘩になる。
 ごめん、今日はちょっと、慰められない。
 かといって、慰めて欲しくもない日だ。
 明日になれば必ず元気になります。誓いますから。誰に言うでもなくそう呟いて、オレはソファの上、もう一度ぎゅっと丸まり、ゆっくりと目を伏せた。



 百回連絡をいれて、九十八回無視された。それは即ち、モモが物凄く落ち込んでいるサインだ。
 地の底まで凹んでいる時、モモは誰の力も借りない。他でもない僕にすら、いや、僕だからこそ、一切の連絡を断つのだ。
 モモ。言っておくが、それは逆効果だ。いや、言わないけど。言ったら、厄介なことに、対策を立てられてしまうし。
 そうして、車を飛ばしている深夜一時。モモはきっと深い眠りについていて、僕が訪れた瞬間、驚いて猫みたく飛び起きるだろう。歓待はされないだろうが、それでよかった。モモと違い、僕はモモの顔を見ることが出来れば、十分なのだ。それだけで、つい一秒前まで腹に据えかねるような絶望的な苛立ちが、すっと治まる。モモの寝顔だけでも八割、声が聞けたら言うことなし。
 だから今、モモを摂取する前の状態である僕は、大変に腹を立てていた。
 それは、つい先程まで共演していた男から、本日のモモの〝失態〟を聞かされたことに起因する。
 あんな大御所怒らせて、自分の番組優先出来んの、ちょっとびっくりしちゃったわ。緊張した顔で頭下げて帰ってったけど、ポーズにしか見えなかったし。大失態してリカバリかけらんないの、ヤバいよ。もっとうまくやれると思ってたのになあ。残念。
 思い出すだけで、愚かすぎて目眩がするし、こめかみに青筋が立つ。僕に金色のバットを握らせてさえくれれば、選択の余地なく、あの場を鮮血に染め上げてやったのに。
 人間として認識出来ない相手と、喋ることは難しかった。与えられた全ての言葉を素通りし、さっさとその場を立ち去ることにする。完膚なきまでに無視された男は酷く憤り、背後で喚いていたけれど。そんな陳腐な怒りで済ませられるだけ、良かったじゃないか。
 僕に殺されなくて、良かったな。業界の先輩だろうがなんだろうが関係なく、僕はやってしまえるのに。
 そう、僕にとっては、関係ないのだ。
 芸能界を追放されたとして、たかだかそれだけのことで、Re:valeは死に絶えるのか?
 それはNOだ。
 僕とモモが二人で居れば、それはもう、Re:valeだろう。それにあの岡崎事務所が、みすみす僕らを手放すとでも思うか? 僕はそもそも始めから、芸能界に執着がない。即ち未練もない。テレビをメインストリームとしなくとも、Re:valeは、どこでだって、やっていけるのだ。
 だから、モモ。おまえが一人で、そこまで背負って、傷つき、思い悩む必要はない。けれど、それがモモのプライドであることも、知ってるよ。
 だから僕がすることは一つだと決まっている。
 ただ、顔が見たい。

「モモ、起きて。……モーモ」
「……ぅ……? ……は!? な、なんで……ここが……」
「まあ、おかりんに聞いたからね」
「お、おかりん……ッ。おかりーん!! やっぱり買収するんだった〜!!」
「寝起きとは思えない元気さだな」
 モモが眠っていたのは、岡崎事務所の仮眠室だった。
 飲み会がどうせ嘘であることは過去の経験上分かっていたし、僕がいつでも家に上がり込めることを、誰より理解しているモモが、家にそのまま引き籠もっているとも思えなかった。だからある程度、居場所にアタリをつけて、まずおかりんに連絡。僕からの連絡を心待ちにしていたおかりんは、すぐに教えてくれたというわけだ。
 わざわざ収録現場から一度帰宅して、部屋を掃除した。モモを寝かせる為のベッドに、シーツを掛け直して、一緒にぐっすりと眠る手はずは済ませてある。
 モモが顔を青くしながら「今日は本当に」と言ったところで、唇に人差し指をあてた。それだけで黙ってしまう、モモもモモだ。狂犬くんの頃の気持ち思い出して、ひと思いに噛んでしまえばいいのに。君はもう、それが出来なくなってしまった。僕のせいかな。……僕のせいだな。
 不安げに上目遣いで僕を見るモモは、それこそ犬みたいで可愛い。僕の機嫌はすっかり直って、幸福感でいっぱいだった。もう、怒りを向けていた相手の顔すら覚えていない有様だ。
「喋らなくていいよ。僕のこと、気にする必要もない。もう一回寝てくれれば、僕が下に運んで、家に連れて帰る」
「……う?」
「寝て、起きたら、隣に僕が居る。そんなにハッピーなことないでしょう。幸せのウーバーイーツ的なやつだよ」
 そうおどければ、モモの顔が、くしゃりと歪む。静かに俯いて、きっともう、鼻先は赤くなっているね。

 モモの脇に両腕を通して、よいしょと持ち上げる。
 脱力したモモはとびきり重くてびっくりしたけれど、いつだって、これぐらい寄りかかってくれて、いいんだよ。


守ってあげたい