その日のオレはというと、とにかく、疲れていた。
 年末年始の特番準備で、恐ろしい数のロケが重なってしまった十一月後半。二週間で熊本→福岡→広島→大阪→名古屋→静岡→東京での収録及び移動は流石に無茶で、名古屋あたりからの記憶は、ほぼ無い。
 ユキとのロケは熊本・福岡のみ、その他はオレ一人のレギュラー仕事だ。お仕事、沢山いただけて、有り難いです。不肖、Re:vale・百、まだまだ働き盛りの二十六歳(最近誕生日を迎えました!)、もっともっと頑張ります。頑張らせていただきます。いつどこで何を聞いているか分からないスポンサー各位、何卒!
 なんて心の中でも手を合わせてしまうほどには仕事モードが抜けきらないことを思うと、最初の二日間でユキを補給出来ていなかったら、とても乗り超えられない修羅場だった。
 東京駅に着き、おかりんの運転する車の後部座席でユキにただいまの連絡を入れ、帰宅。本当はそのままユキの家に遊びに行きたかったけど、行ったところで体力が底をついて、いつか寝るだけだ。ユキも連日の収録とアルバム作業で限界まで疲れているだろうし、そもそも明後日まで待てば、二人揃ってオフである。そう、オフがなのである。
 これ以上の詰め込みは生命の危機一直線だろうということで、おかりんがそれこそ死守してくれた丸一日。大事に大事に使わせていただくことにする。
 スマホがピロリンと鳴って、慣れた手付きでラビチャの通知画面を開いた。オレが勝手に設定したラビチャのユキのアイコンは、一緒にきつね村に行った時のきつねだ。モモみたいで可愛い、と言っていたので、嬉しくなって設定した。ただし、ちっともオレみたいではなかった。
『もてなしてあげたいけど、今日はゆっくり寝て。明日、僕の家に来るといい』
 一気読みして、うっとりとため息をつく。ユキの優しすぎる返信に、顔面がどろどろに溶けそうだった。こんな顔、例えユキ相手でも見せられないな。流石オレのダーリン。文字だけでも超絶ウルトラハイパーイケメン!
 明日のインタビュー五連発からのCM撮影、死ぬ気で捌き切ろうね。
 うーん、想像しただけで、ちょっとグロッキーだ。凄いな。明日のスケジュールも「マジ?」って感じだな。
 この業界限定で、年末年始〝だけ〟飛ぶように売れるという、ギリギリ合法の薬……には、一生手を出さないことを誓います。時既に遅しかもしれませんが、出来る限りクリーンなRe:valeで売っていきたい所存です。何卒、何卒宜しくお願い致します! スポンサー各位ー!

 で、冒頭に戻る。
 疲労が限界まで達した身体は、交感神経がバカになって、しばらく眠れないのが常だ。こういう時は目を閉じてじっとしているのが正解なんだけど、それもなんだか落ち着かない。そんな時にオレが起こす行動は、一つ。
 そう、SNSのエゴサである。
 もう、全然ダメ。普通だったら、明らかにやっちゃいけないやつ。
 でも、オレは違う。
 ファンの子たちの褒め言葉とか、そうじゃない人たちの厳しめの意見とか、色々無節操に読んでると、頭が文字でいっぱいになって、いつの間にか眠れちゃうのだ。勿論、ファンの子たちの言葉は、頭がしゃっきりしている時に改めて読んでいる。
 やると決めたら、即だ。ぬるま湯でザッとシャワーを浴びる。湯船は明日の夜、ユキの家の恐ろしく広いバスタブを使わせてもらおう。久々だし、一緒に入ってもいいなと思う。
 濡れてしなしなになった髪の毛には丹念にドライヤーをあて、スキンケアもしっかりと。寝室の電気を消して、ベッドに飛び込み、間接照明をつけたら、オレの独壇場だ。
 エゴサ、そりゃもう超得意です。みんな、色々と検索避けかけてくれてるけど、パターンは決まっているし。アンチの皆々様のご意見も大事にしたいので、わざと絵文字の方で検索をかけたりもする。雪の結晶と、桃でしょ。知ってるよ。
 すいすいとラビッターの検索画面をスワイプしていく。スワイプ中にもどんどん未読のつぶやきが上の方に溜まっていくのは、有り難いことこの上ない。
 ――あ、この前ピアス変えたの、みんな気づいてくれてる。お、あのゲストとの相性悪かったの、バレてなくて良かった。はあ、なるほど、あの話題あんま評判良くないな……次からアプローチ変えてみよ。うんうん、ユキはいついかなる時もイケメンだよね、分かる分かる!

 ――――…………うん?

 スワイプの手が、ピタリと止まる。無断転載の(ダメだよ!)ラビチューブURLが貼られたりなどは良くあるが、全く見覚えのないURLが現れたのだ。オレとユキを表した絵文字が並んでるだけの、やけに質素なツイート。リツイート数は0なのに、いいねの数が結構ついているのが不思議で、フィッシングサイトへの誘導、というわけではなさそうだ。
 ――ここで、改めて弁明させていただく。
 この日、この時、オレは本当に疲れていて、判断力が普段の千分の一だった。触らぬ神に祟りなし、見ざる聞かざる知らぬ存ぜぬ、それが暗黙の了解であることも、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。
 故に、普通にそのURLを、タップした。
 すんなりと新しいウィンドウが開いて、十八歳以上かの質問に三文字で答えて、エンターボタンを押した。
 そこには文字がいっぱい、そりゃもういっぱい並んでいた。
 そこで一瞬で気づいて、閉じればよかったのに。
「あ、丁度いいや。これ読んで寝よ」
 オレってば、〝文字で頭をいっぱいにしたい〟気持ちが先行しちゃって、読み始めてしまいました。
 何をって――……オレとユキが、エロいことしてる小説を。


 驚くべきことに、気づいた時には朝だった。
 トップアイドルが聞いて呆れる。体調管理能力、皆無かな?
 スズメがチュンチュンと鳴き出して、遮光カーテンの隙間から光が差し込み始めた、午前六時。詳細は省くが、様々な方法でもって、ありとあらゆる小説を読み漁ってから迎えた朝は、いつもより輝いて見えた。
 ――端的に言って、最高だった。
 〝そういう〟世界があることは、当然知っていたし、夫婦漫才について雑誌などでも「BL的」と表現されることは多々あって、それ自体、全然気にはしていなかった。
 ですよね、ぐらい。意外な需要に、感謝! とも。
 あの時うっかり見つけたアドレスは、あの瞬間、間違えて投稿されたものらしく、以降、ついぞ見つけることは出来なかった。
 あの人に、お礼を言いたいな。当然、そんなことしたら、多分心臓を止めてしまうから無理なんだけど。
 ぎゅっとスマホを握りしめ、抱きしめるように腕で包む。胸がドキドキして、ときめきが止まらない。
 小説の中のユキってば、超、大胆だった。控えめなのに、やる時はやる男でもあった。スパダリなのに、いじらしくて、不器用だ。それって完全に現実のユキじゃない? と思うかもしれないけど。それも、そうなんだけど!
 ファンの子たちは、オレたちが見せたいと思っている姿しか知らない。だから、現実のユキとも、オレとも、やっぱりどこか違うのだ。
 思うに、世の中には、ユキのキュートさがまだ知れ渡っていない可能性がある。そこはちょっと反省した。オレの腕が足りないばかりに。来年の目標は、ユキがどれだけキュートでラブリーかを、世の中に分からせること。これに決まり。
 にしても、だ。
 普段から意見の相違で喧嘩をするオレたちに、性愛なんて絡んだ日には、大変なことになるのは火を見るより明らかで――だからこそ、フィクションでそのいざこざを〝楽しんで〟しまうっていうのは、目からウロコの大発見だった。
 例えば、意外と竹を割ったようなところのあるユキが、オレとの終わらない喧嘩に頭を抱えて「もう、黙らせるために、抱こう」と決意するシーンなんて、オレのハートをぶっ刺して、暫く悶え狂って大変だった。
 ユキって実際、面倒ごとを解決するために、女を抱く男でもあった、らしいし。今は勿論分からない。そういう話を積極的にすることはない。そもそも相方の性事情とか知らないでおくべき情報No.1でしょ。
 誰よりも身近にいるのに、恋人の有無すら把握していないから、不仲説が流れる。
 でも、知ってどうするの? って話じゃない? 「付き合うのやめて」とか言うのか? なんの権利があって? 色々考え始めると、自分の複雑な乙女心のようなものが悲鳴をあげ始めるので、気にしないのが一番だ。
 週刊誌にスッパ抜かれたら、そこでやっと報告。これが一番後腐れがない。とはいえ、暫くその予定もないけれど。
 でも、創作上のユキは、オレに彼女が居たことを後から知って、めちゃくちゃ嫉妬する。「なんで言わないんだ」って聞かれて「言う必要ないじゃん」ってオレが答えると「モモは僕のだろ」って、当たり前みたいに言うのだ。
 ――……うわ、危ない。死ぬかと思った。いや、今この瞬間、二回ぐらい死んだかもしれない。凄くない? こんなこと、言ってくれること、ある? いや、無い。実際問題、マジで無い。
 作中のオレはどうしても素直じゃないので、その発言にも内心喜びつつ怒っていたけれど。読んでいたオレは、一瞬で完全降伏。服従のポーズだ。メロメロ状態がいきすぎて、目の中にハートが五個は浮かんでいただろう。
 そこから、口論しつつそのままセックスに雪崩込んでしまうのも、ダメな大人っぽくて、良かった。良かったなあ。
 現実では、そう上手くはいかない。そもそも、オレとユキは、セックスをしないからだ。セックス、しないんだよな。しないのか。なんでだっけ?
 いや相方だからだよ。
 三秒ほど間を置いてから、ベッドの上で「んぎゃ〜〜〜」とごろごろ転がりまわる。
 凄い。二次創作って言うんだっけ。凄いな。めちゃくちゃ癒やされちゃった。これ、暫くオレの秘密の趣味にしちゃおう。疲れた時に読む、特効薬として。絶対に絶対に誰にもバレないようにするために、それ用のスマホでも買おうかな。うっかりアドレスコピペして、うっかりどこかに貼ったりなんかしたら、大変だ。大事件だ。出先でも読みたいけどそれも我慢する。よし、専用機として、中古で一台スマホ買っちゃおう。
 善は急げと早速ネットで新品中古のそれを購入し、オレはよいしょと立ち上がる。
 一睡もしていないせいでクラっときたけど、果てしない高揚感のお陰で、ちっとも苦ではなかった。

 おかりんの運転する車に乗り込んでも、オレは懲りずに今朝読んだ小説を反芻していた。あと五分もすれば、ピックアップされたユキが乗り込んで来るから、それまで時間を有効に使おうという魂胆だ。
 それほどまでに、衝撃の出会いだった。大好きな監督が撮った新作映画が、なんの前触れもなしに公開されたような、そんな衝撃。人生の中でも、数回あるかないかのレベル。昔から漫画も小説もそれなりに読んできて、物語の世界に没入するっていう体験は良くしてきた方だけれど。
 アイドルって、不思議だ。ドラマのキャスト当て書きどころか、自分そのものを題材にした作品を読む機会が訪れるのだから。
 小説の中では、いろんなオレとユキが居た。見た目のままにクール系で、実は夫婦漫才もビジネスの為にやってますって割り切り型のユキとか。オレは割と、元気でハッピーなタイプが多くて、その割に、意地っ張りだったり。あまりドロドロした感情を抱えているタイプのオレは居なくって、こっちはセルフプロデュース、大成功の予感。
 けれど、どのタイプのオレたちにも、決まって使われるのが「相思相愛」という言葉だった。
 相思相愛な二人、相思相愛のように見える二人、相思相愛になって欲しいと願われている二人。
 相思相愛って言葉が、似合うのか。オレと、ユキって。色々あったけど、ありすぎたけど、そしてこれからも、いっぱい色々あるだろうけど、ファンの子たちから、何度も念を押すように〝そう〟だと言われると、本当に〝そう〟思えるから、いい。
 創作って、願いであり、祈りでもある。それは、ユキの曲作りを間近で見ている身として、それなりには分かっているつもりだ。願われているならば、それぐらいは叶えてあげなきゃな、という気持ちにもなった。
 そう。オレとユキは、相思相愛なんです。嘘じゃなく、ラブラブだよ。
 うんうんと一人で頷いていると、気づかないうちに地下駐車場に潜っていたミニバンに向かって、真っ白な人が近づいてくるが分かった。自動扉が開いて、首にストールを巻きつけた、そこそこ冬仕様のユキが登場した。
 十二月に入る今日、朝の八時は結構冷える。
「おはよう。よく眠れた?」
「…………そうね」
「ありゃ、まだおねむさんだ。オレの肩、使っていいよ」
「うん」
 ユキはオレの隣に座ると同時に、差し出された肩に寄りかかり、本当に眠ってしまった。ちらりと横目に見ると、絹のようにつやつやの髪の毛がストールに巻き込まれて、ボブヘアみたいにもこっと盛り上がっている。それ、女子高生がなっちゃうやつじゃん。超、可愛いね。りばーれ ゆき ふゆのすがた。
 昔から香水の類にも興味がなく、何もつけていない筈なのに、ふわっと優しい香りがするのも素敵だ。オレは、TOPによって香りを使い分けてしまう、割とあざといタイプだから。自然にいい香りなユキって、つくづく本物だよなと感心してしまう。
 ――……さて。
 いつもだったらオレも、ユキの心地よい重みに身を任せるようにして、ゆっくり体重をかけあって寝てしまうんだけど。今日は、全くそうする気になれない自分が居た。
 連日の過酷過ぎるロケに加え、昨夜から一睡もしていない身体は、今すぐにでも眠りにつきたい筈なのに。運転が荒いせいだとか、そんなこともあり得ない。おかりんの運転は、そこそこ飛ばしている割に静音でスムーズ、オレたちの快適な睡眠の為に編み出された特殊な走法であるとかないとか。
 だとすると、オレの心持ちの問題……以外に、ないよね。そりゃね。
 だって、ユキ、いい香りなんだもん。小説の中のユキは、結構きつめの香水、使ってたな。現実の方が攻撃力が高いの、凄いよね。
 一度意識してしまうともうダメで、ユキの髪の毛が触れる感じとか、低い体温がゆっくりとオレに染み込んでくる感じとか、全部にじわじわ緊張してしまう。昔、まだユキと組んだばかりの頃を思い出すような、でもそれとも違うような感覚。
 ……っていうか。
 ヤバい。完全に、小説に影響されてる。
 そんなことある? って思うでしょう。ありました。完全に、あるんです。オレって、創作物に影響、結構受けやすいタイプだから。演技も、理論型より憑依型だから。
 思い込みは、強い方。どうも、Re:valeの百でーす。
 …………。……………。
 ユキを起こさないように、控えめに前方の運転席へ声をかける。
「お、おかりん。オレが運転しよっか?」
「あはは。何を言ってるんですか百くん。まだ到着まで一時間はありますよ」
「いや、マジマジ。運転、したい気分!」
「疲労困憊の所属タレントに運転を強要、大事故に……という見出しが見えますね。ユキくんももうぐっすりなんですから、一緒に寝ていてください。得意でしょう」
「ぁウ……。はい……」
 取り付く島もない。のは、当たり前だ。オレがおかりんだって、こんな申し出は断る。なんてったって、この車には国宝であるユキも乗っているのだ。大事故なんて起こした日には、オレの命じゃ換えがきかない。
 でも、その前にオレの心臓が止まったら、どうする? ねえ、どうするの! おかりん! オレだってRe:valeの片割れ、やらせてもらってるんだよ!
 と、こんなウザ絡みをしたところで、前日の酒が残ってるとでも思われておしまいだ。
 残念、昨日は飲んでいません。
 飲む暇もなく、小説を、読んでいたから…………。
 しかも、その小説に今、オレは完全に踊らされている。いや、勝手に踊っている。
 だって、だってだよ。こんなイケメンが、オレの肩に無防備に頭を乗っけて、すぅすぅ寝息を立てて、安心しきって眠ってるんだよ。プライベートゾーン激狭なユキが、ここまで心を許してくれているって、それって、どういうことだと思う? どうもこうもなく、オレのこと、結構好きってことに、なりませんか。
 だとすれば、〝ユキがオレのこと好きだったらどうする?〟というロールプレイは、起こって然るべきだ。こんなイケメンに迫られでもしたら、やっぱり一瞬で完全降伏だと思うし、そう在りたい、在るべきだと思う自分も居る。
 小説でなぞられるユキの姿より、現実の、質量のあるユキの方が、当然ながらよっぽどユキだ。何を言っているか分からないかもしれないけど、オレだって分からない。とにかく、ユキが、ユキすぎて、もし、このユキが、あのユキに近いことをしでかしたら、オレは死ぬ。
 …………死にたくない。
 そう強く願っていると、オレの百面相を感じ取ったユキが、のっそりと身体を持ち上げて目を覚ました。覚ましてしまった。
「ゆゆゆゆ、ユキ! 起きちゃった? まだ全然寝れるよ?」
「いや、平気。……モモ、顔真っ赤だよ。大丈夫?」
「え、あ、あー……」
 全然大丈夫ではないオレは、うまい返事を思いつかずに、うっかり目を逸してしまった。とはいえ、ユキもまだ夢うつつのようで、あからさまなオレの動揺にも、気づいていない。助かった、と胸をなでおろしたと同時に、ユキの冷えた手が、膝の上でぎゅっと拳を作っていたオレの手に、そっと重なった。
 ひえっ。と、声が出そうになって、ごくっと飲み込む。こんなの、いつものことだ。ユキはこうやって、指先からも暖を取る。案の定、ユキは「くぁあ」と可愛くあくびをした。うわすっご。仔猫ちゃんみたいなあくびだった。可愛すぎて、流石のオレも視線を戻し、ユキを凝視する。
 寝ぼけまなこのユキも、宇宙一イケメン。
「モモ、手、あったかいな。やっぱり、一緒に寝よう……」
「お、オッケー任せて! 今一度、モモちゃんの広々とした肩を貸してしんぜよう!」
 この時、無理をして声を張ったせいで、おかりんの大事な一言を、綺麗に聞き漏らした。
「この先、……なので、気をつけてくださいね」
 え? なんか言った? と答えるより先に、車が思いの外強めのカーブを描いた。オレたちは重力に全く逆らうことなくドサッ、と身体を倒し、おかりんが前方から「大丈夫ですか!?」と焦った声で問いかけてくる。車は依然走行中。後ろを振り返れないから、とても心配そうだ。
 ユキがオレの上に乗り上げているため、身体を起こすことが出来ずに声だけで返事をする。
「大丈夫大丈夫! ごめん、聞こえてなかった!」
 おかりんがオレの言葉にほっと胸を撫で下ろす様子を確認してから、おずおずと乗っかりっぱなしのユキに声をかける。
「……ほ、ほら、ユキ、一旦起き――」
「このまま、寝る」
「え!?」
 ユキが、すり、とオレの胸元に頬を寄せた。やっぱり仔猫のようなその動きに、オレの心臓は爆発寸前だ。
 な、な、なんでそんなことするのユキ。ひどい、ひどすぎる。オレが小説を読んだと知っての狼藉だろうか。いや、であるなら、むしろご褒美か?
 ブルブル震えながら、喜びのあまりショック死しそうになるのをなんとか堪える。すると、妙に機嫌を良くしたユキが、ずりずりと這い上がってきた。
「モモ、やっぱり、あったかくて気持ちいい」
「き、気持ちいいとか、言わないで!? 言葉のチョイス微妙じゃない!?」
「ふふ、声が大きいのも、可愛い」
 びっくりするほどご機嫌なユキは、今、全身がポカポカでたまらなく気持ちがいいんだろう。なんでオレ、体温高いのかな。もし、平熱が三十五度ピッタリだったら、こんなことは起こらなかった筈だ。でも、ユキがオレで暖を取ってくれなくなってしまうから、これからも平熱三十七度台で勝負していきたい。
 じゃなくて。
 ユキの顔が、あまりにも近い。鼻先がちょんとくっついて、これってもうキスじゃん、と顔が真っ赤になるのが分かった。もう、実質、キスだよ。小説にもそう書いてあった。
「え、ちょ、何、んむっ」
 オレが抵抗しようと口を開いた瞬間、ぴと、と人差し指を唇にあてる「静かに」のジェスチャーにより、黙らされてしまった。指、唇に、くっついてるよ。いいの? いいんですか? これだって、キスじゃん。実質、キスだよ!? 短時間に二回もしていいものじゃない。
 オレが目をぐるぐるさせて汗をだらだら流していると、そんなことはお構いなしにユキがより一層顔を近づけてきた。
 え、ちょっと、ユキ、それは、絶対マズいって、待った! いや、でも、どうかな、嫌じゃ、ないんだよな、えっ、どうしようどうしよう、あ、あ、

「わーーーーっ!!!」
 あー……! あ………、あ?
 目の前には、オレを見下ろすユキの顔。ユキは、物凄くびっくりしていて、オレだってびっくりして、二人してしばらく沈黙していた。数十秒経ったところで、会話の口火を切ったのはユキの方だった。
「モモ、大丈夫? 突然叫ぶから、驚いた……」
「んぁ? え? ……ひざまくら……?」
「うん。モモが思いっきり体重かけてきたから、僕が競り負けて、こうなった」
「う、うそ……ごめん……」
「いいよ、このままで。ちなみに、おかりんはコンビニで飲み物を買いに行ってる」
「あ、そ、そうなんだ……」
 すり、と頭を撫でてくれるユキの手はあたたかく、オレはまた目をとろつかせる。
 ――ところで。しつこいようだが、覚えているだろうか。
 前日のオレはというと、とにかく疲れていた。そして、翌日まで一睡もすることなく、ユキとエロいことをする小説を、読んでいたのだ。
 即ち、疲れが、限界だった。
 これは言い訳だけど、まさか夢から覚めているとは、思って、いなかった。
「ユキ、あの、続きは……?」
「……続き? え、なんだろう。何かあった?」
「え? だって、キスした……よね」
「…………あれ、起きてた?」
 おかしいな、とユキは首をかしげつつ、まあいいか、と納得したように頷く。
「じゃあ、もう一回しよう」
 そう言って、なんだか当たり前みたいに唇が重なって――その日一日、一生夢が覚めないことに真っ青になりながら仕事をこなし、現実であることを知って、卒倒したのだった。

 現実は、小説より奇なり。
 手に入れた秘密のスマホで、この話、書いてしまおうか。誰か読んでくれたら、嬉しいな。
 いやいや、嘘です。書いたところで、公開なんて致しません。
 そもそも、翌日がオフって、ご都合展開が過ぎるしね。どう書いたって、創作的だ。
 同じベッドの中、隣ですやすやと眠るユキの寝顔は、どんな小説の中のユキより、魅力的だった。


この物語はフィクションです