例え相方の歌声が戻らずとも。
 世界は廻り、仕事は続く。
 
 今日のロケは、とあるチャレンジ系番組のゲストだった。一般のご家庭のお子さんを一日預かるという設定で、ベビーシッター的な役回りをRe:valeが担うという、僕が大変に苦手とするジャンルだ。
 NG知らずのRe:valeではあるが、向き不向きは当然ある。モモなら料理、僕ならお世話。出来るなら、子供と関わる仕事は控えたいのだけれど、子供と大人の構図は数字が取れるというグロテスクな理由により、依頼も後を絶たなかった。
 ロケ先のリビングで、五歳の男児が僕の膝を枕にしてくうくう眠っている。小さな手は髪の毛を引っ掴んで離さず、時折思い切り引っ張られるので、痛みに声を上げそうになるのを必死に堪えていた。収録開始から既に三時間が経過し、僕は心身ともにズタボロにされていた。
 この様子は既に十分な撮れ高を確保出来た為、今はスタッフの休憩時間としている。僕にとっては、ちっとも休憩ではない。むしろ、いつ髪を引っ張られるとも知れぬ恐怖と戦っている分、よっぽど稼働中だ。この時間がもしギャラに反映されていなかったら、制作会社を相手取って裁判も辞さない覚悟である。きっとモモが先陣切って法廷で戦ってくれるので、僕は傍聴席でしかと見届けよう。
 そんなモモと言えば、目の前の四人がけソファに座って、楽しそうにこちらの様子を眺めている。時折写真を撮って、画面を覗いてはにゃははと笑っていた。余裕だ。なるほど、今ならおまえを訴えてもいい。となると法廷では僕とモモの戦いになるので、とても勝ち目は無いように思えた。だって君は口が達者だ。
 哀れな僕は、ソファどころかカーペットの上に座ることを余儀なくされ、尻も痛ければ膝も痺れていた。流石に、労働環境が劣悪過ぎないか? 悠々とソファでくつろぐモモに、子供が起きない程度の声量で苦言を呈した。
「モモ。交代」
「ダーリンったらご冗談! さっきまでオレが相手してたの、忘れちゃったのかにゃ?」
「モモは僕の脚がどうなってもいいのか。よだれにまみれて、このまま皮膚が融け出すかもしれない。この子は、子供の姿をした、怪獣だ……」
「その時は、オレが責任持って治してあげる。モモちゃんはユキの魔法使いだから!」
「使うの、黒魔術だろ」
「あれ、そうだっけ?」
 とぼけつつステッキを振る真似をするモモは、ついさっきまで続いていた子供とのごっこ遊びを引きずっている。
 モモが悪い魔法使いで、子供が魔法使いを倒すヒーロー。モモが繰り出す黒魔術に、果敢に挑む子供は、自分が物語の主人公であると信じてやまない様子だった。そのやり取りは確かに微笑ましかったけれども、それ以上に、五歳児と同レベルのテンションで遊べるモモは、天才だなと素直に感心する。
『姉ちゃんがずっと遊んでくれてたから、子供のツボ、結構分かってるつもり』
 スタッフからの質問に答える形で出した、〝姉〟という単語。その、たった一瞬、モモの口元が戦慄いたのが分かった。けれど、その時にはもう、カメラは僕へとフォーカスを合わせていて、その姿が映ることはなかった。
 決して、ヘマをしないモモ。テレビの中では、弱み一つ見せないプロフェッショナル。頼もしく、勇ましい、安心して背中を預けることが出来る、自慢の相方。弱みを見せないモモは、裏では冷徹人間と揶揄されているらしい。馬鹿げていると、一蹴することすら面倒だった。
 ――そんなモモが。歌声が出ないことに取り乱し、『来るな』と僕を怒鳴りつけた。説得を繰り返し、もう大丈夫だろうとほっとしたのもつかの間、その後の収録では、僕に眉を下げて、笑ったのだ。
『声、出ないね?』
 瞳は、そう問いかけるように震えていた。今まで見たことのないようなモモの様子に、スタッフからも不安の声が寄せられる。
 ゼロが怒ってる、呪われてるんじゃ、不可侵領域に土足で乗り込むほうが悪い――……そんな言葉を背負いながら、僕らはこうして、仕事をする。続けていく。
 歌番組の収録と、バラエティの収録では、スタッフの数も顔ぶれも全く違った。今のモモにとっては、バラエティでの仕事ほど救いになるものはないだろう。
 何せ、スタジオのセットに立ち、イントロが流れはじめ、歌い出すその瞬間まで、モモの空気は壊れそうなほど張り詰めている。あれほどまでに緊張して、震えるのを我慢し笑顔を見せる姿は、見ていて気持ちのいいものではなかった。けれど君の努力を、否定するわけもいかない。
「ぁいった!!」
 ぐんっ、と首が曲がって、折れそうになる。眠っている五歳児が、また僕の髪を引っ張ったのだ。おい、手癖が悪すぎるぞ。死んだらどうする。健やかに眠り続ける子供をじっとりと見つめていると、モモの笑い声が頭上から振ってきた。
「あっはっは!『ぁいった!!』って、ユキが出していい声じゃないよ〜〜〜!」
「あのねえ、僕だってそれぐら痛っ、こら、ちょっと、」
「あはははっ、やばい、完全におもちゃだと思われてる……っ」
 ひーひー笑うモモは、心から楽しそうでいて、表情はいつもより僅かに固い。僕だけが分かる差異。モモはきっと、僕すら騙せていると信じている。それは僕が、騙されたフリをしているからだ。
 こんなにもギリギリのバランスで、僕らの仕事を、関係を、成り立たせるべきではないよ。
「モモ。笑ってないで、早く黒魔術」
「えー? さっきいっぱい使っちゃったしな。オレはユキの魔法使いなんだから、ユキに使ってあげるよ」
「……いや、それだったら、モモが、モモに使ってくれ」
「にゃはは! なんだそれ、面白そう! 教えてご主人様、オレはオレにどんな魔法をかけちゃうの?」
「主人の心が、読める魔法」
 ピシッ、と音がするぐらい見事に、モモの表情が固まった。狙い通りで、少しばかり溜飲が下がる。作られた笑顔より、よっぽど良い。声も心なしかトーンが下がって、それだけで酷く不機嫌そうにも響いた。
「今、必要? それ」
「じゃなきゃ頼んだりしないよ」
「ユキの心を読むなんて、出来ない」
「主人である僕が、良いって言ってるのに?」
「……しないよ、絶対」
 何故? と問いかけなかったのは、僕なりの優しさだと、理解しているだろうか?
 酷く胡乱げに僕を見つめる瞳は、いつも通り美しい色をしている。思いのほか空気は最悪なものになって、休憩から戻りつつあるスタッフが、剣呑な僕たちの様子に気づくのも、時間の問題だろう。
 それでも、視線は逸らさなかった。僕は君より、口は回らないかもしれないが、君よりずっと、口が悪い。法廷では負けるかもしれないけど、たった今から口喧嘩をするのであれば、受けて立つよ。そして、負けることもない。
 ――怖がることなんて、ひとつもないのだ。モモが複雑であることはとっくのとうに理解していて、そこには三割の面倒くささと、七割の愛情しかない。その三割だって、ちゃんと紐解けば愛情十割だ。すなわち、僕の全てで君を愛している、ということになる。分かるかな。分からないだろうな。意外と、僕の〝感覚〟を理解してくれないモモだ。故に、ミステリアスという言葉で片付けられることもある。
 君は僕の魔法使いなのに。なかなかどうして、ポンコツだ。そこがまた、可愛いところでもある。
「それは残念だな。じゃあ、口に出していい?」
「ユキ、この辺にしとこ。もう休憩終わるよ」
「……なあ、モ」
「うわああぁああああああん!!!」
 突然、雷でも落ちたかのような泣き声に、二人して漫画のように身体を強張らせた。音の出どころが真下だっただけに、とんでもない声量に打ち負け、完全に放心する。スタッフが大慌てで僕の膝から怪獣を引き剥がすも、髪の毛は依然掴まれたままだ。こらっ、離しなさいっ、ダメだってば! 五歳児一人にスタッフ三人で格闘する姿が、僕らの剣呑さを完全にぶち壊したので、流石に二人で目を合わせて、笑ってしまった。
「はあ。仕方ないから、今日はこれで誤魔化されてあげるよ」
「うん? なんのことかぜんっぜん分かんないけど、あとでユキの御髪を梳いてあげるね。これは魔法じゃなくて、ほんとね」
「まだその設定続ける気あったのか……。それはどうも有難う」
「どういたしまして、ご主人様」
 こんなに言うことを聞かない専属魔法使いが、あってたまるか。
 ゆっくりと立ち上がる。たとえ事態は何一つ変わらずとも、世界は廻り、仕事は続く。君の後ろ姿を静かに追いながら、言いかけた言葉を、心の内で反芻した。

 ――なあ、モモ。
 君は、いつか必ず、歌える。僕が必ず、歌えるようにする。
 歌えない未来を、選択肢を、残さない。スタジオで、スポットライトを浴びることへの喜びを、必ず思い出させてみせる。
 僕は君みたいに、魔法は使えない。
 だから、君を幸せにするという、自分で選びぬいたこの仕事を――ただひたむきに、全うするよ。


君は見習い魔法使い