「そうだ。書を捨て、旅に出よう! ロンドンに行こう。ロンドンは最高!!」
モモが急に叫んだので、僕は驚いて転がりそうになった。が、実際はあくび一つで返しただけだ。正直、転がる体力すら温存しておきたかった。
そもそも、書を捨てるのはまあいいとして、体力的に、今からロンドンは厳しい。書を捨て、家に帰ろう。そう言ってくれたら、首を大きく縦に動かしていたに違いなかった。
同意の声ひとつあげなかった僕を、批難めいた目で睨んで、牙を剥きはじめたモモも、普段より明らかに自制心が足りていない。
こら、モモ。そんな安易に、狂犬くんを出してはいけない。
この場には、モモと初めましての新人アイドルたちが沢山いるのだから。
出番をすぐそこに控えている新人グループの女の子たちが、CM中に待機している僕たちをチラチラ遠目から窺っている。もう楽屋で挨拶したから大丈夫だよ。と、この場に居る全員に、拡声器で伝えたい。
もとい、『喋りかけないでくれ、マジで限界だから』
今年初の試みである新春特番『IDOL SQUARE』通称〝ドルスク〟は、都内某所の慣れ親しんだテレビ局にて生放送収録の真っ最中だ。総合司会に抜擢された僕たちRe:valeは、既に似たような企画を何度もこなしていたこと、番組プロデューサーがネクリバの栄誉プロデューサーだったことで、二つ返事で快諾した。そもそも、あの時点では断る理由がなかったのだ。
しかし、事態は急変する。悲しいかな、当初提示された企画通りに事が進まないことは、ままある。しかし、今回は、「ままある」程度では済まされないほどの変更が加えられてしまったのだ。
まず、おかりんから渡された渡された台本は、見たことのない厚さだった。まるで長時間に及ぶ、生放送用の、細部まで立ち回りが書いてあるアレ、そのものだ。Friends Dayでも大変お世話になったが、なんとその時の倍の厚みがある。
何を書いたらこんなことになるんだと不思議に思いつつも確認すると、そこにはドラマ脚本と見まごうレベルのセリフが書き連ねてあり、流石に目を疑った。ト書きや動きの指示だけでも膨大な書き込みだというのに、なんだこれは。ゲストのアイドルたちがこの通りに喋れるはとても思えなかったし、そもそも僕たちも一言一句覚え切るのは不可能だろう。
絶句している僕たちに、おかりんは更に申し訳なさそうに続けた。大変恐ろしく、残念なお知らせです。という前置き付きで。
「こちら、事前収録から、生放送に変更されました。放送時間は午前十時から午後十時までの十二時間を予定しています」
「……じゅ、…………は? 何それ。地獄?」
あ、いけない。うっかり本音が漏れてしまって、しかしおかりんも、モモまでもが、コクリと静かに頷いたのだった。
「で、どういうこと? なーんでこんなことになっちゃったのかにゃ?」
ネクリバ企画会議の席に栄誉プロデューサーを呼び出し問い質せば、ひどくバツが悪そうに「全アイドルを集めるとなると、そうするしかなかったんだ」と懺悔された。一応、僕たちの依頼の時点では、本当に事前収録を予定していたらしい。なので、決して騙し討ちではないのだと。ふーん、へえー、ほおー、と雑な相槌を打ちつつ聞いていると、
追い詰められたプロデューサーは殆ど土下座のていで「頼む! 千くんと百くんしか頼れる人間は居ないんだ……!」と叫んだ。頼れる相手が僕たちしかいない、というのは明らかに盛っているが、その悲壮感は本物だった。というか、これが演技だったら、普通に才能がある。
「……まあ流石に、今更断ったりはしないけどさ。オレらがどんだけ頑張ったって事故るときは事故るよ? 相手は人間で、しかも新人でしょ?」
モモが普段より二段階ほど低い声で告げる。Re:valeのブレーンの顔だ。普段コロコロ変わる表情が、限りなく無に近くなるだけで、迫力は何倍にも増した。このモモとやり合うのは、とても気合いが要るだろうなと思う。
僕はと言うと、事情聴取はモモに任せた方がスムーズであることを知っているので、モモの顔を眺めるに徹している。無表情でも、可愛いな。すごく、可愛い。また、そのふくふくした頬で、たこ焼きを作ってもらいたい。たこ焼きは食べれないから、見ているだけなのが少し勿体ないけれど。
モモはそんな僕の視線を丸ごと無視して、話を続けるようプロデューサーに視線を送る。普段なら、三秒も持たずにこちらを見て「イケメン♥♥♥♥️」とハートを乱舞させるので、今回は相当、本気の詰問だった。当たり前だ。たった二人のMCで十二時間を持たせようとするのは、無茶が過ぎる。とはいえ、補佐をつけるにもリハの時間が足りないらしい。どれだけ限界スケジュールの中で成立させた企画なのか、よく分かる。
プロデューサーは真っ青を通り越して真っ黒な顔で続けた。
「勿論企画段階から、事前収録は無理があるんじゃないかって懸念はあったんだ。けど、上がね、いけるだろって聞かなくて……。それでも、本当にギリギリまで収録でいけないか調整してもらってはいたんだ、けど……」
「けど?」
「君たちの時間が、確保できなかったんだよね……」
一瞬、時が止まる。
それから、三人で、いや、その場に居た、おかりんや他スタッフ含め全員で、「はあ〜〜〜〜……」と長い長いため息を吐き出した。
「でしょうなあ……」
「だろうねえ……」
何せ僕たちは今最も忙しいアイドル、Re:valeだ。モモは地方ロケで日本中を飛び回っているし、僕も僕で二月に発売を控えているアルバム制作と料理番組の収録でカツカツだった。スケジューリングがどうなるかなど知ったこっちゃ無かったので、「どうにかする」のだろうと踏んでいた。
が、やはりダメだったらしい。残念でならない。
「……スタッフは、Friends Dayチームを連れてくる。長時間生放送の猛者ばかりだ。それに、ドルスクはアイドル〝のみ〟が出演する条件を面白がって、有象無象の事務所が参加を申し出てくれた。地上波初出演のグループが大半を占めるっていうチャレンジングな企画に、業界からの注目も集まってる。Re:valeとしても、参加してよかったと思ってもらえるような、そんな番組に必ずする……!」
「あー……だから台本、あんな詰めて書いてあったんだ。素人にヤバいこと言わせらんないもんね?」
「ウッ……!」
「まあまあ、モモ。一応、僕たちの負担を少しでも減らそうって配慮ではあるんだから。まあ、覚える手間も増えたけど」
「ウウッ……!」
「そりゃまあ、新人ばっかりもね、楽しいと思うよ? でも楽しさだけで乗り切れたこと、この業界に入って一回もないから!」
「それはそうね」
「そ、そこを……なん、とか……」
デスクに突っ伏してしまったプロデューサーには、四年前ひよっこだった僕たちにアドバイスをくれた頼もしさは無い。しかそれは、裏を返せば、僕たちは彼にとって頼れる仲間になっている、ということだ。
モモと目配せしあって、やれやれと首を振る。
答えは最初から、決まっているのだ。
「何をしょげてるんだ、Next Re:vale栄誉プロデューサー。胸を晴りなさいよ。出会った頃のハングリー精神、もう忘れちゃったのか?」
「そうだよ。オレたちに紐なしバンジーさせたの誰だったか忘れた?」
「そ! あ〜〜……その節は……」
更にへにょへにょになってしまったプロデューサーに、くく、と二人で喉を震わせる。右手を差し出して、ぽん、と肩を叩いた。
「顔をあげて。握手しよう」
「……え?」
「オレたちへのプレゼントは、慰安旅行だよ。ユキと二人っきりでロンドンね!」
モモの渾身のウインクも、すごく、可愛かったな。
だからこそ思う。
断れ。あの時の僕たち。いいから、断れ。比喩でなく、死ぬぞ。
こんな労働、後日美談に出来るレベルではなかった。一生かけて酒の肴にしてやると、モモとも数時間前に誓い合った。プロデューサーと固く交わした握手も、よっぽど無かったことにしたい。慰安旅行のロンドンは、もう、要らない。そんなことより今すぐ横になって休みたかった。
放送開始から十時間以上経過して尚、放送が残っているという、地獄。IDOLiSH7と役割分担していたFriends Dayの、百倍キツい。Friends Dayは事前収録の映像を流す時間が大半だったが故に、二十四時間番組とはいえ、ここまでフル稼働にはならなかったのだ。普段はちっとも気乗りしない外ロケすら、今の状況が生まれるぐらいなら、諸手を挙げて賛成、参加するだろう。
疲れる、疲れた、疲れてる。お疲れ三段活用。膨大な数の素人を相手になんとか会話を成立させ、つつがなく進行し、時に笑いも取って、自分たちも合間合間でゲストと歌い、腰を落ち着かせる時間なんて一秒もない。ありとあらゆるグループがパフォーマンスを行う中、メインステージが設置されているAスタとサブステージが設置されているBスタを行き来し、押した場合はモモと分かれてスタジオ別に進行することもあった。アドリブに次ぐアドリブに次ぐアドリブ。当然、台本通りのセリフ回しなんて、出来るはずもない。
演者もそうだ。緊張で何も言えなくなってしまう子もいれば、張り切りすぎて尺を大幅にオーバーする子もいる。
それは仕方ないことだし、怒りが湧いたりもしない。誰もが一生懸命で、好感が持てるグループばかりというのもある。パフォーマンスのクオリティに関わらず、腐らず頑張っているだけでも、評価出来た。それはかなり、救いだった。
怒りの矛先はただ一つ。そう、プロデューサー……を、追い詰めた、上層部。おまえたちだ。いつか絶対、今回参加したスタッフ及びグループ全員の飯を奢らせてやる。破産だ、破産。
そんな中、IDOLiSH7にTRIGGER、そしてŹOOĻは流石に完璧な進行で終わらせることが出来た。ステージを共にした回数が違うと言うのもあるが、IDOLiSH7には三月くんが、TRIGGERには天くんが、ŹOOĻにはトウマくんがいる。グループ内にタイムキーパーが居てくれることの喜びと有り難みに、途中本気で涙が出そうになった。モモに至っては若干泣いていて、季節外れの花粉症と言って誤魔化していた。今頃ラビッターのトレンドが賑わっていることだろう。何故か、僕が泣かしたことになっているかもしれない。よくある、そういう流れ。心外だ。
そして冒頭に戻る。
付箋を貼りすぎて、ただでさえ分厚い台本がその倍にまで膨れ上がり、見るも無惨な姿になっている。モモの言う〝書〟とはこの辞書並みの台本であり、捨てたがる気持ちも理解した。とはいえ、ロンドンは、もう、いい。あったかい湯船に浸かりながら、柔らかいベッドで眠ることしか、考えたくない。
「モモ」
「うん。行こう」
Re:valeさん準備お願いします、と言われる前に自然と立ち上がった僕たちは、メインステージでパフォーマンスを終えようとしている新人アイドルを横目に、下手へと移動する。隣を歩くモモは、すっかりと牙をしまいこみ、しかし悪事を企てる時の声色で話し始めた。
「さっきから、考えてたんだけどさ。三月を、飛び入り参加で……飛び入りMCに抜擢する。それしかない。だって、こんなのは、もう……」
「そうね。三月くんなら出来るよ。僕たちが今すぐに逃亡したって、完璧にこなしてくれる。マネ子ちゃんに掛け合ってみる? 万に見つかったら事だから、秘密裏に」
「そんな時間は、無い。王様プリン百個で早々に手打ちにしよう」
「そしたら、恩を感じた環くんが来ちゃうかもね」
「あ、ァウ……。そうだね……。環か。環は……可愛い」
「うん。可愛い。でも、モモの方が、もっと可愛い」
「ウ? ウン……? ウン………」
!
さっき温存した意味がないくらい、虚無の会話を繰り広げている。いけない、いけない。本当に疲れると、無駄な会話が増えてしまう僕たちだ。そのままシームレスに司会進行へと移り、とたとたと小走りで近づいてきた汗だくの新人アイドルたちから、初々しいコメントを貰って、次。
リーダーの子に声をかけられそうになったけれど、一分一秒が惜しい中で、とても構ってはいられなかった。とはいえ、冷たい態度を取るわけにもいかず、かなり雑にウィンクを飛ばす。
そしたら、女の子より先にモモが悲鳴を上げた。
「んなー!!!!!???????」
「うわっ、うるさっ」
「なななななななななんでどうしてオレの気も知らないで若い女の子にそういうことするかな!? どうして!? 白昼堂々浮気するとかユキには人の心がないのか!? どうなんだ! 言え! 言えー!!」
「待って、待った。モモ、抑えられてないよ、色々」
慌ててモモの首根っこを掴み、次の立ち位置へと移動する。モモは野良犬よろしく、ガウガウ息を荒げていて、なかなか見たことのない姿だ。
なるほど、僕たちって、追い詰められるとこうやって壊れていくのか。とても勉強になる。二度と同じ勉強はしたくないな。
首根っこを掴まれている状態自体は満更でもないのか、大人しく引きずられながら、野良犬のモモは続ける。
「オレだって……オレだってユキから雑にウィンク飛ばされたいよ!! なんなら雑に携帯番号メモった紙も渡されたい!! そんで電話かけて、『誰?』って言われて、傷つきたい……」
「それさ、今まで僕がやったことあるように聞こえるから、やめて。っていうか、モモの妄想上の僕、そんな感じなの? 結構クズじゃない?」
「このダーリンはね、小コミ系ダーリン。最近のブームです…」
「証拠み系? ……よく分からないけど、僕はモモにそんなことしない。ちゃんと、『この前の可愛い子だよね』って言うよ」
「さ、最高……! それでこそダーリン!️」
「そうでしょう。……『モモくん、連絡待ってたよ』」
「! ……『ほ、本当ですか? オレ、あなたのことが頭から離れなくって、実は、夜な夜な……』」
「はい、着いた」
Aスタ、ぐるっと回ってメインステージ上手側。パッと手を離すと、モモがスン、と無の表情になる。本人的に、物凄く良いところだったらしい。いやいや、顔、顔。カメラに抜かれてたら、どうすんの。僕は吹き出しそうになるのを堪え、唇を噛んだ。流石に、笑っている場合ではない。
あと十秒で、次のグループの紹介が始まる。
「ユキ、今のやつ」
唇を噛みっぱなしの僕は、頷くだけに留める。あと五秒。
「続きはロンドン旅行の、ベッドの上で、お願いします」
あと二秒。
「……ブハッ!」
大真面目に言われて、ノックアウトだ。地上波の生放送にて、爆笑。ギリギリ白目を剥かなかっただけ、褒めて欲しい。
最後に紹介するグループが、Re:valeで本当に良かった。
勿論、モモもそれを分かって言っている。
しばらく立ち直れないほど笑い続けた僕に代わって、モモは意気揚々と事情を説明し始めた。
「この収録が終わったら、ロンドンに行こうねって約束したんです。あとの内容は、秘密かにゃ♥️」
ああ、なるほど。これは僕が、モモと旅に出ることを同意しなかった、仕返しらしい。執念深く、計算高いモモも、やっぱり可愛い。
僕も決意を新たに、なんとか息を整え、カメラに向き直った。モモの説明に付け足すようにして、一言。
「覚悟してね、モモ」
折角なので、お望み通り、モモに向かって丁寧なウィンクも飛ばした。
モモの悲鳴がマイクに乗って、とんでもないハウンリングが起きたことで、この番組は晴れて伝説となった。
*
「………モモ。本物はここに居るよ。もう見るのをやめて、iPadをしまえ」
「あとちょっと! 先っぽだけだから! 待って!」
「待たない」
がしっと薄い板を掴んで奪い取り、スリープモードに切り替え、放る。
あまりの疲労に頭のネジが数本取れていた僕たちの記録は、動画サイトで何百万回と再生されている。あーあ。何をしているんだか。
今は、約束通り、慰安旅行の真っ最中だ。サボイのロイヤルスイート。二人で寝転ぶキングサイズのベッドには、かなり豪奢な天窓付きだ。正直、二人きりで泊まるには広すぎて、持て余している。から、ベッドの上でiPad鑑賞会だ。
文明の利器を取り上げられたモモは、今更視線を泳がせ、狼狽し始める。
「じょ、冗談だったんだけどな……」
「その冗談は、タチが悪いな。僕を想って夜な夜な、悪いことしてたんだろ?」
なんだっけ、証拠み系? よく分からないけど、モモのブームに乗っかってあげることにする。
あわわわ、とモモが大いに仰け反って、けれどなんとか、向き直る。やる気はちゃんとあるらしい。
「…………はい。そう。ソウデスネ……」
ふくふくした頬が、桃みたいに染まっていく。
なるほど、これなら僕も食べられるねと、嬉々として唇を寄せた。
だってこれは慰安旅行だ。
疲れきった心と身体を、一刻も早く癒やし、癒やされてもらわなければならない。