喫煙趣味は、全くない。だから、自分が「口ざみしさ」を覚えるようになったことが意外で、そしてこれほど厄介なことはないな、と辟易した。
 それは当然、作曲中のストレス由来のものだった。昔のように、女でひとときの安寧を得ることがなくなっただけ、成長したのかもしれないけど。
「そんなに吸ったら駄目?」
「絶対ダメ。絶対絶対ダメ。その陶器のような真っ白な肌がちょっとでもくすんだらと思うと、モモちゃんは気が気じゃありません!」
 迫真だ。そしてかなりの本気を感じた。
 ネクリバ収録までの空き時間、ソファに寝転ぶ僕の膝枕を買って出たモモは、スマホをいじる手を止めてまで伝えてくる。モモがラビチャよりも僕の発言を優先するのは珍しく(それが恨めしく)、相当嫌がっていると理解した。
 じゃあ、別方向でのアプローチはどうだろう。
「僕が煙草吸ってたら、かっこいいと思わない?」
「ウッ……! 全世界の人間が抱いて! って縋りつくぐらいにはかっこいい……」
「規模がでかいな。全世界を相手にするのは、僕の体力が持たないかも。モモだけで十分」
 途端、ぎゅうう。ぐるぐる。とモモのお腹が鳴った。完璧なタイミングすぎて、モモのお腹まで僕のかっこよさにやられているように聞こえる。いや、実際そうなのかもしれない。寝返りを打ち、モモのぺたんこのお腹に顔をくっつけて、あっはっは、と堰を切ったように笑った。
 ええ? 可愛い。なに、今の。
「くっ……はははっ……。そうか、モモのお腹もそう思うのか。可愛いね」
「ユキ。オレは今ね、このタイミングでお腹が鳴ったこと、普通に恥ずかしいです……」
「いいじゃない。相当キュンときたってことでしょ」
「きたけど。きましたけれども! それよりモモちゃんは、食いしん坊でないことを今すぐ証明したいですぞ」
「? 食いしん坊だろ」
「乙女心は野郎にも宿ること、ユキさんはご存知で?」
 いや、昨日発売されたばっかりの週刊誌に、グラドルとすっぱ抜かれてたよね。売名行為に巻き込まれたことに軽く同情していたら「安酒飲まされまくって死にそうだった」と、スキャダル自体はちっとも気にしていなかった。
 芸能界の酸い甘いを知り尽くした玄人だね。えー、ユキに言われるなんてオレも捨てたもんじゃないね。なんて。つい数時間前に褒め称えあったような気がするんだけど。
 ……乙女心。モモの迷路みたいなハートの中、それはきっとゴール付近にあるんだろう。となると、かなり時間をかけて探索しなければ、見つけることは難しそうだ。
「あ、まずい」
「うん? どうしたのかにゃ?」
「今モモに、うまいこと話を逸らされた気がする」
「ありゃ。気づかれちゃった」
 残念。と、モモが手のひらで頭の側面を撫でてくる。未だ僕の顔はモモのお腹に向かっていて、母親の膝の上で甘やかされる子供、そのものだった。実の母親にこんなことをされた記憶は無いので、想像の話だけれど。モモも頭上で「やばい、母性が……母性が刺激される……」とぶつぶつ言っている。なるほど母性もあるのか。大変だ。
 寝返りを打って、真上を向く。僕を撫でていた手がひょいと離れて、モモは明らかに僕を直視しない為に、ラビチャへ意識を逸した。駄目だよ、の意味を込め、下から腕を伸ばして携帯を奪った。モモが届かないテーブルへ、ぽいっと投げる。
「あ、こら! ユキ。そんな子に育てた覚えはありません!」
「確かに。モモに育ててもらえてたら、僕はこんな性格がひん曲がってなかったと思う」
「そんなこと言わないで。悲しくなってきた……」
「口ざみしいとき、モモはどうしてるの」
「あれ? 会話の流れが突然死んだ。MC泣かせだ……」
「で、どうなの?」
 MC泣かせどころか、こんな奴はバラエティから追い出すべきだ。だからこの番組の収録も、強制退場にて終了。僕が珍しく頑ななので、流石のモモも諦めたらしい。はあ、とため息をついて、一考。
「……ももりん? あと、飴? ガム……? そもそも口ざみしいってどういう状況?」
 あ、そう来るか。確かに、モモが〝そう〟なっている姿は、見たことがなかった。
「言葉にしづらいな。そのままだから。……何か口に入れておきたい感じ?」
「ほお〜……。なんかちょっと、エロいかも?」
「そう? ……ちょっと。やっぱりグラドルとなんかあったんじゃないの」
「ないない! そんなヘマはしません! ほんとに!」
 じっとり睨みつけると、モモが慌ててご機嫌を取るみたく笑った。この笑い方は、本当に何もなかった時のやつ。ちらつく八重歯の白さが可愛くて、それだけで許してしまえた。年々、絆されやすくなっている気がする。
 それについては、モモが僕にとって、可愛いすぎるのがいけなかった。モモが僕を好きなことを、ちっとも隠せていないところも、僕の判定を甘くさせる要因の一つだ。
「でも、だからってやっぱり煙草はダメ。ユキは内臓まで完璧に綺麗じゃなきゃ、オレが嫌だし、オレが泣く」
「……泣かれるのは、ちょっと、困るな」
「でしょ? だから諦めて、チュッパチャップスとか舐めてね。……って、そんなダーリン超キュートじゃない!? ラビスタに #キャンディ強化月間 のタグで毎日投稿しようかな!? 最終的に本にして売ろう!」
 おかりんに相談だ! と息を巻くモモを、元気だな、とぼんやり見つめる。何をどうしたって、煙草は許されないようだった。モモは時折、いや大体、手段を選ばないところがあるので、泣くと言ったら泣くだろう。それは本当に、困る。抱きしめることしか出来ない自分に、結構凹むし。
 まあ実際のところ、僕だって吸わずに済むならそうしたいのが本音だ。以前映画の役作りで一瞬吸ったことがあったけれど、見事に噎せたし、普通に不味かった。ただ、飴やガムみたいな甘いものをずっと口に入れていることが出来ないのと、水もそこまで飲めないことを考えると、やはり最善策ではある。
「チュッパチャップス以外で、何かない? 僕が毎日続けられそうなものがいい」
「じゃあ、そもそも口ざみしくなる原因を取り除くのは?」
「一生新曲出なくてもいいなら」
「いいわけないね? ……そうなるのって、今回が初?」
「いや、前もあったよ。その時は……まあ、どうにかしてた。色々と。今は使えない手で」
「……へ〜。ふーん。……〝今は使えない手で〟」
 昔のモモなら、僕のこの発言に盛大に照れて凹んでをしてただろう。それが今となっては、反芻するだけ。面白くなさそうに猫目になって唇を突き出した表情は、それはそれで可愛いんだけど。
 ……いや、そうだな。可愛いな。すごく。
 この手があったか、と僕はそこで天啓を受けた。
 流れるように腕を伸ばして、つまらなそうにしているモモの後頭部に手をかける。モモはさほど驚きもせず、僕の引き寄せる力に合わせて、丸い頭の位置を下げた。素直すぎる。犬かな。
 それからそっと、音すら立てず、キスをした。
 モモの目が、しっかりと見開かれていて面白い。お互い、こんなに近い距離で見つめ合うことって、なかったね。
 モモはいつまで経っても、見つめ合うことに慣れないし。だからスマホを放られるんだって、いい加減理解するといい。
 唇をゆっくり離す。ぺろりと自分のそれを舐めて、うん、と納得した。
 僕は途端に上機嫌だ。もう一度、ちゅ、と今度は軽く音を立ててキスをする。モモはもうずっと固まりっぱなしで、これ幸いとばかりに繰り返した。誰も居ない楽屋に、リップ音ばかりが落とされていく。
 十回はしただろうか。かなり満足感があって、なんなら満腹感さえあった。モモの頭をぽんぽんと撫でて、僕はゆっくり起き上がり、ソファから立ち上がる。腕を天井に伸ばして、ぐいっと伸びをした。
 ああ、これこれ。満ち足りている感じ。久々の感覚。
 ずっと下を向いて固まりっぱなしだったモモが、ガガガ、とブリキのロボットみたいな動きで僕を見上げた。〝何してくれてんだ〟と顔に書いてあるし、「何してくれてんだ」と口に出ている。思ってることと言ってること、ちゃんと一致していて安心するよ。
「なん……何……? 何をしてくれてやがりますか?」
「嫌だった?」
「質問です。何をしてくれてやがりますか……?」
「これなら煙草、吸わずに済むよ。僕の肌は白いまま、これから始まる収録も、MCの子を泣かせずに済みそう」
 その言葉に、モモは顔を青くして、赤くして、ピンクにして、黄色にして、緑にして、また赤くした。
 よし、じゃあ、これはとっておき。
 乙女心をくすぐる一言って、絶対これしかないでしょう。
「モモが好きだよ」
「……なっ……な、……は?」
「どう? キュンときた?」
「…………はあ……?」
 ……あれ。あれ? おかしいな。結構本気で怒ってる?
「オレのこと、その辺の女と同じように使うってことだ?」
 ――うわっ。なるほど、そう来たか。
 教訓。普通の乙女心と、モモの乙女心。同じだと思ったら、心底痛い目を見る。見た。その後半年は見た。大変だった。泣くかと思った。
 ――ただ。
 その甲斐あって、僕は今、口ざみしさとは無縁でいる。


Cigar,Bitter,Sugar