いらっしゃいませー。と、行き先不明の声が店内に響く。
 頑張れば10分ぐらいは暇を潰せそうな、そこそことしか言いようがない広さの店内。明らかに効きすぎてるクーラーに身震いしつつ、目がしぱしぱするぐらい明るい蛍光灯の下、ひとまず右手のチルドコーナーへ向かった。
 残り二個の冷やしうどんの片方を手に取る。これは昨日食べたばっかり。美味しかったやつ。
 オレは料理が得意じゃないから、一人暮らしを始めて以降、コンビニ飯に相当お世話になっている。ユキはデリバリーを使えとか僕を呼べとかうるさいけど、オレがご飯を食べる時間なんて大抵日付を超えたあたりだ。寝てるユキを起こして、ご飯を作らせにわざわざうちに来てもらうとかあり得ないし、待ってる時間だって勿体ない。その時間、ユキだってオレだって寝られるでしょ。トップアイドルの仕事量ったらその辺の政治家よりもよっぽど過密で、一分一秒すら惜しい。
 惜しいのに。
 オレが今やってるのは、コンビニで冷やしうどんを眺めることだ。
 その隣の棚にも目を通して、ついでにかぼちゃサラダのパックを手に取る。これ、明日食べよっかな。どうせ明日も帰りは遅い。冷蔵庫に入れとけば一日は余裕で持つでしょ。
 そんな今は深夜三時。家に戻る目処は、立っていない。
 何故ならユキが、多分ふて寝してるから。
 客はオレ一人しかいなくて、店員は外国人。せっかくの客に全く興味なさそうな顔で、ぼんやりと虚空を見つめているのがおかしかった。
 バイトをしていた頃のユキもあんな感じだったな、とたまに遊びに行っては「あとちょっとだよ」と励ましていたのを思い出す。あの頃は良かった、とは決して言えないが、あの頃にはあの頃にしかない二人だけの時間があった。共有出来る物事が今よりずっと多くて、家族のようでも、箱庭のようでもあった。
 頑張ってた。頑張ってる。これからも頑張るし、頑張れる。
 でもオレがRe:valeの百として我を通すことを覚えてからは、些細な喧嘩が絶えなくなった。あんまり些細だから原因すら忘れてしまって、仲直りし損ねたまま流れた喧嘩も数知れず。
 でも今日のは、些細とは言い難い。これは長期戦になるんだろうなと、肌で分かる温度感だった。

 久々に二人だけで飲むことになって、オレたちは浮かれていた。夏休み合わせの特番やら夏フェスやら夏コンで忙殺されていて、二人だけ、というのは実に半年ぶりだったから。あんまり綺麗じゃないけど、ユキが行きたいって聞かなかったからオレの家に招いて、さっきまで和気藹々と過ごしていた。ユキが作ってくれた料理は、あのキッチンで作られたとは思えないぐらい絶品で、二本目のワインも軽々と空けてしまった。ソファに並んで肩を寄せ合って、上機嫌に冗談を言い合い新曲の歌詞を諳んじたり、こんな楽しいことはないと騒いでいたのだ。
 けど。IDOLiSH7のCMが流れたタイミングで、つい思い出して、口に出した言葉があった。
「そういえばバンさんとこの前会ったよ」と。
 それだけ。本当に、それ以上も以下もなく、それだけだったのに。
「……万? どうして? まさか二人っきりで?」
「まさか! オレがMCやってる番組のゲストがMEZZO"だったんだよ。バンさんも付き添いで来てたってだけ」
「ああ、そう」
 途端にユキが不機嫌オーラを出してきて、肩に乗っかっていた頭が離れていった。
 純粋に、失敗した、と思った。
 ユキは異様に寂しがり屋だから、オレとバンさん二人だけの空間を嫌う。オレたち〝だけ〟で仲良くなることを、良しとしない。そのことをすっかり忘れていたのだ。
『MEZZO"がゲストに来てくれたから、バンさんとも挨拶したよ』この会話は、そう始めるべきだった。
 ユキがつまらなそうな声で、そっぽを向きながら続ける。
 あーもう。続けなくていいのに。
「二人で何喋ったの?」
「別に……今度また一緒に飲みましょうとか、それぐらいだよ」
 それでオレも、答えなくていい。でも無視はもっと出来ない。
「僕抜きで?」
「そりゃユキもだよ! 三人で! オレとバンさんが二人っきりなんて、オレが爆発しちゃうでしょ!」
「へえ。まだそんな感じなんだ。相変わらず万のこと大好きだね、モモは」
「そんなの当たり前じゃん」
 ユキって、バンさんが絡むといつもこうだ。二ヶ月に一回くらい同じ内容で喧嘩して、話題もいい加減ループしているように思う。
 オレだって、バンさんとユキが二人きりで喋ってるって考えたら、嫉妬する。けれどオレは、二人が二人で居ることを、当然だとも思っているのだ。嫉妬心を抱くのは完全にオレの問題で、ちゃと理解しているつもりだった。自分自身の問題として、片付けることは出来なくても押し込めることは出来る。
 なのにユキはそれが出来ない。寂しいものは寂しいと、素直に伝えてくる。バンさんはそんなユキを素直に可愛いと思っているし、オレだって愛しいと感じる。でも。
 でもさ。
 オレだってユキに、全く同じこと思ってるよ。
「じゃあユキは誰にでも同じ態度で接してるわけ? そんなことないじゃん。特にバンさん相手にはデレデレしっぱなしでさ。なのにオレがそうなったら怒るっておかしくない?」
「別にデレデレなんてしてない。モモの方がよっぽどしてるだろ。僕と一緒にいる時はスマホに夢中で、バンと一緒にいる時はバンに夢中。僕との時間をなんだと思ってるんだ?」
「……はあ……?」
 あー、ダメだ。違う。落ち着けよオレ。キレてる場合じゃない。こんな口論もう百回目だろ。大体いつもここでオレが、ラビチャ返すのだってRe:valeの為にやってんじゃん、とか言って、それでユキはユキで、誰もそこまでしろって頼んでない、とか言って、ああそうですか、そうだよ、もういい知らない、あっそ。って、嫌というほど繰り返してきた。一言一句違わなかったことだってある。
 だから、ここは、もう、オレが謝るしかないのだ。
 だってオレたちは今から、空けるべき三本目のワインがある。一日オフにした甲斐があったねと、二日酔いに呻きながら笑いあう明日だってある。
 気づかれないように深呼吸する。頭に上っていた血が、ゆっくり下りていくイメージ。
「……そー、だね。そうかも。ごめんね。オレが悪かったです」
「え?」
「いや、だから……そうだねって。オレの方がよっぽど、人前で態度変えてる。し、ユキのこと放ったらかしでラビチャ返してる。から、……変えられるかはわかんないけど、出来るだけ、気をつける。ごめんね」
「…………」
 ああ、良かった。効果は覿面だったみたいだ。ユキもいつもの流れになると踏んでいたみたいで、虚を突かれたような顔をしている。
 そうだよ。オレは不毛な喧嘩を望まないし、答えのない言い争いはしないことにした。だから、ユキも早く謝って。いつもの喧嘩の終わりみたく、僕も悪かった、って言って。そしたらきっと、時間を巻き戻したみたいに、笑顔でさっきの続きが出来るから。
 と、思ったオレがバカだった。
「…………本気で言ってるのか?」
「え?」
「どうせ思ってもいないこと言ってるんだろ」
「……なに」
「これ以上口論になるのが面倒だから、会話を終わらせようとしてる。その後で僕の機嫌を取ればいいって?」
「…………」
 今度はオレが黙る番だった。
 ――なんでそんな嫌な感じで言うわけ。
 だってしょうがないじゃん。喧嘩なんてしたくないじゃん。楽しく過ごしたいだけじゃん。ユキのこと大好きって言って、僕もだよって返してくれて、ぐでぐでになるまで酔っ払って、同じベッドで寝て。
 それを望んでるだけなのに、なんでそこまで言われなきゃなんないの。
 一緒に楽しくなりたいって、それだけじゃダメなの?
 オレが何も言わずに硬直していると、ユキはもはや一瞥することもなくソファから立ち上がり、勝手に寝室へと消えていった。ユキの為に必死で掃除した寝室だ。物は多いが寝づらくはないだろう。
 パタン、と閉じた扉の音が空虚に響いて、深くため息をついながら両手で顔を覆った。
 さっき向けられた言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
 ――どうせ思ってもいないことを言ってる。面倒だから、終わらせようとしてる。機嫌を、取ればいい――
 オレの〝軽薄さ〟が、正しくユキの目に映っていたことが、恥ずかしい。

 で、同じ家で寝られるわけもなく深夜徘徊を開始したというわけだ。
 この辺は高級住宅街で、治安が良すぎるが故に遊び場も殆どない。コンビニを出たらあとは公園ぐらいしか無いが、流石に今をときめくアイドルが、深夜の公園で一人寂しくブランコに乗っている姿って悲しすぎるでしょ。そんなところすっぱ抜かれてしまったら、モモファンが号泣しちゃう。
 Re:valeの百と言えば、クラブで女の子引っ掛けて合コン三昧、ラビチャの相手は若手女優とモデルばっか。そんなイメージだもんね。まさか家で一人寂しく冷やしうどんを食べてるとは、皆思わない。というか、思わないでいて欲しいし。
 もう、そのイメージ通りの行動をしちゃおうかな。冷やしうどんもかぼちゃサラダも元の場所に戻して、タクシーに乗り込んで行きつけのバーで管を巻いて。ユキが帰った頃合いを見計らって、一人では抱えきれないほどの二日酔いを家に持って帰る。
 それで、ユキが寝ていたオレのベッドで、今度はオレが体を丸めて寝るのだ。
 べろべろのユキを抱えて眠るという野望は、あっけなく散って終わり。だって今回は、そういう喧嘩だ。
 こういう時にさめざめと泣ければ可愛げもあったんだろうけど、もうこの業界に入ってから長いし、いちいち泣いてもいられなくなってしまった。めちゃくちゃ悲しいし、悔しいし、恥ずかしいし、情けないけど。
 でも、オレももう大人だしね。
 いい加減10分は居座ったコンビニを出る意思を固めて、右手に重ねて持っていたかぼちゃサラダを元の場所に戻そうと一歩進む。すると、今の今まで沈黙を貫いていた自動ドアがガコンと開き、ピンポンパンとあの軽快なメロディを乗せて、新たな客の来訪を告げた。
 あ、やばい。マスクも何もしてないから顔あんまり見られたくないな。
 急いでうどんも棚に戻そうとすると、「それ」と背後から声をかけられて、伸びた腕が止まる。
「美味しいの?」
 ヒク、と喉がひりつく。
 びっくりして、逆にしゃっくりが出そうだ。カツ、カツ、と革靴の音がリノリウムの床に響き、もったいつけるぐらいゆっくりと隣に立たれた。これがわざとなのか、それとも遠慮のあらわれなのかは分からない。
 かなりたっぷり時間を置いて、聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で返す。今出来る限界の反抗だった。
「……美味しいけど」
「じゃあ食べようかな」
 同じものを、長い指がすくい取る。これはそのまま食べれるんだね。小さな呟きはオレが返事をしなかったから、独り言になった。すぐに訪れた沈黙がやけに寂しそうで、オレの方があっという間に耐えきれなくなってしまう。
「……お腹いっぱいのくせに」
「怒ったら減っちゃった」
「家にまだ残ってたじゃん」
「一人で食べる用に作ってないよ」
 ぐ、っとお腹に力が入る。そういうこと、軽々しく言うところ。本当にどうかと思う。
 オレが掴んでいた冷やしうどんもするりと回収されて、所定の位置に戻されてしまった。オレは最後の抵抗とばかりに、決して隣を見ないようにしていた。さっきはずっとそっぽを向かれっぱなしだったのだ。仕返しの意味もあった。
 なのに唇が震える。
「……絶対、絶対絶対絶対ユキが悪い」
「そうね。ごめんね。二人に嫉妬しちゃった」
「迎えに来るとか、聞いてない」
「言ってないからね。電話して出てもらえなかったら、ショックでしょ」
「かかってきた瞬間に電源落としてやりたかった……」
「怖……」
 ちょっと本気で怯えた声を出されて、そこで若干溜飲が下がりそうになる。あーもうダメダメ。違う違う。
 なんで迎えに来るんだろう。寝てたくせに。ふて寝してたくせに。寝てなかったの? 寝れなかったの? そういうの全部、聞き出させようとしてるでしょ。魂胆は分かっているのだ。
 オレはユキの方を一瞥もしないで、手ぶらでコンビニを出た。ありやしたー。と、これは流石にオレたちに向けられた声だった。彼の働きぶりったら、今のオレたちよりよっぽどちゃんとしている。今日の分は、明日いっぱい買うことを心に誓いつつ。
 ユキは今度こそあっという間に隣へやってきて、スタスタと当たり前のように同じ帰路を辿っていた。まるで同じ家に帰るみたいだけど。本気?
 寝癖、ついてたりするかな。見てないから、知らないけど。
「ねえモモ」
「…………何」
「モモの機嫌、取ってみてもいい?」
「……そういうのって、申告制なの?」
「あんまり得意じゃないから。誰かさんみたいに成功率100%なわけでもないし」
「…………」
 それって、対ユキにのみ効力を発揮するやつだし。さっきは機嫌を取られることすら嫌がったくせに。
 コンビニの冷房で冷え切った体が、生ぬるい空気に包まれて次第にあたたまっていく。厄介なことに、涙腺も一緒に溶け出してしまったらしい。
 じわりと視界がにじむ。ユキの指が、オレの指に絡まる。
「こんな風に僕が追いかけるのは、モモしかいないよ」
 唇を噛み締めながら、隣を見る。ユキの髪はぼさぼさで、服だってしわしわで、想像よりずっと格好悪かった。
 こんな姿で出歩いてたら、オレたち二人ともファンに泣かれちゃうよ。
「だからまた喧嘩しよう」
「もう二度としたくない」
 あははと、機嫌良さそうな声でユキは笑った。
 オレが何一つ取り繕うことなく不機嫌を晒して、泣き顔を見せて、我儘を言っているからだ。
 軽薄の奥にある、一番重苦しいものを、包み隠さず見せているからだ。
「悪趣味すぎる……」
「モモが言う?」
 ぐすぐすと鼻を啜りながら悪態をつくオレも、大概酷い有様だろう。
 だから酷いついでに、恨みがましく言ってやった。

「追いかけるのは、一生オレしかいないって言って」

 そしたら今回は、特別に許してあげるから。


いたいけなLOVE