「恋愛映画の主演!?」
に、初めてユキさんが選ばれた時は、それはもうお祭り騒ぎだった。
おかりんと一緒にユキさんを胴上げして、お赤飯と無添加の野菜買って、料理はユキさんにしてもらったけどパーティーさながら乾杯しつついっぱい食べて、狭い居間で大騒ぎだ。
大抜擢としか言いようのないキャスティングに、社長も珍しく全力の笑顔。ユキさんはオレたちが喜んでいることに喜んでくれて、終始上機嫌だった。
最高の日。最高の出来事。
さっすがユキさん。絶対絶対観に行きます!!
そしたらその映画が空前の大・大・大ヒット。異例の超・ロングランに加え、邦恋愛映画の興行収入ランキングぶっちぎりの一位を獲得してしまった。
それもそのはず。
この映画は少女向けのキラキラ系ラブコメディではなく、今ではちょっと珍しいぐらいの、ドロッドロの恋愛劇だったのだ。しかも、濃厚なベッドシーン有り。むしろそこが話題を集め、それを観るために足繁く通う観客が後を絶たないのだそうだ。
超人気女優がW主演、相手役が新人のユキさんであることも含めセンセーショナルに売り出したいというのは広告会社の提案だった。結果、大成功。敢えて告知は上映のギリギリまで行われず、予告映像すら、内容が殆ど分からないような作りを徹底していた。何も知り得ない、分からないところに、超絶美形のベッドシーン。そりゃ話題になって当然だ。
――何も知らなかったのは、オレも例外ではない。
関係者試写に呼ばれ、某建物の某シアタールームで初めてその映像を観た時、確かに三回、気を失った。その三回とも全部ベッドシーンで、しかも全員、違う相手だった。大盤振る舞いである。相手の女優さんもめちゃくちゃセクシーだったしスレンダーからグラマラスまで様々なニーズにお応えという感じだったんだけれども。けれども。ごめんなさい。殆ど覚えてないです。
だってユキさんがとんでもなかった。
セクシーとかそういうレベルを超えて、現代に生きるエロ魔神だった。
一回目のベッドシーンで、相手の女性の長い髪の毛にキスをしたあたりからオレはずっっっっっっっと、それはもうずっっっっっっっっっと指の隙間から画面を観ていたし、悲鳴をあげないようにハンドタオルを噛みしめていた。
こんなの拷問でしかない。おかりん、なんで一緒に来てくれなかったの。
極めつけにこの映画、ユキさんが全然服を脱がないのだ。
女性のことはほいほい脱がすくせ、自分は肌一つ見せない。完全に主導権を握るタイプの悪い男で、普通そこは自分も脱ぐでしょってところでも、ジャケットを脱いだだけでシャツは着たままとか、全シーンそんな感じ。
なのに、なのに、だから、めちゃくちゃエロい。
嫌がるフリをしている女優さんの顎を掴んで、ちょっと乱暴にキスしたり。後ろから包み込むみたいに抱きしめて、トップスの裾から手を入れて下着を脱がしたり。首筋に唇を這わせて舐めたり、おへそ舐めたりふくらはぎにキスしたり!?
ア、アイドルって、こんなに「女を抱き慣れてますよ」感を出していいもの? 実際抱き慣れてるからしょうがないんだけど。もうちょっと手加減したりしないもの!?
でもそっか、ユキさんってこんな風に女の人とするんだなあ、なんて考えてしまってから、いやいやこれはユキさんじゃなくて役柄なんですけど!? と暴れ出したくなった。オレの両サイドに座っていた人たちは「百くんの百面相の方がよっぽど気になったよ」と教えてくれたけど、どう考えてもユキさんに集中すべきだったし、出来ていないのはどうかと思うし、オレのせいで本当にごめんなさい。
でも結果、ユキさんが悪いんだと思う。ユキさんがエロ魔神だったせいでこんなことに。勿論これは濡れ衣だ。
その日は完全に憔悴したまま事務所にも寄らず直帰して、結局一睡も出来なかった。
ユキさんの〝ああいう〟演技、初めて観た。
ライブでのセクシーさとはまた違った、どこか露悪的でどうしようもない香りのする男。女も、あるいは男も駄目にしてしまいそうな、めちゃくちゃ危険な香りのする役だった。
あんな色気の化身みたいなユキさんが、この世に存在しているなんて知らなかった。
あんなイケメンを大画面で大写しにして、死人が出ていないのが不思議なくらいだ。いや、これから出るのかもしれない。今日が関係者試写ってことは、明日から完成披露試写、そして舞台挨拶に向けた全国行脚が始まるのだ。
だからこの家に、今オレは一人で居られるのだった。
今朝方ユキさんを見送った際、あまりにぐずるのでぎゅっと抱きしめて送り出したのを思い出し「何してくれたんだ春原百瀬!!」とびっくりするぐらいちゃんと声に出た。
なにこれ。これって一体どういう気持ち? ユキさんを抱きしめる自分に嫉妬?
もうわけがわからない。それぐらいあの映画のユキさんに、オレはめちゃくちゃにされてしまった。
今本物のユキさんを前にしたら、多分爆発する。爆発したらオレの肉片がユキさんの口に入ってしまうかもしれないから、それを避けられたのだけは本当によかった。ユキさんは好き嫌いからくるベジタリアン。
ユキさんからのラビチャ『疲れた』『眠い』『どうだった?』には、『お疲れ様です』『ゆっくり休んでください』『最高でした!』と返しておく。
本当は『最高でした!』のあとに一万字ぐらい感想をしたためて送ろうかと思ったけど、ユキさんは多分読みきれずに寝ちゃうから、この六文字に一万字分の想いをこめたつもりだ。届いてるかな?
それからというもの、オレは毎日のように映画館に通った。
Re:valeの百が夜な夜な映画館に通っては相方の映画を観ているというネットニュースは、様々な憶測を呼び巷を騒がせたけれど、そんなことを気にしている場合ではなかった。
だって、この大画面で観れるのは今しかないのだ。ユキさんを画面いっぱいに吸い込むことが出来るこの瞬間を、一秒たりとも逃したくない。
ユキさんが全国行脚を終えて帰ってきたのは、公開から一ヶ月が経った頃。その時点でオレは、この映画を三十回は観ていた。前売り券はあと二十枚ある。勿論全部使い切る予定だ。
いつものように帰宅すると、部屋着に着替えたユキさんが部屋の中央でアコギを抱えている姿が見えた。オレに気づいたユキさんは、ぱあっと花が咲いたような笑顔で「モモ! やっと帰っ「ぎゃーーーーーーー!!!」
「……ッ!?」
「ゆ、ユキさん……!? なんでこんなところに……!?」
「え……? なんでって、僕とモモの家だろ……?」
途端にユキさんがしょんぼりとしてしまって、オレは慌てて訂正する。
「すみません! そうでした、そうでしたよね!」
「……もしかしてモモ、女とか連れ込んだ? それって浮気じゃない?」
「いや本当にそういうんじゃないです!! すみません、もう大丈夫です!!」
必死に否定を繰り返すオレが逆に怪しく見えたのか、ユキさんは「ほんとに?」「ほんとのほんと?」と何度も繰り返し質問してくる。訝しげな表情も相まって、実はかなり威圧的に見えるそれも、今のオレには〝神をも超えた美貌を持つその人〟が〝涼しげな瞳で見つめてくれている〟ようにしか見えない。
「ユキさんって、アフロディーテですか……?」
「ユキだよ。Re:valeで、君の相方のユキだよ」
「そっか……。じゃあ、アマテラス……?」
「……ちょっとモモ、大丈夫? これは本当に大丈夫な状態?」
ユキさんが、更に心配そうに問いかける。
オレは今すぐにでも映画の感想を伝えたかったけれど、それよりも先に言うべきことがあると胸を張って、大声で答える。
「ユキさん、おかえりなさい! オレは大丈夫です!!」
今思えば、全然大丈夫じゃなくて、怖い。
あれから数年。
オレはユキのことをユキさんとは呼ばなくなったし、敬語も使わなくなった。ユキの為に自分自身を〝使う〟ことも覚え、スポンジのように業界の慣習を吸収して、それはそれは醜い物体へと変貌を遂げたのだ。ちょっと前の自分の純真さに呆れてしまえるほどスレてしまったオレは、ユキとの同棲も解消して一人暮らしを始めてかなり経つ。
色々あった五周年を超えて、今オレたちRe:valeは丁度いい距離感になった思う。同棲も楽しかったけれど、やっぱり一人の時間は必要だし。
その証拠に、オレの手元には(仮)とマジックで書かれたまっさらなブルーレイディスクが置かれている。流れるようにディスクをデッキにセットし、再生ボタンを押した。
奮発して買った70インチの4Kテレビに流れ始めるのは、ユキの主演映画最新作だ。関係者試写にどうしても行けなかったオレに監督が、特別だよというメッセージ付きでパッケージにして送ってくれたのだった。散々一緒に飲みに行っといてよかった。愛してるよ監督。
期待に胸を膨らませながら、オープニングを迎える。その瞬間、破壊力抜群のユキの顔面がドアップになって、オレは倒れた。
「〜〜〜〜〜〜!!」
ソファに倒れ込んだまま、指の間からそろりそろりと画面を覗き込む。
そこにはやっぱりこの世で一番の美貌を持つ人が。
「はあ〜〜〜〜……ユキ……。やばい、超・超・超イケメン…………♡♡」
一人暮らし、最高。
しかし大変大変残念なことに、この作品がユキのキャリアに於ける最後の恋愛映画となる。
既に今受けている仕事は硬派な刑事ドラマや医療物にシフトしていて、新規案件も恋愛系は全て断っている状態だった。当然、何も理由もなしにそんな急激な路線変更をするわけもなく――理由は単純だ。
ここ数年でユキは、女優からの共演NGを死ぬほど食らってしまったのだった。
自分の意思と関係なく女性をメロメロにしてしまうユキの、最高にして最悪のチャームが遺憾なく発揮された結果だ。
ユキを前にしただけで、人は理性を飛ばす。それを【ホワイトアウト】と呼んだのは昔の話で、今となっては相手もプロ。きっと大丈夫に違いない――なんて楽観視していたオレたちが悪いのだ。おかりんは勿論のこと、あの社長だって反省していた。
そう。ユキのフェロモンは、トップ女優さえいとも簡単に陥落させる。
女優の実力不足? いや、違う。
ユキのフェロモンが、規格外なのだ。
人間が〝生物〟であり、生物学上の雌雄が定められてしまっている以上、理性ではなく本能で相手を求めてしまうというのは、仕方がないことだった。
ユキがフェロモンの分泌量を調節出来るならまだしも、そんなの無理だし。
「たった数年で、ここまで警告を食らう男はこの五十年、見たことも聞いたこともない」と関係者は語る。
何それ超カッコいい流石オレのダーリン! と飛びつきたいのはやまやまだが、それって世界の損失なんじゃないか? と思うのは極自然なことだった。
単純に、セクシーなユキが見れなくなるの、まずくない? 辛くない? 経済効果だだ下がりじゃない? ユキのセクシーさが、どれだけの利益を生んでいるか、流石にみんな分かってるじゃん?
しかも未だ素肌を見せず、着衣のセクシーさだけで売ってるなんて、存在自体が奇跡であり稀有でしょ。
だからオレは必死で、この決定に抵抗を試みた。ユキ出演作品関連のプロデューサーに取り入って飲み会の席で懇願。共演NGを出した女優にアポ取って個室で二人っきりで懇願。関連スタッフ集めてユキとまた一緒に作品撮りたいよね!? と全力で先導。
結果、全部週刊誌にスッパ抜かれこの計画はおじゃんとなった。
おかりんに「不用意な会合はあれほど避けろと!」と死ぬほど怒られたし、ユキにも「なんで女優と密会してたの?」めちゃくちゃ問い詰められて誤魔化すのが大変だった。
あまりにもセクシーなユキが観たすぎて暴走していまいました、とは流石に言えず。善戦(?)虚しく結果は敗北。
とはいえ、一つだけ良いことを挙げるとすれば、最後の最後でレーティング付きの過激な内容に挑戦した、ということだ。ユキがOKしたのも、ラストだからという理由に他ならなかった。
今までもかなり過激だったけど、R18+レベルは初めてだ。故に、期待のベッドシーンが始まった頃には、オレは体を起こして前のめりになり、指の間なんて生ぬるいことはせずに画面を食い入るように見つめていた。
相変わらず(申し訳ないけれど)女優の姿は目に入らないし、ユキの演技の虜――だったんだけど。
「…………えっ!?」
ここで問題が発生した。
――――ユキが、脱いだのだ。
あの、数多の出演作で一回も肌を見せなかったユキが。
脱いだ。
ジャケットじゃなく、シャツを。
素肌をあらわにして、女優に覆いかぶさっている。
「えっ、……え〜〜〜〜〜〜〜っ!!??」
冷静に考えれば、レーティング付きで脱がないわけはない。でもユキは脱がなくても世界一セクシーで、むしろそこが売りだったわけで、オレとしてはとんでもない展開に動揺を隠せなかった。
脱ぐこと自体がサプライズとして用意されているのか、劇場やCMで流れる予告にも、一切その内容には触れられていなかった。はずだ。
心臓がバクバク鳴って、なんとも言葉に出来ない感情に支配される。
ユキを暴いてしまった、ユキが暴かれてしまった。どっちにも近くて、どっちでもないような。なんだろうこれ。なんなんだろうこれ?
オレの動揺をよそに、映画は粛々と進んでいく。
ベッドに押し倒された女優の、整えられた赤い爪がユキの首に回り、自然と視線が吸い込まれた。
真上からそこだけを切り取って映されると、なんだか妙な気分になる。
…………っていうかこの色。オレの爪の色と全く一緒じゃない?
いやいや赤ネイルなんてこの世にごまんとあるし。気にしすぎだし。
………………………いや。
で、でも、なんか、似てる。すごく。多分同じブランドの同じ品番使ってない?
……偶然だよね?
それに相手の女優、めちゃくちゃ有名なのにあんまり顔が映らない。やけにユキばっかり映して、これじゃまるで、ユキとのセックスを疑似体験してくださいと言っているようなものだ。
なるほど、レーティングR18+。それは納得。
でも、でもさ。だとしてもさ、このネイルの色、どうかな。もっとこう、別の色、あったよね? ユキの真っ白な肌と、実は男らしい広い背中に赤が映えるのは分かる。分かるよ。完璧だとは思うよ?
だからこそ文句をつけきれず、居た堪れなさに目を伏せてしまった。こんなことは人生初だ。
折角、折角今までで一番エッチなユキの演技が観れる機会なのに!
画面の中のユキが、女優に囁く。
『……ここが感じるの?』
『もうこんなに濡らしてる。……挿れていい?』
ここで気づく。
声だけって言うのも、相当ヤバい。
『……ッ、は……、気持ちいい……?』
『ふ、……僕も、いいよ』
ピッ。
これもまた人生初。
一時停止じゃなく、テレビの電源を切った。
無理。無理です。ごめんなさい。これ以上は。
おかしくない? なんで口調がいつものユキと全く一緒なの? いや「気持ちいい?」とか聞いたことないけどさ。
なんでよりによって「僕」? 普段「俺」って言わされてばっかりだったじゃん。俺様とかドSとか腹黒とかそういうのばっかりだったじゃん!?
――正直に言います。オープニングから気づいていました。
この映画、当て書きすぎて、ただのユキ。
今からでも公開中止に出来ないか? と一瞬でも考えてしまったのは、この映画を観た世の中の女性全員がユキに狂ってしまう可能性を感じたからだ。大丈夫。オレはちゃんと正気です。
だってこの映画のユキと、Re:valeのユキは、あまりに似すぎている。ライブに行けば〝この〟ユキに会えると誤解してしまった人と、いつもオレたちを応援してくれているファン。ライブ会場は様々な〝ガチで恋する女の子〟で溢れかえり、阿鼻叫喚の地獄絵図になるかもしれない。
だからこそ、相手のネイルを俺と同じ色にしたの、恨むよ。
メイクさんか監督かプロデューサーか知らないけど。
まるで〝百〟が〝抱かれてる〟みたいな画作り、おかしいでしょ!?
「っ……うああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」
改めて絶叫し、ソファに倒れ込みながら両手で顔を覆った。頬がびっくりするぐらい熱くなっているのが分かって、その事実に発狂しそうになる。
絶対狙ってる。絶対絶対狙ってる。考えすぎ? いいや、そんなわけない。オレはこういうのに特に敏感だし、今までも様々な狙いに乗っかってきたタイプの人間だ。
でもユキはそういうの言われなきゃ気づかないから、普通にお仕事こなしちゃったんでしょ。分かる、分かるよ。ユキはなんにも悪くないよ。
え? これどうしようかな、おかりんに相談?「ユキの映画中止に出来ないかな。世界のために」とか言えばいい?
おかりんはきっとオレが酔っ払ってると思って「はいはい。明日はオフなんですから、そろそろ映画を観るのはやめて寝てください」って宥められて終わりだ。オレは詳しいから知ってるんだ。
っていうか明日、なんでオフにした? だってだって映画の余韻を楽しみたかったんだもん、一人で。まさかこんな苦しめられるとは思ってなかったんだもん。
そしてはたと気づく。
そうだ。オフなんだ。だったら、飲むしかない。飲みに行こう。楽と龍と大和、三人のうちの誰か一人は捕まるだろう。浴びるように飲んで飲んで飲みまくれば、明日一日潰れ切って、二日酔いで映画どころじゃなくなるはずだ。
決めた。これしかない。最高に冴えてる。途端に笑顔になったオレは、その辺に放り投げていたスマホに手を伸ばした。
ピンポーン。
にわかに発生したチャイム音に、体がビキッと硬直する。
恐る恐る壁掛け時計を確認すると、現在深夜の一時半。こんな時間にやってくるのなんて、一人しかいない。
慌ててラビチャを開くと、そこには件のユキから一言『おかりんから明日オフって聞いたよ。今から行くね』のメッセージが。
「来るな!!!!!!!!!!!!!」
と叫んでも時既に遅し。
だって既に、エントランスホールにユキは居る。オレの許可なくやってきたユキがいけないのだから、本当は追い返したい。
しかしユキは伝家の宝刀・合鍵を持っている故に、追い返そうとしたところで勝手に上がり込んでくるのだ。もはや、インターホンを鳴らしてくれたのは上出来とさえ言える。たまに勝手に上がりこんで寝てる時とかあるし。
そもそも。折角ユキが遊びに来てくれたのに門前払い出来るようなスキル、オレには備わっていなかった。
あのね、いつもだったら飛び上がって喜んでるよ? 今だって勿論嬉しいけど。今日だけは、お気持ちだけ頂戴したいな。ダメ?
とはいえ待たせ過ぎるとそれはそれで怪しまれる。急いでデッキからディスクを取り出し、何も観ていませんでしたよという風を装い、インターホンに駆け寄った。
通話ボタンを押して「ごめんお待たせ〜!」と歓待の姿勢を見せる。間髪入れずに外から鍵が回って、本日の主役であるユキが登場した。
「いらっしゃい! ラビチャ返事出来なくてごめんね」
「お邪魔します。いいよ。寝てるなら勝手に上がろうと思ってたし」
「にゃはは! オレが誰か連れ込んでたらどうするの〜」
「相手を追い返せばいいでしょ」
「やだ、イケメン……」
よし。会話の調子は上々だ。
ユキの手にはワインボトルが入ったペーパーバッグと、一階に併設されている二十四時間デリの袋が下げられていた。その様子だけでも超がつくほど様になっていて、胸がぎゅうぎゅう締め付けられる。
美人は三日で飽きるとか嘘だよ。イケメンは千年見たって飽きないもん。
リビングに案内しつつ、ワイングラスと簡単な取り皿を棚から取り出す。もはやユキ持参のワインをユキ自身にしこたま飲ませて潰すしか、この場を切り抜ける方法はないと判断した。追加の白ワインも一緒にテーブルへ運んでおく。
既に広げられたデリの中にはローストビーフもあって「愛してるよユキ〜」なんてデレデレの声を出して隣に座る。大丈夫。自然自然!
「何してたの?」
「んーなんにも。スマホいじってたら寝落ちしちゃったみたい」
「そっか」
お互いに赤ワインを注ぎあって、乾杯。
当たり前だけど相当上等やつを用意してくれていたみたいで、ガバガバ飲ませられるような味じゃなかった。これは長期戦の予感。
「そうなんだ。じゃあ丁度いいかも」
「ん? なにが?」
「これ。完パケもらってきたら、一緒に観よう」
と、ユキのバッグから取り出されたのは一枚のCDロム。
というか、うん。DVDのディスクだ。
嫌な予感、しかしない。
「……。…………ああ! 新曲のデモ!?」
「ふふ、そうだったら良かったんだけどね。観よう、って言ったでしょ。映画だよ」
「……えいが……」
「うん。僕が主演の最新作。モモ、凄い観たがってたし、関係者試写行けなかったろ? 完パケもらってきちゃった」
善意100%の、お花が舞い散る笑顔のオプション付きで、この誘いを断れる人間がこの世に居るだろうか? 否。居ない。あり得ない。誓って言える。
その優しさが嬉しいのに、ちょっと掴みかかりたいよ、ユキ。
考えうる限り、最悪の自体になったことは間違いなかった。
部屋を真っ暗にしての映画鑑賞は、そりゃセオリーだけど。めちゃくちゃ落ち着かない。
だってさ、この過激な映画を、この暗さと雰囲気で観るのって、合ってる?
ユキはなんでかオレの肩に腕を回してくるし。いや、なんでかとかじゃない。これぐらいスキンシップ、むしろ普段より少ないぐらいだろ。意識をするな百。落ち着け。いい加減にしろ。
ユキの頭がゆっくりとオレの肩に落ちてきて、衝撃で体が揺れそうになるのをなんとか耐えた。これだっていつものことだ。不自然にならないように、オレもユキの小さな頭に自分の頭を乗っける。神に与えられた試練かな? と思わないでもない。
しっかし、あのユキさんと、こんなことをするようになるなんてなあ。しみじみ。
なんて思えるわけもなく。全身が緊張感で爆発しそうだったけど、そんなグロテスクな事件はユキの為に起こすわけにはいかない。そう、ユキさんはベジタリアンでオレの肉片は食べれなくって心頭滅却五劫の擦り切れパイポパイポ……。
「この役、当て書きだったんだよね」
「どあッ!? あ、そ、そうだよね! オレもそうかなーって思ってた! ユキのキュートなところいっぱい出てて最高!」
「……そう? それはモモしか気づけないかもね」
声色が心底嬉しそうで、胸がきゅーんと高鳴る。えーどうしよう。オレの相方、可愛すぎる。超好き。大好き。でもこのシーンから先は全然一緒に観たくないのでもう寝てくれませんか?
そう。ユキが来る直前まで観ていたシーンが、とうとうやってきてしまうのだ。ユキを寝かしつけることは不可能だと判断したオレは、逆に自分を潰せばいいのではと浴びるようにワインを飲んでいた。バレないように自分用に飲みやすい白を開けて、水みたいに喉に流している。大分いい感じに酔ってはきているけれど、眠気は全く訪れず。むしろ体が火照るばっかりで、状況は一人の時より悪化しているような気がする。
オレはバカなのかな? バカなのかも。
泣きそうになりながら、映画の中のユキがシャツを脱ぎ捨てる瞬間を観る。本物のユキはオレに触れっぱなしで、時々もぞ、と動いたりするからやばい。
この以上な緊張と変な方向に爆発したら終わる感情を誤魔化す為に、オレは精一杯の無駄話をすることにした。
「こっ……ここ! これ、モモちゃんびっくりしちゃったよ〜! まさか脱ぐと思ってなかったから!!」
「でしょ。サプライズだったからね」
「こんなの観たら、ファンの子もそうじゃない子もみんな倒れちゃわない!? こんなの全国公開していいの!?」
「まあいいんじゃない? 減るもんでもないし。最後だしね」
「へ……減る、減る。絶対減るよ!!」
「減ってもいいよ」
「それはマジでぜんっぜんよくないでしょ!?」
と、ここの反論だけはかなり熱が入ってしまった。そこで答えが見えた気がした。
ああ、そうか。ユキの裸を誰かに見られるって、オレが今まで、着替えとかお風呂とかで見せてもらっていた大事な秘密を、他の子と共有するのに近い感覚があるんだ。
だからオレにとってそれは「減っちゃう」ことになるんだ。
めちゃくちゃ理論の新事実に対しても大ショックを受けていると、画面には光る赤ネイルが映し出された。
「あ、これ、モモの色」
なんて。それをユキが言うの? と顔を顰めてしまう。なんにも知らないくせに。ユキはね、オレに見立てた女優を抱かされてたんだよ。それってマジで、どうかと思うよ!?
「……うん。思った。……困る、こういうの」
「凄いよね」
「気づいてたなら止めてよ……」
「ふふ」
ユキはやけにご機嫌さんで、全く理解出来なかった。
オレと言えば、映画公開と共にユキとの秘密がどんどん減ってしまうことに気づきテンションはダダ下がり。
誤魔化すように、自然とワイングラスに手が伸びる。のを、ユキが制止した。
「え?」
「飲みすぎ」
「そんなことないよ」
「それにちょっと不機嫌?」
「……そんなこと、ないよ」
「あるじゃない」
頭を起こしたユキは、オレの表情をもっと近くで見ようとして、顔を覗き込ませる。至近距離にもめげずに、オレの視線は映像から動かさなかった。
「……こ、ここのユキ、言葉責めがちょっと激しくない? 嘘っぽい〜なーんて……」
「そうね。本気っぽい方がマズいって判断だと思うけど。演技指導入ったし。本気の聞きたい?」
「いっ……いいです! 結構です!」
「ねえモモ、こっち見てよ」
「見ません!」
「なんで?」
なんで? じゃないから。
真っ暗で、女優の喘ぎ声が響いてて、ユキの言葉責めが凄いことになってて、本物が隣に居て、キスできるぐらい顔が近くて、そんな状況で「なんで?」はおかしいから。
あれ、おかしいよね? オレが変なの?
「ねえ、もしかして妬いてる?」
「………………は、はいぃ?」
あんまり突拍子も無いことを言われて、思わずユキを見てしまう。ユキは「引っかかった」と愉快そうで、その顔がまたこの世のものとは思えないぐらい綺麗でキュートでイケメンで、完全なる敗北感。
オレはどうせこの顔に負ける人生なんだ。そうだそうだ!
どさっと反対側にうつ伏せの姿勢で倒れ込み、体を伸ばす。そのまま脚をユキの膝に乗っけた。四人がけのソファは大の男二人でも十分な広さがあって、これは本当にいい買い物だったと今でも思う。あれ、これもユキが選んでくれたんだっけな。
「モーモ。寝ないでよ」
「……寝ないし」
「すっごい拗ねてる。そんなに減るのが嫌?」
「………それはまあ、嫌ですけど……」
「あ、素直」
その、オレが不機嫌だと嬉しそうにするのも、何。どういう原理のどんな感情なの?
何にも分かんないし、もう本当にこのまま寝ちゃおうかなと思った矢先、脚をどかされて、ずしっと体重をかけられた。完全に覆いかぶさられている。やめてやめて、それ以上の接触は本当にちょっともう。限界だから。
「どいてよ〜〜〜〜」
「どかない。折角構ってもらいに来たのに。……映画、嬉しくなかった?」
「そんなことは……ない、よ。嬉しかった……けど〜〜〜……」
「でしょう。素直が一番」
ほら、と体を起こされて、くるっと反転。いつの間にか天井を向いていたオレは、ユキの顔を超至近距離で見て「ぐうう」と唸った。
「イケメンが過剰なスキンシップをしてくる……おかりん助けて……」
「思ったより酔ってるな。モモ、僕が来る前は飲んでなかったんでしょ?」
「ぅん……」
「じゃあ一人で映画観てたんだ」
「……みてません〜〜。寝てました〜〜〜……」
「そう? ベッドシーンの時『ここびっくりした!』って思いっきり過去形だったけど」
あ。
あ〜〜〜〜〜〜〜…………。
必死すぎて、全然気づいてなかった。なにそれ。超ダサい。ユキも気づいてたならすぐ言ってよ。泳がせ続けるのはいくらなんでも酷すぎない?
「……。酷すぎる……。酷すぎる〜〜〜!!」
「え、何」
「ユキの……ユキのバカ野郎〜〜〜〜!!」
「っと、危な! いきなり暴れるなよ」
「オレ以外に裸見せたくせに〜〜〜〜〜!! なんで最後まで守り通さなかったんだこの野郎〜〜〜〜〜〜!!!」
「あ、そういう拗ね方なの?」
「うう……ううう〜〜〜〜…………」
……はい、そういう拗ね方だったみたいです。
自分でも今やっと理解して、全部言っちゃった今、死ぬほど後悔してます。酒は飲んでも呑まれるなとはこのことですね。酒のせいにするのも、最低だと思います。この間0.5秒。
オレもう成人済みのいい大人なんだけどな。逃げ出すことが出来ないなら今すぐ気絶したい。けど、それも出来ないので、のそりと起き上がって、ソファの上で正座した。
「いきなり起きた……」
「……ごめんなさい。全部オレのわがままなので、忘れてください」
「こらこら、こんなことで土下座使わない」
これだから酔っ払いはしょうがないな、みたいな言い方に腹が立つのに、その通りすぎて反論ひとつ出来ない。
今日は絶対、絶対ユキを家にあげるべきじゃなかった。全ての間違いはそこから始まった。このあと一人反省会だ……と酔った頭でぐるぐる考えていると、唐突にユキの指がオレの手を絡め取る。
その行動の意味が分からず、思わず顔を上げた。
「はえ?」
ユキは、爪の先を愛おしそうに見つめている。映画はいつの間にかエンドロールを迎えていて、そのせいで部屋は殆ど真っ暗だった。液晶の弱々しい光だけが頼りのユキは、それでもこの世のものとは思えないぐらい綺麗だ。
「いい色」
「いつもと同じだよ」
「そうね。そのお陰で品番分かってたし。ちゃんと同じ色だったでしょ?」
「……………え?」
「女優の爪」
ちゅ、と爪の先にキスされて、何が起きたか分からなかった。
「だから実際のところ、何にも減ってないし――もし減ってたとしても」
気づいた時には、押し倒されていた。まるで映画の中の、あの女優みたいに。
エンドロールがちょうど終わって、真っ暗闇の静寂の中。
「今からモモが増やせるよ」
やったね、とユキは笑って、唇に何かが触れた。
それからはもう――……口に出すのも憚られる。
*
その後公開された映画はまたたく間に大大大ヒットを飛ばし――【アイドル界史上最大級の匂わせ映画】として、百年先まで語り継がれることになる。