「Re:valeのユキさんに問題です。夏と言えば?」
おかりんが運転する車の後部座席で、二人仲良く並んで帰宅中。なんともろくでもないことを考えていそうな声でモモが言った。この質問から導き出される様々な事態を回避すべく、至って素直に答えることにした。
悲しいことに、いつだってモモが求めるものの対極に、僕の答えはある。
「クーラー。扇風機。遮光カーテン。冷感シーツ。ミョウガ、トマト、ナス、素麺」
「……!」
「蚊取り線香、バルサン、水風呂、あとはそうだな、映画鑑賞、音楽鑑賞……」
「はい、有難うございました! そんなユキに朗報です!」
見逃したけど、さっき一瞬「信じられないこいつ」みたいな顔しなかった? 仕切りの流暢さは流石で、やっぱりろくでもない予感しかしない。
「オレとユキで、向日葵畑デートが決まりました。やったね!」
…………え。それ、決定事項なの?
結局、こういう勝負に負けるのはいつも僕だった。今回については、全然ろくでもない内容じゃなかった、というのも大きいけれど。
何度断っても全く動じずにスケジュールを押さえようとするから、僕の声、聞こえてないのかな? と何度も疑った。途中からは器用だなあと感心して、最終的に何十回目かの要求を呑んだ。
終盤では、断る度に泣きそうな顔をして仔犬のように見えない耳をへたりこませていた、モモの努力を買ったとも言える。舌っ足らずな声で「ゆきぃ、ほんとにだめ?」とかなんとか。
モモも大概演技派だよねとため息をつくと、助手席で(この旅程では絶対に必要のない)旅雑誌をペラペラめくっていたモモが「ダーリンったら幸せが逃げますぞ?」なんて、こともなげに言う。
ほらやっぱり、あんなの絶対演技でしょ。
とはいえ、僕が仔犬だとか小動物に弱いと思い込んでいるモモは可愛い。ただそれは間違いで、僕は〝モモに〟弱いだけなのだ。出会った頃からずっとそうだった。本人だけが気づいていないので、いつの間にか『芸能界七不思議』に数えられている。『Re:vale七不思議』に収まらないところが、無駄に規模が大きくて好きだった。
「随分厄介な子に捕まっちゃったなと思って」
「にゃはは! でも嬉しいでしょ?」
「……そうね」
そう自信を持って言ってくれることは、素直に嬉しい。
車を出して某所の向日葵畑まで。奇跡的に二日間の休みを(モモが)もぎ取り、久々に泊まりがけの小旅行だった。いつだって万人に愛され尽くしているモモが、僕の為だけに時間を捻出したというのも気分が良かった。ただ、出来ればプラス五連休欲しいだけで。
僕の最後の願いを嗅ぎつけたのだろうモモが、だってさ、と続ける。
「夏らしい思い出が欲しかったんだよ〜!」
「夏フェスだって夏コンサートだってこれから散々やるじゃない」
「それはファンのみんなとの思い出でしょ? オレはダーリンと二人っきりの思い出が欲しいんですー!」
あ、また嬉しいこと言ってる。僕といえば単純なので、それだけ笑顔になってしまうぐらいには喜んだ。
「へえ、そうなんだ」
「……そうだよ!」
自分から言った割にいきなり照れているので、モモの琴線はよく分からない。きっとこれからも一生分からないのだと思う。
好きだの愛してるだのダーリンだのイケメンだのは、耳にタコが出来るぐらい言うのにね。
こうして理解しあえないことすら嬉しかった。
まだまだ喧嘩も、話し合いも、延々とする余地があるということだから。
ナビが目的地到着を告げ、近場のパーキングに車を停める。後部座席に放り込んでいた女優帽さながらの麦わら帽子をひっつかんだモモは、自分の頭にばふっと勢いよく乗せた。それから間髪入れずに「ユキも!」と全く同じ形をしたそれを被せられる。
おかりんからは「決してバレないようにお願いしますよ」と言われているのに、こんな目立つアイテムを着けていたら多分一発だ。三秒でバレる。
――けど、まあ、モモが喜ぶならそれでも別に良かった。陽射しを遮るものが欲しいのは事実だし。目撃情報がそこかしこから上がるだろう未来には目を瞑ろう。下手にグラドルや女優と撮られるよりよっぽどいいでしょ。不仲説も見事解消、むしろ良いことしかないんじゃない? とすら思う……のは、まあ、言い過ぎだけど。
そもそも、本来はモモの方が撮られることを気にするタイプだ。なのにわざと見つかりやすいような格好をさせたのは――〝そういうこと〟なんだろう。
向日葵畑まであと三十メートル、の看板を横切って、モモはいよいよ子供みたいにはしゃぎだす。
「ユキ、こっちこっち! 向日葵畑めちゃくちゃ広いんだって、端から端まで歩けるかな?」
「待ってモモ。ちょっと暑すぎるからゆっくり……」
「ゆっくり歩いてたら逆に辛くなっちゃうよ?」
それもそうなんだけど。手を握られて殆ど小走りで向かうのは、流石に若すぎないか? モモは本当に楽しそうで、毎度のことながらこれで一歳差というのが信じられなかった。一度疑って保険証を見せてもらったけれど、たしかに生まれ年は一年しか変わらず、頭を捻ったことを覚えている。
まだ〝モモ〟が〝モモくん〟で、〝ユキ〟が〝ユキさん〟だった頃。
まさかこんな風に、制止の声も聞いてもらえず、腕を引かれる日が来るとは思わなかった。あの頃のモモは、言いたいことがあっても、一度は必ず飲み込んでしまうような子だったから。
とんでもなく暑くて本当はやってられないのに、その現実が僕の脚を動かしてしまうのも事実だった。これってやっぱり惚れた弱み? モモはそのことを知らないから、ただ単純に「ユキも聞き分けが良くなったなあ」とか思ってるのかな。
向日葵畑に到着する数分のうちに、家族連れにもデート中のカップルにも気づかれたし写真も撮られた。「ネットにはあげないでね」とモモが眩しすぎる笑顔で言い去っていくけれど、守られることは絶対にないと確信している様子だった。相手がファンじゃなければ尚更。
それに、そんな「撮られたくて仕方ない」みたいな顔して言ってもね。
向日葵畑には複数の通り道が用意されていて、二人が横並びしたら肩に茎が当たってしまうぐらいの狭い道だった。意外と道中には先客はおらず、何度か角を曲がった辺りで着いてくる人も居なくなった。
あっけなく二人きりだ。それを見計らったように、モモの腕が離れて、歩くスピードも緩やかになる。早すぎたことを理解してくれたらしい。
ほっと息をついて、モモより後ろをのろのろと歩く。並んで歩くには僕の体力が追いつかなくて、離れた場所から見るモモの背中もなかなか良いものだから、と心の中で無駄に言い訳した。
踏み均された土道を慣れない足取りで進む。モモは時折上を向いて、下を向く向日葵にキスをしては笑顔で「めちゃくちゃでっかいね」とか「あんまり匂いしないね」とか、可愛こぶるのに絶妙に失敗している。
教えてあげようか迷って、いや、それが可愛いからいいか。と止めた。
もしかすると地雷を踏むかもしれないし。むしろ絶対踏むし。
しばらく歩いている間に、土道に体力が奪われ続けていることに気づき、一度立ち止まる。汗の量が尋常じゃない。
「あれ、ユキ!? 限界来ちゃった!?」
「……うん。もう、ここで暮らそうと思うよ」
「えー!? そしたらオレが責任持ってここまでギター持ってくるね!?」
「そこは責任持ってお持ち帰りして……」
へなへなとしゃがみこむと、地面に落ちた汗が土道へ吸い込まれていく。
やばいやばいイケメンの養分が土に吸い取られてる! と頭上からよくわからない声が降ってきて、モモも同じようにしゃがみこんだ。
ゆっくり頭を持ち上げる。すると麦わら帽子の鍔が重なりあって、お互い少しだけ後頭部側にずれた。
視線が重なって、大きすぎる帽子の下は、いっそう二人きりの世界だ。あ、いいな、と思う。キスしたい。しないけど。
モモはそんな僕の考えなど露知らず、手持ちのバッグに入れていた水を渡されて「早く早く」と飲むことを急かされる。正直、キャップを開けることすら出来る気がせず、受け取らずに「飲ませて」とお願いした。
モモが目をぱちくりとさせる。
「……ユキ。申し訳ないんだけど、今のセリフもう一回言ってもらってもいい? あ、ちょっと待ってスマホ出す」
「あとで何回でも言うから、水、先に……」
「えっ、あっ、ごめん! そうだよねそんなこと言ってる場合じゃなかった!」
このタイミングでモモが慌てふためき始めたのを見て、今更? と笑いかけて堪えた。こんな程度で死ぬわけもなし、キャップを開けてくれればそれでいいだけの話なのに。モモはテンパり始めると長いのだ。
「ユキ、ごめんね、こっち向いて」
妙に申し訳なさそうな声で言われて、けれどよくあることなので不思議には思わなかった。
「うん」
「ん」
こく、と喉に水が流れてきて、それは確かに望んだ形だったのだけれど。
やけに唇に柔らかいものが触れていて、それは遠い昔、あるいは映画撮影で、あるいはドラマの収録で何度も経験してきたものだった。
「ぷはっ……あれ、これ難しいな? ごめん、ユキ、もっかい」
「あ、うん?」
完全に水を注ぐことに集中している様子で、色気も何もあったもんじゃない。親がひな鳥に施しを与えるみたいなやり方だ。
この方法、飲みやすいとはとても言えないし、効率も相当悪い。けれど、モモがひたすら送り込んでくる水を受け止めては飲み込んで、を繰り返しているうち、いつの間にかある程度回復していた。
完全に、水ではない理由によって。現金な自分のことは、実はそこまで嫌いじゃない。
そしてここが、いつ誰が来るかも知れない往来であることも思い出す。
「モモ、そろそろ行こう」
「あ、もう大丈夫? 飴とかいらない?」
「うん。有難う。ちょっと疲れただけだよ」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろす姿に、救命措置のつもりで口移しをしたんだろうことが伺える。
よいしょとモモが立ち上がると同時に、わざとモモの麦わら帽子の鍔を掴んだ。頭から抜け落ちて、地面にとさりと落ちる。
「あれ? なんか引っかかっ――」
モモが腰を落とし拾い上げようとした瞬間、細い顎を掴んで顔を寄せた。
音も立たない、軽いキス。
「……んぇ?」
モモの完全なる善意に少しばかり不満が残って、うっかり反撃してしまった。
いやだって。さっきのを初めてのキスに換算するのは、ちょっと。
モモはしばらく腰を落とした姿勢で固まったまま、数秒後に上半身をむくりと持ち上げた。拾い上げられなかった帽子を僕が引き受けて、ゆっくりと立ち上がる。ぽす、と帽子を主人の頭に戻してあげた。
それと同時に、呆然としていたモモが、ハッ、と何かに気づく。
「……作戦が……成功した、……ってこと……?」
殆ど独り言みたいな呟き。
あれ。これはいつものろくでもないことを考えている時の声だ。冒頭に戻るレベルの。
「一応聞くけど、なんの作戦?」
「…………【向日葵畑のモモちゃんはいつもより可愛く見えるよ】作戦……」
「……なるほど」
「あと【ユキとデート中♡マウント】大作戦……」
「あ、それはなんとなく感じてた」
正直どれも全く違うけど、まあ最終的に作戦は大成功を収めたということでいいんじゃないか。
ここが田圃道でも、駅前のロータリーでも、ゴミ袋の上でさえ、同じように可愛く見えるのがモモなんだから。
「あとね、ユキ」
「なに、モモ」
「多分、今の撮られました」
「……うわっ……」
よりによって僕が一番怒られるショットじゃない? それ。
歴史に残るレベルのいいね数を叩き出す投稿がされるまで、あと五分。
どう言い訳をするのも面倒で「『実は恋人でした』って言う?」と提案したら、何故か「こんにゃろう!」と胸ぐらを掴まれた。
順番がなってない、とモモは言う。そういうのも、僕は今更? って思っちゃうんだけど。でも、そういうこと大事にしたい気持ちは、流石に慮ってあげるべきだと、僕でも分かる。
モモとは本当に、いつまでもすぐには理解しあえなくて、それがどうにも嬉しくて、ぎゅっと抱きしめた。
……あとに、軽く気を失った。暑くて。