「モモ、寝る前にちょっと付き合って欲しいんだけど」
「ん? なになに? マッサージ?」
「惜しい。ベッドシーンの練習」
「は?」
ユキのお誘いはいつも唐突で、モモちゃんちょっとついていけませんぞ。にゃははと笑ってから、スンと真顔に戻り、改めて「オレ?」と聞き返した。
「うん。モモ」
「なんで?」
「え? なんでって……なんで?」
?
ユキのキョトン顔に、釣られて同じ顔をしてしまった。首をかしげ、二人していま相当可愛い顔してるね。おかしいよね。
いやおかしいのはユキだけでしょ。
オレは何一つ間違っていないはずだ。だってここはユキの家で、さっきまで楽しくIDOLiSH7の番組見ながら茶々入れて、お風呂上がったしもう寝ましょうというタイミングだった。昨日は長丁場の現場だったこともあって、深酒禁止ですぐに寝ることに決めていたじゃないか。久々一緒のベッドで寝ちゃおっかと、満を持して寝室にやってきたわけで。
それが何。なんですかベッドシーンって。しかも練習って。
どう練習しろと。
「……っていうか。それ次の映画の話? そういう色っぽいの久々だね」
「そうね。一度断ったんだけど、お世話になってる監督だったから押し切られた。まあ、ベッドシーン自体は初めてでもないし」
「それ!」
ビシッ、とユキの眉間あたりめがけて指をさす。
「そうだよね!? 既に何回か経験あるよね!? だったらオレで練習する必要なくない!? 相手の女優さんがド新人とかそういうこと!?」
「女優じゃないんだよね」
「あ?」
女優じゃないって、何。……犬猫とか?
「あれ。狂犬くん久しぶり。元気してた?」
「今そのノリやめてユキの喉噛みちぎりそう。で、相手は犬? 猫? ……もしかして、ヒト?」
「犬猫はマズくない? まあ、ヒトだね。しかも聞いて」
ちょっとだけ勿体つけた間があって、ユキの表情がやけに楽しそうに綻んだ。あ、嫌な予感。
「相手、大和くん」
「………は?」
「だから、大和くん」
大和くんって大和? 二階堂大和の話してる? IDOLiSH7のリーダーでユキの古い知り合いで可愛がりまくっている後輩のあの大和? オレに会うと今でもちょっと気まずそうな顔してそれを隠せてると思っている、あの、可愛すぎる大和?
その、大和とのベッドシーン。
の、〝練習〟を、オレで?
なにそれ。なにそれなにそれ。ユキったら、大和のこと世界の果てまでいじり倒せるのが嬉しくてしょうがないって顔してるし!
「ちょっと! オレだって大和とのベッドシーンの〝練習〟にユキを誘いたいんだけど! ユキは大和くんもオレも抱こうとしてる。贅沢すぎるよ!」
「あ、そっち? まあ、贅沢だよね。僕がモモで練習しようとする気持ち分かるでしょう」
上機嫌に言うことかな?
「違う! そこは、『モモは特別だよ。実は練習に見せかけた本気のお誘い……』でしょお!?」
「そ、そうなの? 相変わらずモモは複雑だな……」
もうすっかり眠気が覚めてしまって、お風呂上がりの心地よさもどこへやらだ。怒りで体がワナワナと震えている。ぎゅっと拳を握りしめて、ユキをきつく睨みつけた。モモちゃんは怒りましたぞ。
「オレで練習はダメ。でも大和で練習も、微妙……ッ! もし練習後に二人がいい感じになってしまったらって思うと、オレの嫉妬心がめちゃくちゃな方向に歪みそう……ッ」
「難しいな。じゃあモモで本番するならいいの?」
「なんでそうなる???」
「え、だってさっきそう言ってたじゃない。本気のお誘いだったらいいんでしょ?」
「そんなん冗談に決まってるでしょ!」
っていうか顔が笑ってるんですけど。全然本気のお誘いじゃないじゃん。オレの純情を弄ぶユキは完全に悪いヤツだ。が、まあ、今のこのやり取りで割と満足してくれた感はある。
「はい、遊びは終わり。明日早いんだしもう寝よう〜」
ユキよりも先にベッドに横になると、ユキも素直に隣に寝そべる。毛布を引き上げようと腕を伸ばしたところで、ぱし、と掴まれた。思わずそちらの方を見る。
「なに……」
恐ろしく綺麗な顔をしたユキが、オレのことをじっと見つめていた。その一瞬で、次に何を言おうとしていたか忘れてしまって、薄縹色の瞳に引き込まれる。体が金縛りみたく動かなくなって、まるでそれが当たり前みたいに上に乗っかられた。
ユキの銀糸の髪が顔をまわりに振ってきて、カーテンで閉じられたみたいに二人だけの世界になる。オレの腕すらユキは自分のもののように扱って、わざとらしくシーツに縫い付けた。流れるように両腕の自由を奪われ、これじゃまるで押し倒されているみたいだ。
「……ゆ、ユキ。モモちゃん、流石にドキドキしちゃうよ〜……?」
振り絞った声は笑えるくらい小さくて、怯んでいますと全身で訴えているも同然だった。だってユキ、ちょっとスイッチ入ってる。「今から抱きます」って目で、オレを見るんだもん。
ユキに押し倒されて、そんな目で見られて、普通で居られる人間なんてこの世にいないと思うんだけど。あ、バンさんなら平気かな? いやでもどうかな、そもそもこの状況を作らせないかな――なんて、現実逃避そのもので思考を飛ばしていると、ユキの顔がぐっと近づいて、鼻先がぴとっとくっついた。
「ひえっ」
「今何考えてた? 僕のことじゃなかったでしょう」
「……そ、んなこと、ない……ですけど」
「ふ。いつもこれぐらい嘘が下手だといいのにね」
きっと今、たまんないくらいかっこよく笑った。
顔の距離が近すぎて、逆に視界がぼやけて見えて勿体なかった。物理的な距離を作るために、腕を引き抜こうと力を込める。なのに、ユキがオレを押さえつける力は強くなる一方だった。ぐぐぐ、と、手首の骨が軽く軋むぐらいの力。ちょっと痛くてびっくりして、でも、無理矢理抜け出すことは出来なかった。
緊張が過ぎて心臓が痛い。
「ゆ……ユキ! ダメだよ。このままじゃほら、うっかり事故チューしちゃうかもだからっ、ね? そんなの、カメラ回ってないのにシャレにならなくない?」
「なら、冗談にすればいいってこと?」
「え? ど、どういう」
「〝練習〟だって、僕は最初から言ってると思うけど」
え?
と声が形になるより先にユキの唇がオレの唇に重なった。
呆然としている間に一度離れて、今度は別の角度からまたキスを落とされる。今度はもっとゆっくり、味わうようにして唇を食まれて、ビクリと肩が震えた。ユキの薄い舌がオレの唇をぺろりと舐めて、肉食獣みたいな動きに体が固まる。
オレだって別に、経験がないわけじゃない。でも、ユキのこれは、捕食者そのもののキスだった。わけもわからず受け止めてしまっている自分は、完全に被食者に成り下がっている。
これって、本当に冗談? 本当に練習? なんでオレで練習なんかしようと思ったの。オレが相手なんて、実際一番だめでしょ。
それをユキだって分かってるはずでしょ?
腕に込められた力がやっと抜けて、距離を取るように上半身を持ち上げたユキは、どこか楽しげだ。
自分の瞳が潤むのが分かる。泣き虫だと笑われたくないので、ぐっと我慢した。やっと絞り出した声は、ほとんど恨み言そのものだった。
「……なんで、こんなことするの」
「モモが素直じゃないから」
「素直じゃないって、なに……」
「僕のことを好きだというくせに、本当は好きじゃないって態度とってみたり」
ふふ、とユキは機嫌よく笑う。
「こんなに分かりやすいのにね」
頬に伸ばされた手の温度は、不思議なほど低かった。
いや、そうじゃない。
オレの顔が、沸騰したみたいに熱くなってる。
「ごめんねモモ。練習なんて嘘だよ」
子供を宥めるみたいに頬をすりすりと撫でられて、それからユキは最高に幸せそうに言った。
「好きだよ。だからキスした」
大和くんをダシに使っちゃったこと、ちゃんと言わなきゃな、なんて。そんなの聞かされたら、大和はきっと倒れちゃうよ。
オレは全てを観念して、「バカユキ」と罵ってから抱きついた。