モモが酒浸りになるのを止められないのは僕のせいだった。
 芸能界なんて太いパイプがどれだけあったって足りないような世界で、モモはその身を犠牲にして様々な人脈を作りあげている。「それが楽しいからいいんだよ」といつも笑っているけれど、酒に負けて吐いている姿を見ていればそれだけじゃないことは明白だ。過剰なほど体内に注がれたアルコールは、ほとんど劇薬なのに。モモは進んで体に取り込んで、死に至る寸前でなんとか吐き出しているのだった。
 今日も泥酔して帰ってきたモモは、呂律がちっとも回らない口で「ららいま」と笑顔を向ける。その笑顔は僕に対しても常に〝表向き〟を崩さず、本当は今にも倒れそうなのは蒼白の顔色で分かっていた。
「そういうのいいから」
 と腕を引いて、トイレに直行させる。そのまま便器に顔を押し付け、モモが抵抗する間もなく後ろに回り込んで、ビニールに覆われた指を喉奥まで突っ込んだ。
 おえ、と苦しそうなえづきに続いて、ごぽ、と水音が聴こえる。それは腹の奥から酸がせり上がって、喉を焼く音だった。
 びちゃびちゃと便座に胃液が吐き出されて、ああ今日もか、と気持ちが沈んだ。

「一人じゃうまく吐けなくって」
 だから横になるしかないんですよね。酒を飲み始めてからまだ日が浅いモモは、酒量をコントロールさせてもらえない上に分解も追いつかない、かわいそうな体だった。「毎日飲んでればいつか慣れるよ」と都市伝説みたいなことを言うばかりで、僕の小言はほとんど聞かない。勿論、モモのその仕事ぶりに支えられている部分が大いが故に、そう多く言及することも出来なかったけれど。
 だからって、その「いつか」は「いつ」来るの。明日すぐに訪れるような、簡単な話ではないだろ?
 だからせめて、と。手伝うことにしたのだ。モモの小さな口を開かせ、喉のさらに奥まで指を挿し込む。するとモモはビクビクと痙攣して、否応無しに吐くしかなかった。初めてそれをした日、モモは泣きながら「汚いからやめて」と喚いていたけれど、汚いなんてちっとも思わない。そもそも今吐き出されたもののほぼ全てが、モモの体を構成するはずだった一部でしかないのだ。
「大丈夫、汚くなんかないよ」
「うぇ、やだ、やだー……」
「モモ、泣かないで。今は拭えないから」
 口元を汚しながら涙で頬も濡らして、それでも泣き言は止まらない。
「ユキさんの、指、汚してる、やだ」
 汚い、汚い汚い。オレが悪い。オレのせいでごめんなさい。
 体を震わせて、掠れきった声で、なんでそんなことを言うのだろう。モモは何も悪くないのに。ただ頑張っているだけなのに。そうさせているのは他でもない僕なのに。
 背中をさすって、耳元で「大丈夫だよ」と言い聞かせることしか出来ない。
「モモは汚くなんかないよ」
 それにね。汚くたって、構わないんだよ。

 初めて手伝った日から、モモが泥酔状態で帰ってくる日はほとんど欠かさず手伝うことにしていた。モモも始めこそ嫌がっていたものの、翌日の仕事への影響を考えると、僕の手を借りることも致し方なしと結論付けたらしい。とはいえ、口に指を挿れる際は必ず薄手の使い捨てビニール手袋の着用をしろと義務付けられた。とにかく指を汚さないで欲しいと、ほとんど泣いて懇願されてしまったので従うしかない。とはいえ、僕の要求を呑んでくれたということには幾ばくかの満足もあった。
 けれどすぐに、異変に気づいた。
 始めこそ気にしていなかったが、二回目、三回目と繰り返されるうち、その異様さに背筋が冷たくなる。
 胃液しか、吐いていない。
 なんでこの子は、食事を摂っていないんだ?
「なんでって、汚いから……」
 問いかけても、そんな返事しか寄越さない。だから汚くないし、汚くたっていいし、いっそう体に負担をかけているし、なんでやることなすこと自分を傷つける方向なんだと怒りが湧いてくる。
「何も食べなかったらもっと酒の回りが早くなるだろ。そんなことも分からないのか? どうしてモモくんはそう……」
「な、なんでそんなに怒るの、ユキさん」
 オレまた間違えちゃいましたか。迷惑をかけてますか。もっとちゃんとしなきゃダメですよね。ごめんなさい。
 口には出さずとも、おずおずと僕を見上げる視線がそう伝えてくる。違うよ、そうじゃなくて、もっと自分を、大事に――……なんて。最も自分をないがしろにしていた僕が言えることじゃなかった。むしろモモくんは、ただひたすらに、圧倒的に、僕のことを最優先に考えて動いてくれているのだ。酒の席を断らないのも、吐くまで飲むのも、手伝いを許容するのも、食事を摂らないのも、全部僕のため。
 僕とのRe:valeのため。
 もう、二の句も告げなくなってしまって、逃げるようにその場を離れる。
 真夜中の3時。玄関のドアを開けて、深く息を吐き出した。十月後半ともなると外気は冷たく、全身が不自然なほど震えた。

 *

「なんてこともあったね」
「ありましたな〜」
「本当にモモが死んじゃうんじゃないかと思って不安だったよ」
「ごめんねダーリン……あの時のオレは超若かったの! 色々超下手くそだったのー!」
 昔話に花が咲いた流れて、嫌なことを思い出させてしまった。一人分空いていたソファの隙間埋めるように、がばちょと抱きしめる。甘んじて受け入れてくれるユキが大好き。
 すりすりと頬を擦り付けて、そう、今この瞬間も結構酔ってます。
「今となっては酒豪モモちゃんですぞ!」
「本当に強くなったから凄いよね。酔うのは酔うけど、吐かなくなったし」
 そりゃあもう。強くならなきゃ一生ユキの指を汚す羽目になりそうでしたんで。
 とは言わない。
 「それって結局僕のため?」とか言われそうだし。逆に言うと、ユキのためじゃないことなんてしないわけで、いちいち当たり前を説明するのも億劫なのだ。
 あと、もう一個かなり大きな理由がある。今二人とも結構酔っ払ってるし、言っちゃっていっか。
「あとね、変な性癖に目覚めちゃいそうでやばかったから頑張ったってのもあるよ」
「うん?」
 きょとんと見上げてくる切れ長の瞳も、さいっこうにイケメン。あの頃から何一つ変わらない美しさに、完全に無意識にため息が漏れる。
「実は……喉に指突っ込まれるたび、感じそうになってたんだよね」
 間。
「ああ、なるほど。…………なるほど?」
「あ、ちょっと引いた? いま引いたでしょ!?」
「いや、びっくりした。結構シリアスだったと思うんだけどな、あの時の僕達」
「そうだよ。めちゃくちゃシリアスだったよ。だから今の今まで言わなかったの!」
「ふ……配慮どうもありがとう」
 あれ、待てよ、ちょっとマジで酔ってるかも。くらりと視界が反転しかけて、へにょへにょとソファにしなだれかかる。ワインが結構効いてるっぽい。久々にユキの家でユキと二人きりのプチ打ち上げ、こんなところで終わらせたくないんだけどな。
「……モモ」
「ん?」
 声につられて顔をあげると、唇にユキの人差し指が触れた。ふに、と唇がやわく押される。はちはちと瞬きを繰り返していると、ユキが瞳を眇めて妖しく笑った。
「いつでも使ってね。この指、モモのだから」
 そのまま人差し指は顎の下へするりと滑って――一番キスがしやすい角度に持ち上げられた。


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