故郷の梅雨入りはいつも五月だったから、上京して初めて五月を経験した時には軽いショックを受けた。
 なんだこれ、やけに晴れてるぞって。
「そんなに珍しいもんか?」
 ふよふよと柔らかそうな髪をいつものように浮かせて、黙っていたらちょっと怖いぐらい綺麗な顔で楽が言う。
 その言葉で、空を見上げていたことに気づいた。
「うん。この時期に雨が降ってないの、未だに慣れないんだよね」
「安心しろよ。来月からはわんさか降る」
「はは! 期待してる」
 そんな会話をつらつらと並べながら、人通りの全く無いあぜ道をまったりと二人で歩いていた。
 TRIGGERでの地方ロケが一段落し、天はソロ仕事の為に東京にとんぼ返り。俺と楽の二人は現地に残りスタッフと打ち上げをしてから、明日の昼便で戻ることになっている。
 普段の生活圏では五歩歩けば話しかけられてしまうような現在、誰の目も気にせず田畑を横目に散歩ができる幸せを噛み締めてしまう。
 そんなこと言ったら、気を抜きすぎ、と天に怒られるかもしれないけど。
「期待ねえ……龍は雨が好きなのか?」
 隣から、ちょっと怪訝なトーンで問いかけられ思わず笑う。楽の視線は俺を真正面で捉えることが多いから、横からちらりと窺われるとくすぐったい。
「うーん、嫌いではないかな。あと、降らないと困る人が沢山いるしね」
「まあ、そりゃそうだけど……俺はあんまり好きじゃねえかな。髪、増えるし」
「ああ、ぽわぽわになっちゃうもんね。楽の、ここ、この辺が特に」
 ぴょいんと跳ねているくせっ毛部分に軽く触れると「それな」と渋い顔をされる。猫の毛のように柔らかい感触とはかけ離れた低い声のギャップが楽しく、もう一度だけ、と指を滑らせた。
 うん、やっぱり柔らかい。ずっと触っていたくなる感じ。
「そいつさ、普段から落ち着きねえのに湿気るとお手上げ状態になるんだよ。メイクさんが」
「あははっ、メイクさんが! 確かにね」
 でも、全体的にぽわぽわになっている姿も、それにちょっと困っているところも、とても可愛いのだ。
 楽はまず最初にとんでもなくカッコよくて、次に綺麗で、ちゃんと可愛い。全部の要素を兼ね備えながら絶妙なバランスでそこに在って、こればかりは天性のものだなあといつも感動していた。
「龍は全然変わんないよな」
 ちょっと拗ねた声色と一緒に伸ばされた腕、真っ白な指先が俺の髪をすくった。一度歩みをとめて楽の方へ体を向け、触りやすいようにと少しだけ頭を下げてみる。身長差的にはそこまでする必要はないのだけれど、なんとなく。
 すると楽は何故かちょっとハッとして、急に両手で俺の頭を掴んだ。
「わっ、ちょ、楽っ?」
 それから、うりうりわしゃわしゃと勢いよくかき混ぜはじめた。予想外の力強さに、一瞬体がよろめきたたらを踏んでしまう。
「はははっ、なんだよ龍、撫でてほしかったのか? よーしよしよし!」
 大雑把な撫で方は大型犬に対するそれと同じで、それなのに楽の手のひらの感触が心地よくて目を細めてしまった。
 そんなつもりじゃなかったのにその気にさせられ、されるがままにこの可愛がりを受け入れる。楽は案外と動物の扱いが上手いかもしれないし、思った通り下手かもしれない。そのどちらでも、楽らしいなと思えるのだから不思議だ。
 とはいえ。やっぱり勢いが強すぎてちょっと体が揺れる。バランスを取りたくて楽の腰に腕を回すと、手の動きがピタッと止まった。
 あれ。
 と思ったら、撫でる手がおりて、楽も俺の背中に腕を回した。もともと近かった距離がぐっと縮まって、密着するような体勢になった。
 というか、抱き合っている。
 ……あれ?
「――故郷が恋しくなったか?」
 それから、何故かちょっと心配そうな声。ぽんぽんと慰められるように背中を撫でられて、全然意味が分からず言葉が出なかった。
「雨がどんだけ降ってたってさ、またドライブ行こうぜ。連れ出してやるよ、海でもどこでも」
 穏やかで、どこか慰めるような声に、やっとのことで思い至る。
 見上げた空。急な可愛がり。なだめる手のひら。

 ――なるほど。
 俺はホームシックだと思われている。

 本当はすぐに否定して、違うよ、ただ楽とじゃれていたかっただけ、触ってもらえたら嬉しいから、と。
 言ってしまえばよかったのに、全部飲み込んで、回す腕に力を込めてしまった。その行動に、自分でも少し驚く。
 俺からすれば細い腰。焼けたらすぐに赤くなり、火傷みたく火照ってしまう素肌。
 きっとそういうもの全てが煩わしかった時期があり、けれど全部を受け入れ強みに変え、全身全霊で生きている、八乙女楽という人。
 そんな彼が俺を当たり前に慈しんでくれている事実に、今更たまらなくなってしまったのかもしれない。
 真っ昼間、開けたあぜ道の真ん中で、大男二人が抱き合っている。傍から見たら異様な姿だろう。
 でもそんなことより、楽の思いやりをもっと、全身で感じてみたかった。
 俺より低い体温。頬をくすぐる柔らかな髪。来月にはぽわぽわになって増えちゃうね。
「ありがとう。楽、カッコいいなあ……」
「ふ、知ってる。龍もいい男だけどな」
「……うん」
 いつだって楽が太鼓判を押してくれるから、そう在りたいと思っている。
 けれど今の俺は、良し悪しで言えば悪い男なんじゃないかな?
 楽の頭にぽんと頬をのせて目を閉じた。見た目とは想像もつかないぐらい、夏の匂いがする人。そういうところも大好きだった。
 ふと、故郷を思い出す。君が夏を連れているからだろうか。
 借り物のホームシックを利用して、俺は言葉を繋いでしまった。
「今年の夏はさ、みんなを俺の故郷に招待するよ。夜は……天は寝ちゃってるから、二人でドライブに行こう。楽のこと、どこでも連れていってあげる」
「おう。楽しみにしてる」
 当たり前に本気で返されて、たまらず強く腕に力を込めたら「潰れる!」と頭を叩かれて笑った。
 それすら嬉しいのだから、やっぱり俺は、良し悪しで言えば、悪い男だ。きっと。





かくしごとはいつか明かすよ