「今日は帰さないで」
百の言葉を聞き受けて、天は「はあ」と努めて気の抜けた声をあげた。
「お好きにどうぞ。ボクは適当なところで帰りますから」
テーブルに突っ伏していた百が勢いよく起き上がり「ちょっとぉ!」と非難めいた声をあげる。元気そうで何よりだ。
手元のティーカップを持ち上げ、優雅に啜った。角砂糖を一つ入れたダージリン。小さなカフェは二人の為に貸し切られ、テラス席で庭を眺めながら飲む紅茶は格別だった。
百の選ぶ店に、ハズレはない。いや、天下の芸能界外交官の百が、外すわけがない。アンティーク調に誂えられた店内は美しい。恐ろしく広い庭には店主がこつこつ育てたらしい薔薇が咲き乱れ、ここだけまるで別世界だ。
頬杖をついた百が、テーブル越しに不満げに呟く。
「いいじゃん、Re:valeの百さんをお持ち帰りできるチャンスだよ? オレ一人のコネクションで、業界牛耳れるかもよッ?」
「未成年には荷が重いですね」
「……じゃあ来年は、朝までホテルで過ごしてくれる? そうだ、成人のお祝いしよう!」
「いいですよ。百さんが本当に、一年後のボクを〝今〟予約してくれるなら」
ティーカップを置き、にっこりと微笑みかけると、うっ、と途端にバツが悪そうな顔をされた。それでいい。この微笑みは、その気もないのに誘いをかけるな、と無言の圧なのだから。
そもそも百と天は当たり前に「そういう仲」ではないし、今後なる予定もない。一連の百の言動は全て、相方の千に対する当て付けでしかないのだ。
毎度この手の面倒ごとに巻き込まれるのは万理か天と決まっていて、今回は天に魔の手が伸びた。確かに、ここ最近MEZZO"はニューシングルの発売を控え忙しなくしている。加えて百のこの面倒な絡み方は、万理相手にはしない類のものだった。――出来ないとも言える。
大体全部分かってる。これがくだらない痴話喧嘩であるということ。来週にはケロリとした様子で二人、肩を寄せ合っていることも。
分かっていながら、大事なオフをあなたのためだけに、使っている。
百が追加で頼んだコーヒーはオリジナルブレンドのブラック。「一口飲む?」という誘いは丁重に断った。
「浮気になるので」
「それがいいんじゃんかー」
「巻き込まれる身にもなって」
「そりゃそうか」
あっけらかんとした返事は、本気でないことをしっかりと伝えてくるので、少しばかり腹立たしかった。そもそも、天がブラックのコーヒーを好まないことなんて、百が誰よりも知っている。
パフェ用のスプーンを手に取ると、「はい、あーん」と八重歯が二本、顔を出した。
「……やると思いますか?」
「これはトモダチの印ってことでひとつ」
「……」
はあ。今度は声には乗せずため息で終らせる。トモダチ。そう来たか。
天が選んだのは、桃にエディブルフラワー、アプリコットやフランボワーズがあしらわれた華やかなパフェだ。ゼリーでコーティングされた桃を一切れとカカオ、生クリームを小さなスプーンの口に乗せて、仕方なく、という体で差し出す。
テーブルに体を乗り出した百が、大きな口でパクっと食いついた。綺麗な見た目には目もくれず。
「犬みたいですね」
素直に思ったことを口にした。百はもぐもぐと頬を動かしてからゴクリと飲み込み、にんまり笑う。またしても頬杖を付き、悪い大人そのものみたいな表情を作った。
木漏れ日注ぐ薔薇園には、到底相応しくない種類のものだ。
「天が猫ちゃんだから、オレたち相性ぴったりだね?」
「そうですか? 百さんにはもっと相性ぴったりな猫ちゃんがいると思いますけど」
さらりといなすと、ありゃ、と百の肩がずり落ちる。いつかの誰かには効いたかもしれない攻撃も、天には一切響かなかった。
百がテーブルに片頬をくっつけて、眉をハの字に折る。
「いつか天のことオトせる日は来るのかにゃ〜」
「弱気にならないで。男前が台無しですよ」
「本当にそう思ってる〜〜????」
半信半疑の目が胡乱に瞬かれ、流石に笑ってしまった。
思ってる。あなたはとてもスマートで、格好いい人だ。
千さん絡みでさえなければ。
――半年に一度訪れる、百さんと千さんの冷戦week。なんらかの原因で喧嘩をし始め、喧嘩した理由を忘れたせいで、仲直りをするきっかけが掴めない。結局、天や万理を巻き込んで、うだうだ文句を言ったり言い訳を並べたり、散々愚痴と惚気に付き合わせたのち、自然に解決。
これが冷戦week。
ここまでくると、くだらなすぎて逆に好ましい、まである。
「あ、天ちゃん、今すっごい失礼なこと考えてるでしょ。モモちゃんは分かりますぞ。なんせ百戦錬磨だから!」
「なんでその読心スキルを、千さんには使えないんですか?」
「…………。ユキがオレに対して、百戦錬磨だから……?」
「質問に疑問形で返さないでください。……それ、勝ち目なしってことになりますけど」
「え、そう? いや……そ、そうかも……。嘘だろ、勝ちたいんだけど……。ねえ、どうすれば勝てると思うッ?」
「自分で考えて」
「天ちゃん。現代の天使がね、オレに雑なの。もう、ずっと雑……」
しょぼくれた百を、今度は天が胡乱げに見つめる番だった。こんなにちゃんと会話を成立させあげているのだから、褒めて欲しいぐらいだった。
よく出来た先輩の百は鳴りを潜め、今はただの面倒な成人男性である。
そしてそんなこと、本人が一番よく分かっているのだ。それでも百は、天にうだつの上がらない、どうしようもない部分を見せる。それを天が喜ぶと知っているから。
百は結局のところ、こういった面倒事を使って天を呼び出し、素敵な場所に連れ回して、仕事に関係のないくだらない話題で会話を繋ぎ、天を癒やす。
天が百の為にオフを一日使うということは、百も天の為にオフを使っているということだ。未だRe:valeはトップアイドルの名をほしいままにしていて、TRIGGER以上に多忙を極めている。そんな百の丸一日がどれだけ貴重かは、分かっているつもりだった。
だからといって、極端に甘やかす必要はない。それを求める百ではないから。
「浮気をしたとして」
「はへ?」
「呆けた声を出さないでください。……浮気をしたとして。どうやってそれを、千さんに知らしめるんですか。動画でも撮って、送るとか?」
「そっ……それは、エグくないッ? 流出したらどうすんの!?」
「どんな動画を想像してるんですか……。じゃあ、写真とか」
「あー……。うん、まあ、そうだね。写真ぐらいなら、いいか……」
「もっとテンション上げてください。ボクがノッてあげようとしてるんですから」
「えっ……、これって浮気のお誘いだったの!?」
目を丸くして、信じられない、という顔をする百に、天は特大のため息を吐いた。
結局、これである。はじめから、浮気なんかちっとも乗り気ではないのだ。
だから少しばかり、意地悪をしようと思った。いつも、天ばかりが優先されるこの空間は、嬉しいけれど、少しばかりの寂しさもある。まあ、平気だろう。百が言うには、天は〝トモダチ〟らしいので。
「嫌なら、いいですけど」
「え、いや、いやいや、あの、それはほら……ね? でも、天が……あの天がだよ!? お、驚くじゃん!?」
「そうですね。TRIGGERのセンターである九条天が、Re:valeの百さんとの浮気をOKしてるんです。喜んでもらえると思ったんですが、そうでもないんですか?」
「あ、あわ、あわわわ……」
大慌てで顔を赤くさせる百は、見ものだった。照れだとか本気にしているわけではなく、年下の後輩に、茶番をさせてしまっていることへの羞恥心だろう。百が天を理解出来るように、天もそれなりに百を理解出来るのだ。
なにせ来年には成人だ。いつまで経っても子供扱いというのも、プライドに傷がつく。
百のカップに手を伸ばし、甘さなど欠片もないコーヒーに口をつける。残り少なかったそれを飲み干して、百の真似をするように、片方の口角を上げた。
百の頬に指を添える。
「今日は帰さないよ」
「ひ、ひぇえ……」
千さんに勝ちたいんでしょう。
たまには辛勝する姿でも、見せてくださいよ。
果たしてこの度の冷戦は、百に軍配が上がった。
天、楽、龍之介の三人と百が楽しく鍋を囲んでいる姿を姉鷺に写真に撮らせ、それをラビスタにアップしたのだ。
たった一つ、添えたタグは『#百さん四股疑惑』
アップした一分後には千から鬼電が入り、百はそれを全て無視する形で、ほろ酔い顔のまま帰宅準備を始めた。鼻歌なんて歌って、上機嫌丸出し。一度ぐらい電話を取ったほうがいいのでは、と楽と龍之介はハラハラしっぱなしだった。
姉鷺はというと、ずっと呆れ顔で、付き合ってらんないわ、と一言。それは天こそが言うべきセリフである。
玄関で見送る際、各々が「気をつけて」と挨拶を終えたあと。扉を開けようとする百の腕を、天が強く引いた。
楽も、龍之介も、姉鷺は特に、ギョッとした顔で後方から天を見ている、気配がした。
「……帰るんですか?」
「うん。ごめんね、天。しょうもないこと付き合わせちゃって」
「決定的な証拠も要らない?」
「流出が怖いからねぇ〜」
イヒヒと笑いながら、百が引かれた腕を軸にして振り返る。天に一歩近づいたかと思うと、ぎゅうっと抱きしめられた。
それから、耳元で低く「ありがとね」と囁いたかと思うと、パッと離れていった。思わず右耳を押さえて百を見ると、なんだかやたらとスマートで、格好いい顔がそこにはあった。
不覚にもドキリとした。
「天はかわいいね。オレ、来年マジで予約しちゃうかもしんない」
「……ここの三人との先約があるので」
えっ? と後方で困惑の声が上がったのを、無視する。
「ありゃ、残念」
そう言ってわざとらしく肩を落とす姿は、やっぱりちっとも本気じゃない。む、と眉を寄せると、百が愛おしそうに目を細めた。
「また遊ぼうね。天と遊ぶの、大好き!」
「……もう、早く帰ってください。次は、ちゃんと一日空けてくださいよ」
「モッチロン! モモちゃんが考えた最強のデートコースをエスコートしますぞ!」
おー! と掛け声をかけ、一人で拳を振り上げる姿は、やっぱりほろ酔いだ。きゃらきゃらと勝手に笑ったかと思うと、今度こそこちらに背を向けて扉を開けた。
「それじゃあ、お邪魔しました! 今度はユキと遊びに来るね!」
「結構です」
「ひどっ。ま、そりゃそっか。んじゃ、おやすみ――」
「でも」
うん? と、百が閉める寸前のドアの隙間から、ひょこりと顔を覗かせる。
「次のデートは、ボクを惚れさせてくださいね」
天の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせてから、百が思い切り破顔した。
「わんわん! やった! 猫ちゃんがデレたー!」
――言うに事欠いてそれかい。
トモダチでありライバルであり大先輩は、今日も今日とて難攻不落だ。