エリンにとってのオライオンは、勇敢で賢く、真摯で厳しく、頑張り屋で意地っ張り。美しくて格好良く、何より可愛いらしい人だ。
 本来それを口に出そうものなら、オライオンの怒髪天を突いて仕方ないのだけれど。
 エリンにとって、叱られることは戯れと同義だ。
 うん。そうだよ。やっぱり、王様は、可愛い!

「っつぅ〜……久々にすっごいの食らったな~~」
 オライオンから受けたゲンコツによって、こんもりと出来たたんこぶを撫でさする。
 激務をこなし続けるラーマの王・オライオンは、既に三日寝ていなかった。恐ろしい程の集中力は称賛に値する――と言うべきは国民の仕事で、エリンは専属の従者だ。主君に無理をさせ過ぎないことが、仕事の一つである。
 張り詰めすぎた糸をほどよく緩めてやろうと、【王様の素敵なところ】を即興で歌にして、軽やかに歌い上げたのが、ついさっき。
 で、「可愛い!」のところで、突然立ち上がったオライオンから、ゲンコツを一発食らったのも、ついさっきだ。
 ちっとも納得いかないんですけど、と頬を膨らませつつ、ひらひらと城の屋根を伝い、壁を登る。いつものように適当なルートを選んで、言いつけられた通りに城内の見回りを続けた。普通に見回りをしていては宮廷や侍従・侍女たちの邪魔になるし、何よりエリンが飽きてしまうのだ。
 たまに、大荷物を持って移動している侍女を手伝いがてら「王様にゲンコツされた」と言って、クスクスと笑いを取るのが楽しかった。
 元暗殺者であるが故に、エリンは人心掌握を得意としている。〝やろうと思えば〟この星の人間全員の懐に入り込める自信があったし、現にその方法で相手を油断させ、背中から一突きで殺したこともあった。
 けれど、今のエリンは、暗殺者ではなく、オライオンの従者だ。皆、現王を心から信頼し、従者であるエリンも、信用してくれている。故に、下手に懐柔する必要はなく、後ろから音もなく近づく真似もしないで済んでいた。
 何より、好きな人が同じだと、嬉しい。
 エリンはオライオンのことが大好きなので、オライオンを大好きな人間たちのことも、大好きだった。

 星玉を巡る争いが終決を迎え、この星にもひとときの安寧が戻っている。なんなら、平和そのものだ。来週には、以前約束した通り、オライオンを美女に仕立て、城下街に赴いてお忍び視察をする予定だった。ちゃんと覚えてる? と訊くと、物凄く険しい顔で「当然だ」と凄まれた。ちゃんと覚えていて、偉いね王様。
 三階の窓から飛び降り、中央庭園にそのまま着地する。これもオライオンに見つかると「階段を使え」と怒り始めるので、わざとショートカットを使うのを、やめられなかった。
 エリンは、オライオンに悪戯を仕掛けたり、わざと怒られるような振る舞いをするのが好きだ。
 自分のことで眉間に皺を寄せ、憤慨したり、呆れたり、ため息をついたりしてくれることが、嬉しい。呆れ返って気が抜けた瞬間、少し笑ってしまうところも、とても好ましく思う。
 生まれた瞬間から暗殺者として育てられてきたエリンには、当然ながら家族も、友達も居なかった。そんなエリンにとって、オライオンは主君であると同時に、大切な友人だ。そして、幼い頃から王となるために育てられてきたオライオンも、また、同じくエリンを友人として認めている。
 当時、まだ王子だったオライオンを殺そうとしたのが始まりだ。そんな出会いでも、こうして友人関係を結べているのだから、運命とは数奇なものだった。
 エリンにとってオライオンは、唯一無二だ。
 だから、王に仇なす者は容赦なく殺すことが出来るし、それが他国の王や従者だったとしても、変わらない。
 優先順位を間違えないことが、エリンと、オライオン、二人が持つ共通の美点だった。
 中央庭園をてくてくと歩いていると、突然見事なバラ園が現れる。世話は侍女たちに任せっきりで、エリンはこの先にある温室の管理を請け負っていた。
 ここもまた、平和の象徴のひとつだ。
 紛争が絶えなかった頃は、この庭園もひどく殺風景で、花一つ植えられず、樹木が数本立ち並ぶだけだった。
 そんなのはいけない。美しくないし、楽しくないからだ。
 よって、数ヶ月前に「王様から許可を貰った」と適当を言って、業者を呼び込み勝手に温室と花壇を作らせた。それから、エリンは自分の足で城の人間に好きな花を聞いて回った。
 城下街や、ベスティア産の珍しい種の球根を仕入れ、それもまた業者の手で適宜植えてもらった。やるなら完璧にやらなければ、オライオンが怒るから。と、周りにはそれっぽく説明していたが、単純に全くの無知だったし、面倒だっただけだ。
 何もかもをオライオンに無許可かつ秘密で行った為――勿論、すぐに見つかったが――エリンはこっぴどく叱られた。しかし、その時はゲンコツを食らうことも、撤去を言い渡されることもなかった。理由は一つ。
 これは、エリンがオライオンの為〝だけ〟にしたことで――オライオンも、それを理解してしまっていたからだ。
 オライオンが、実のところ花を愛でる趣味があり、更に甘いものが好きであったりすることを、エリンは誰にも話していなかった。それは、オライオンの尊厳を守りたいだとか、そういうことではなく。ただただ、二人だけの秘密にしておきたいという、エリンの我儘だ。
 が、オライオンは何故か、エリンの子どもっぽい独占欲を拡大解釈し、勝手に恩を感じたらしい。
 結局、叱りはするものの激怒まではせず、「ちゃんと世話をするように」と言われて終わった。
 王様って、そういうところ、甘いよね。でも僕も、最後には許してくれると分かっていたから、やったことだ。
 まさか無許可だったなんて、と侍女たちはエリンに呆れながらも、庭園が華やかになったことを心から喜んでいた。
 そして、実のところオライオンが、誰よりも喜んでいる。人気の少ない時間を見計らって、せっせと花の世話をしたり、眺めに来たりしていることが、何よりの証拠だった。オライオンが庭園全体やバラ園、温室の植物を眺めながら、それこそ花のように表情を綻ばせるのを、微笑ましく見守っていた。
 エリンが得意とする歌よりも、花の方がよっぽど癒やし効果があるのには、ちょっと物申したさもあるが――まあ、いっか。王様が楽しいのが、一番だし。
 だからこそ、この温室の管理を怠るわけにはいかなかった。ベスティア産の植物は特に育てるのが難しく、自分の給料から栄養剤を買い足したりしている。
 はじめこそプロに任せきりにしてしまおうかとも思ったのだが、流石にそう毎日外部の人間を入れるわけにもいかない。結局「勝手に温室を作ったエリン様が責任持って育てるべきです」と、侍従たちから世話を押し付けられ――任される形となった。何一つ反論の余地のない言葉に、はぁい、としょんぼくれて返事をしたのを覚えている。
 とはいえ、始めてしまえば、なかなかどうして楽しいものだった。食べられる花も植えたので、綺麗に咲いたら紅茶に浮かべて、オライオンに出してやりたい。それは、エリンの細やかな野望だった。
 巨大な多肉植物に、樹齢三百年とも言われるディルトラ。カラーリーブに、ランド、リルヴィア、サボニ、トロワガ。……だっけ?
 ベスティアの花はラーマと生態系から違う。全く未知のものだらけで、立て札を用意して近くに挿しておかないと、名前ごと忘れてしまいそうだ。
 手元のメモをペラペラとめくりながら、指差し確認を始める。
「えーっと。サボニは断水中でしょ、リルヴィアが……20度のお湯を、花弁にかけるんだっけな?」
「馬鹿者。それはロゼットだ」
「あ、そっか。ありがと、王様!」
「……フン」
 オライオンの存在は、足音でとっくに気づいていた。当たり前に会話を続けるエリンに、オライオンも慣れきった様子だった。
「僕より詳しんだからやんなっちゃうよね」
 と、エリンがぶすくれたフリをしながら言う。背中越しに、きっと今、渋い顔をしているだろうと予想がついた。
「……文献を読んだだけだ」
「ほんとに〜〜?」
 つき通す気があるのか分からない嘘で返され、笑ってしまう。いやいや、僕以上にしっかりお世話してくれてるの、知ってるよ。それを、王様も知ってるでしょう。
 エリンがくるりと振り返ると、オライオンの視線が一瞬たんこぶに向けられて、すぐに戻った。
 吹き出しそうになるのを堪えて、続ける。
「珍しいね。王様がわざわざここまで来るなんて」
「執務室から、お前がサボっているのが見えてな。正しく指導するのも私の役目だ」
「ちょっと! サボりだなんて心外だよ!?」
「ふ、……まあ、確かに。思いの他、真面目にやろうとはしていたか」
「あ、素直に認めた! 偉いじゃん王様!」
「ただ。お前に任せておくと、温室中の植物を枯らし兼ねない。仕方がないから、手伝ってやる」
「あれ? 全然素直じゃないな……」
 軽口を叩き合いつつ、このまま続けては夜になってしまう。エリンが、多肉植物専用のウォーターポットを手にすると、オライオンもそれにならうように、長いホースを手に取った。
 普段、ペンか剣しか握らない人が、安っぽいホースを携えている。その姿が、あんまり似合わなくて、最高に愉快だった。それに、なんというか、やっぱり。
「あはっ、ははっ! え、ちょっと、王様、それ最高だよ!」
「……なんだ? 馬鹿にしているのか?」
「違う違う! ぜんっぜん似合わなくって、可愛いよってこと! はー、ほんっと王様って面白、」
 ――あ。
 我慢していたのに、喉からするりと出てしまった言葉に、口を塞いだが遅すぎた。
 これでは、またゲンコツを食らってしまう。見れば、オライオンはその言葉にしっかりと反応を示すように、エリンを睨みつけていた。
 ああ、やっぱり。
「ご、ごめ」
「お前の歌だが」
「へ?」
 大事になる前に、と形だけの謝罪を口にしかけたところで、オライオンの声が被さった。
 エリンは目を白黒させて、頭の上にクエスチョンマークを載せる。歌?
「歌って、今日の、あの名曲のこと?」
「あの、お前が即興で作った、ふざけた歌」
「うっ。いい歌だったと、思うけどな〜……?」
「ああ。…………曲と声は、確かに、悪くなかった」
 歌詞は、聞くに堪えなかったけどな。
 いつもよりずっとぶっきらぼうに響いた声の意味を、理解するのは簡単だった。
 王様、僕の歌、好きだってことか。
「じゃ、歌詞変えたら、また歌っていい?」
「勝手にしろ……。それと! お前はやたらと、私を可愛い……だのと言ってくるが。私からすれば、お前の方が圧倒的に、〝そう〟なわけで……」
 最後の方は、殆ど聞こえなかった。
 オライオン自身、自分が何を言っているのかよく分からなくなってしまったのだろう。
 瞬きを数回繰り返し、ふむ、と顎に手を当てる。
 改めて思考を整理してから――オライオンに、勢いよく抱きついた。
「っ、エリン!? いきなり何を……っ」
「僕、生まれて初めて『可愛い』って言われた!」
「そんなの、私もだ、馬鹿者!」
 温室に響いた怒鳴り声は、ちっとも怖くない。

 今すぐ、この星中の人間に、僕の王様は最高だって、言って回りたかった。

 *

 ――僕にとっての王様は、勇敢で賢く、真摯で厳しく、頑張り屋で意地っ張り。美しくて、格好良く、可愛くて――何より、思慮深く、優しい人だ。
 だから僕も、王様にならって、らしくもなく花を育ててみたりしている。
 慣れないことをして、自分なりに相手を大事にしていることを、不器用に伝えている、つもりだ。
 なるほど、僕らはまったく、正反対の似た者同士だね。


 オライオン。
 おそらく、最初で最後の友人が、君であること。
 僕は本当に、誇らしくてたまらないのだ。


My One and Only