バッシュのスキール音が、体育館に響き渡る。
スリーポイントラインで、十さんにボールが渡ることだけは阻止しなければならない。だって、十さんの一歩のデカさったら反則レベルだ。脚の長さがさあ、違いすぎるんだよな、オレと!
だとしたらオレはオレでこの身長を生かして、小回りの効くプレーで対抗していくしかない。十さんが仲間からパスを受ける直前、死角から走り込んで宙に浮いたボールを掴んだ。
視界の端にちらりと映り込んだ白黒のメッシュが「ここにいる」と伝えてくれる。
「百さん!」
十さんの腕をかわすために無理な体勢を取ったから、投げたボールの軌道が若干逸れた。にも関わらず、百さんは片手で軽く受け、ナイス、と視線だけで声をかけてくれる。
真剣勝負をしている時の百さんは、実はそこまで声をあげない。勝負事への慣れ方はこの業界で培ったもの、だけではないだろう。サッカーを真剣にやっていた時期があってね、と話していたことを思い出す。
ボールを受け取った瞬間、百さんの一人速攻が始まる。一人、二人、と敵チームのメンバーを抜き去り、仲間であるオレたちですら、ついていけない。
マズい、いかれるぞ、上がれ上がれ! 敵チームが叫んだのも束の間、百さんはレイバックのシュートフォームに入った。お手本みたいに綺麗なフォームに、敵味方関係なく、目を奪われる。
スパッ、とボールがネットを潜る音に次いで、試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
——マジかよ。ブザービーター?
25対26の一点ビハインドからの逆転。
本日の主役が決まった瞬間だった。
「三月ー! さっきのパス最高だった! ナイス!」
首にかけたマフラータオルで汗を拭いながら、百さんがオレの隣に座った。十さんのチームは連続ゲームで、オレたちは一回休み。端っこの床に座って試合を見ていたオレは、手元にあった未開封のミネラルウォーターを「お疲れ様です!」と差し出した。
笑顔で受け取った百さんは、キャップを外して即座に喉に流し込み始める。ぷはーっと息を吐いて「命が助かった!」と大袈裟なリアクションをしている姿は、試合中の雰囲気からはかけ離れている。むしろ、いつもの百さんだ、と少し安心さえした。
「百さんのお陰ですよ。オレすっぽ抜けましたもん」
「んなことないない。めちゃくちゃいいとこ投げてくれて助かった!」
「いや、次はオレもシュート決めます!」
「頼んだぞエース! ってか、オレさっきの試合ほっとんど点入れてないからね。ほぼ全部三月が取ってくれたんじゃんかー!」
忘れちゃったのかにゃ? と八重歯全開で笑ってみせる百さんは、太陽のように明るく、健全だ。君を可愛がってますよ、と全身で伝えてくれるので、ちょっとくすぐったいぐらいだった。十さんも、同じことを言っていたことを思い出す。
「でも、最後ブザービーターで決められたら、オレの出る幕なしですよ。カッコよすぎですって!」
「にゃはは! あれほんとまぐれだよ。オレもびっくりしたもん!」
それってもっとカッコよくないか? と思いはしても言いはしなかった。ちょっと悔しかったのもある。あのラストシュートは、まるで映画のワンシーンのような完成度だった。
あ、そうか。だったら。
「誰か動画撮ってるだろうし、ラビスタにあげましょうよ」
「……え〜〜? 恥ずかしいからいいよ。なんかオレ、イキってる感じしない?」
「しないですって。なんでそこ消極的なんですか!」
「いやね、〝チーム内最年長〟の肩書きがオレに重くのしかかるわけ。先輩風を吹き荒らしてるモモ、痛すぎ! ってラビッターに書かれまくるかもじゃん!?」
自分を肩を抱いて、いやっ叩かれたくないっ、と騒ぎ始める。そんなこと全く気にしなさそうなのに、珍しいな。
むしろどんどん載せて運動部広めていっちゃお、ぐらい言いそうなのに。何かあるのかも、と考えを巡らせる。
運動部、目立つ行動、掲載拒否——うーん。あるとしたら、ただ一人。
一応ですけど、と前置きして、問いかける。
「千さんって今日のこと知ってるんですか?」
「…………三月。もしかして探偵事務所経営してた?」
「うちの弟がそれっぽいのやってたことはありますけどね。陸と」
「あれ、か〜わいかった! 最高だった! 一織が狼少年ってのがまた意外性あってさ〜。ウーッワンワンッてさあ」
「百さん?」
「わ、ワン……ワ……。………三月。今日のこと、ユキには言わないで欲しい。ちなみに今日の手持ち、これぐらい。どう?」
どう? じゃないですよ、どう? じゃ。
手で表された数字が果たしていくらを指しているのかは分からなかったが、その冗談、全然冗談に聞こえないですから。後天性セレブジョークなんだろうけども。
愛すべき先輩は、たまにフリが雑だ。
「……喧嘩ですか?」
「……ヤバいって三月。マジで探偵やった方が良い。オレとユキの離婚調停の弁護してくれない?」
「探偵の仕事じゃないですよ、それ」
「あれ? そうだね……。仕方ない、それはポケットマネーでどうにかするか……」
どこか遠くを見つめる百さんをオレも見つめて、続きを待つ。こういう時は、あんまり突っ込んで聞かない方が、沈黙に耐えられず百さんが喋りだしてくれるのだ。
案の定、十秒経ったあたりで、観念したような声色で百さんが続けた。しょんと耳を垂らすような表情が、仔犬のようで可愛い。可愛いなんて、先輩に使うべき言葉ではないんだけど。
「この前、ロケでちょっと無茶したのね。バンジー系のやつ……。三月も高いとこダメだったっけ」
「あー、ダメっすね……。でもオレもよくやらされます」
「ね。本人が苦手なものほど面白く撮れちゃうの、よくあるじゃん? プール飛び込みとかさあ。だからオレも、バラエティ王者として頑張っちゃったんですよ。……紐なしを」
「……紐なし」
「ええ、紐なし」
それってただの飛び降りじゃないですか。と視線だけで強く訴える。そうだよ三月。おまえもいつか、やらされる。そう返ってきたような気がして、目を逸した。
絶対嫌だ。
「で、まあ……オンエアを見たユキさんが、大変ご立腹されまして。落下後の網に、体強めに打ち付けちゃってたからさ。カットしてーって言ったんだけどな〜」
「ああ〜……そこまでちゃんと放送するタイプの」
「そうそう。オレもね、オンエア見て『あちゃー』ってなったよね。で、暫く無茶というか、運動全般禁止というか、激しい動きするな的な……お達しが」
「それを破ったんですね」
容赦なく切り込むと、百さんが潰れたカエルみたいな声をあげた。
いそいそと体育座りを初めて、頭を俯かせて腕の中に収める。あ、百さんのつむじは右回り。いつかのトークでこのネタは使おう。
「…………だって運動部、オレ主催だもん。オレがこのスポセン貸し切り予約してるんだもん。新品のバッシュをどうしても下ろしたかったんだもん……!」
「最後のが本音ですか?」
「御名答!」
なんて、きっとこれは嘘だ。
百さん主催で、百さん都合でバラシになったことは、例え二人きりの小さな飲み会であったとしても、一度もない。これはきっと百さんなりのプライドで、資質で、才能だった。一度計画したことは、最後までやり遂げる。それがどんなに小さなことで、どんなに親しい人間に対してであっても。
そういうところに、憧れる。
でも千さんは、百さんのそういうプライドを、あえて無視することが出来るんだろう。百さんが無茶をすれば、千さんは「NO」を突きつける。愛情深くて、それでいて——
「我儘なんだよね、ダーリンは」
「……答えづらいっす」
「だよねー? ごめんねっ。ダーリンったら、オレが変なことするの大好きなのに、オレがちょっとでもヤバいことすると、怒るからさ。塩梅がね、難しいんだよ」
そこがキュートで最高とも思うんだけどね?
そう言ながら、百さんは頭を上げた。つむじは四方に跳ねる髪によって隠れる。同時に、十さんがスリーポイントシュートを決めて、思わず「ナイッシュー!」とあげた声が、重なった。十さんはオレたちの声援に気づき、手を振って笑顔を見せてくれた。
「ぎゃー! 龍の笑顔モロに食らっちゃった! ヤバい!」
「すげぇ。十さん、爽やかなのにやっぱりエロいっすね……!」
「セクシーすぎてモモちゃんにはちょっと刺激が強いかも!?」
「千さんがいつも傍に居るのに、ですか?」
「今は離婚調停中なのでノーコメントで……」
思わず笑ってしまって、百さんもオレを見て、ニカッと笑う。どんな時でも人を笑わせるのに余念がなくて、やっぱり凄い。
オレにとって百さんは、憧れの先輩であり、目標だ。失敗した時は笑えばいいと言ってくれた、その言葉に今でも救われてる。
でも、百さんはどうだろう? 今この瞬間、ふとした時に見え隠れする憂いた視線の中に、泣いても怒ってもどうにもならないこと、が含まれているような気がするのだ。
仕事なら、失敗を反省して、後悔して、最後には笑って自分を鼓舞することが出来る。でも、そうじゃない、理屈じゃない時って、簡単には笑えないって、オレは思う。
「さっきの話ですけど、オレが千さんに言わなくたって、絶対バレますよ。今日のこと、他のメンバーに箝口令敷いてないんですよね?」
「……うん。喧嘩したの昨日の夜だしね」
「直近じゃないですか! ……まあ、だから、百さんはもう大丈夫ですよって意味も込めて、アップしてもいいんじゃないかなと、思いました。オレは」
「……正論〜〜〜〜〜」
苦笑いの横顔が、見ていて少し寂しかった。けれど百さんが真実求める言葉を、オレの立場では言えないのだ。百さんもそれを理解しているからこそ、オレに話している。
だとしたら、今はオレが出来る範囲のことを、するしかない。
「――百さん、今日このあと空いてますか?」
「んえ? 夜ってこと? 一応確認するけど、多分大丈夫だよ」
「よかったら、うちの寮来てください。十さんも大丈夫そうだったら誘って、お二人にオレの料理食べて欲しいです」
予想外の誘いに、百さんの丸い目がもっと丸くなる。濃いピンクの虹彩がきらりと光った。
「……え、いいの!? いやでもいきなりは迷惑じゃない?」
「そんなわけないです! うちのやつらも喜びますし、ぜひ!」
「え〜……いいのかな……。……。……いっか! 三月がいいって言ってくれてんだもんね」
「その通り!」
やったー! と喜ぶ百さんとハイタッチ。龍も行けるといいね、何食べさせてくれるの? と、これは素の笑顔だ。
千さんとのことに、オレは首を突っ込む事は出来ない。上手い返しも思いつかないし、アドバイスなんてもの、百戦錬磨の先輩に出来るわけもない。
だからこそ、オレは百さんにとって、気兼ねない場所になればいいと思う。何も出来ない代わりに、何もしなくていい存在になりたい。沢山迷惑をかけた、恩返しだってしたいのだ。
試合終了のホイッスルが鳴って、次はオレたちの出番だった。立ち上がり、ぐっと伸びをする。百さんも立ち上がり、コートに向かって歩き出す。
「これでラストだっけ?」
「ですね。次勝ったらうちの優勝ですよ!」
「オッケー。蹴散らそう!」
百さんの手はオレより大きく、男の人らしいものだ。先を行く背中だって、顔や口調の印象から受けるより広くて、カッコいい。スポーツをしてきた人の体だ、と思う。
「三月」
振り返った百さんが、手を差し伸べてくれる。なんでですか、と破顔してしまうけれど、有り難く手を取った。引き寄せられて、肩が並ぶ。百さんが、内緒話をするように耳元で言った。
「……この試合勝ったら、ユキも呼んでいい?」
そんで、オレの渾身の謝罪、見届けてくれる?
びっくりして百さんを見ると、照れ笑いで返された。ついさっきまで男らしかったのに、その表情はやっぱり可愛い。オレは自分の顔が熱くなるのを感じながら、勿論ですと何度も頷いた。
「ありがとね。三月のご飯があると思ったら、勇気出た!」
ぽん、と背中を叩かれて、百さんはコートに駆け出す。オレも、すぐに追い掛ける。
試合の前なのに、既に心臓は張り裂けそうに脈打っていた。全身に力が漲って、気持ちが逸るのを止められない。
オレ、もしかして百さんの役に立てたのか。それって、凄いことじゃないか?
とはいえ、百さんの渾身の謝罪を見届ける為には、まずはこの試合に勝たなきゃいけない。改めて気合を入れるように「っしゃあ!」と声を張り上げた。
その後。
圧勝したお陰で、千さんを呼べたはいいが――まんまと百さんと千さんの喧嘩に巻き込まれることになり、ひと悶着もふた悶着もあったことは、いつかのトークコーナーで話そうと思う。
――あ、これは余談。
ラビスタに上げた百さんの動画は、一瞬で百万再生を突破。一番最初に♥をつけたのは、千さんだった。