大和と目が合わなくなってから結構な月日が経った。
原因は、大和が限界まで追い詰められていた時に交わした会話のあれそれだ。確かに、驚きも傷つきもしたけれど、直後に謝ってくれたし、そもそもあの時の大和は本当に普通じゃなかった。
本心じゃないと弁解された言葉を真に受け続けるほど繊細でもいられなくて、でもどう言えばそれがうまく伝えられるか、分からなかった。
大和はひねてて、なのに純粋で、意外と何が地雷になるか分からないタイプだ。いっそオレから話を振っちゃって、全部終わったことだよって言えればいいんだけど。
そう簡単に言わせてもらえない厚めのバリアが、居酒屋の個室でも完璧に作動している。
そう。オレと大和は、二人飲みの真っ最中だった。
裏口からすぐに入れる、座敷タイプで狭め暗めの完全個室。顔馴染みにならないと教えてもらえない秘密の部屋だ。過去に三月や楽とも来たことがある、オレのお気に入りの店だった。店員も仲が良い上、芸能人に興味のないタイプ。使い勝手が凄く良いので、紹介した業界仲間たちもそこそこ使用頻度の高い優良店だ。
オレたちの間には、串から抜かれた焼き鳥と、半分ほと減った枝豆、だしまき玉子。それにビールと、ハイボールが置かれている。
お互い、焼き鳥には七味をちょっとつける派。
わかるわかる。美味しいよね。
「あ、大和ってばもうビール空じゃんか! 同じのでいい?」
「ああ、いやお気遣いなく……」
「これ、気遣いじゃなくて癖ね、癖。それに明日オフなんでしょ? たまにはパーッと飲もうよ! オレもオフだし!」
「あはは……。じゃあお言葉に甘えて」
こんなに顔を赤くして酔っ払っていても、理性はまだまだ残っているみたいだ。オレに向けられた視線は微妙に位置が逸れていて、真っ直ぐに目を合わせてくれることはない。
これで上手く誤魔化せてると思っているなら、そりゃたまらなく可愛いけれど。
呼び出しボタンで訪れた店員に、大ジョッキの生とハイボールを追加で注文する。ペース早いっすね、と驚かれて、まだまだこんなもんじゃないよと笑って答えた。
だって今日は朝まで粘るつもりだし。
――だって、大和とは色んな話がしたかった。
ユキが志津雄さんの所でお世話になっていた姿とか、大和の小さい頃の話とか、色々。演技の話も、アイドルになってみてどう? なんて先輩風を吹かせてみるのもいいかもしれない。
大和がどんなことを考え、どう生きてきたのか、好きだからこそ、その一欠片でも知りたかった。
メンバーには話せないようなことだって、オレくらいの距離感の、しかも年上になら話しやすいだろう。リーダーとしての立ち居振る舞いについてだって、きっと悩むことも多いはずだ。
なのに、まだまだこんな調子で、オレは寂しかった。悲しいとか腹が立つとか、そういうんじゃなくて。寂しかった。
きっと大和にとってオレは、かなり居心地の良い他人になれるよって、伝えたい。言葉をそのままを伝えてみても、きっと大和は苦笑いするだけだろうな。
「お待たせしましたー」
店員が注文の品を置ききるまで、自然な沈黙が訪れる。大和は演技がうまいから、こういうほんの一瞬も「店員がいるから、喋らないのは仕方ないことですよね」という顔をする。でもね、オレもやっぱりこの業界が長いから、そういう空気全部感じ取れちゃう。怖い先輩でしょうって、笑いかけてあげられたなら良かった。
そんな顔させてごめんね、と思う。
もっと楽しい時間にしたいのに。オレは結局、四杯目の酒を差し出して「かんぱーい!」と高らかに歌い上げることしか出来ない。この、いつ壊れてしまうか分からないような微妙な空気を、崩れないよう取り繕うだけだ。
――これがユキだったら。
もっと自然に憎まれ口を叩かれに行って、それで心を和らげてあげるんだろうな。オレにはそれがうまく出来ない。大和って実はいじられると光るタイプなんだけど、オレのいじりって褒めが中心だから、照れ屋の大和とは相性が悪かった。
かといって、ユキに助けを求めるなんてことは絶対にしないけど。もしユキが、オレと大和の件を知ってしまったら、流石のオレでも何が起こるかぐらいは分かる。
ユキの正しさは時に凶器だ。
だからずっと美しくいられる。
繕った二人の会話は時々途切れながらも、酒の力を借りたことでなんとか終わらせずには済んでいた。というより、お互いかなり酔いが回って、饒舌じゃいられなくなった、ってのが正しい。
オレの手にかかれば、大和をべろべろにするなんて簡単だ。が、その代わりオレも相当酔っ払ってしまった。呂律、あんまり回ってないかも? 結構ぐでぐで。やるじゃん大和。
基本的にはRe:valeの仕事の話を中心に、IDOLiSH7がゲストに来てくれた回を思い出話しにしたりとか、そういう感じだ。新しい話は今日も聞けなかったなあと少しばかり残念に思いつつも、大和がもう少し込み入った話をしたくなるまで待つと決めているオレだ。これぐらいで諦めるつもりもなかった。
大和が触れられたくないなら、触れない。一生触れないままでもいいよって、思ってる。その代わり、いつかオレに打ち明けてくれる〝何か〟があったら嬉しいな。
もう一杯頼む? とぽわぽわした気分で聞くも、反応が返ってこなかった。あれ、寝ちゃったかなと広げていたメニューから頭を上げると、大和はオレを見つめていた。
顔を赤くして、目は眠たげに。
けれど、ちゃんと、見ている。
オレは少しばかり酔いが醒めて、「えっと」となんの意味もない言葉を繋げようとした。それを遮ったのは大和だった。
「俺、昨日も夢、見たんすよ」
「……夢?」
ゆるゆると、落とすように紡がれる言葉は完全に酔っ払いのそれだ。ちょっとホッとして、続きを促す。「なんの夢?」
「百さんが、泣いてる、夢……」
あ、違った。促しちゃいけなかった。思わず視線を外して、早口で伝える。
「大和。やっぱいいやそれ〜恥ずかしいし!」
「そんで、俺、走って……逃げるんですよ。ヤバいっすよね。夢の中でも、それかよ、って……」
「あー、大和。そうだ、水飲む? 俺も欲しいから、頼もっかなって――」
呼び出しボタンに伸ばした手に、大和の手が重なった。
制止する動きと、冷えた手。
失敗した、と思った。
違う。こんなこと言わせたかったわけじゃない。オレはもっと、もっと単純に、あの時のことはもう終わったことにしていいんだよって、それだけ伝えたかった。いっそ伝えないままでもよかった。
ただ、オレは大和にとって、居心地の良い他人であれればいいなって、それだけ。それだけを示すことが、なんでこんなにも難しいんだろう。
「だ……大丈夫だよ大和。オレね、大丈夫って言いたくて今日誘ったんだよ。もうさ、本当に気にしてないんだよ、オレ。でも、あのことが、取るに足らないことだったって言いたいわけじゃなくて。大和が傷ついてるのも、分かってるからさ、だから……」
自分が明らかに焦っているのに気づいて、ああ、酒が入りすぎると判断力が鈍るなあって、妙に客観視したりもした。もっと適切な言葉があった。もっと優しい言葉が、もっと正しい言いようがあったと思う。
だって大和は、俺の言葉に、悲しそうな顔をしてる。
「百さん。アンタ、ずっとそうだ」
重なった手が離れていく。オレも、ゆっくりと手を引いて、自分の元に戻した。右手の感覚が、どこかふわふわとしている。緊張しているみたいだ。
「……え?」
「ずっと、傷ついてませんって顔して、俺のこと、許そうとばっかりしてる。……自分で言ったんじゃないすか『ユキやバンさんも、そう思ってるのかな』って」
「そ、れは」
「俺のことなんかいいんだよ。俺なんか早く追い出して、アンタの中に、アンタの居場所ちゃんと作ってよ……」
すん、と鼻が鳴る音がして、それでもオレは顔を上げられなかった。だって大和の声は、完璧に発声されている。ゆらぎひとつなく。酔っぱらいの声ではなくなっていた。
「ごめんなさい」
と大和は言った。色んな意味が込められすぎてて、うまく反応出来ない。
「……酔ったフリしなきゃ、こんなことも言えないんです、俺」
「………はは……」
ぎゅっと、テーブルの下で両の手のひらを組んで握った。目をつむる。息を吐き出す。泣きそうになるのを、必死にこらえる。
大和さ、演技やっぱめちゃくちゃうまいよね。
膿んでることにすら気づかなかった傷を、見つけてくれたのは大和だ。
正しさという凶器で、今、オレの膿は取り除かれる。
オレも少しは美しく、変われるだろうか。