■1

 金曜だというのに寮は静まり返っている。
 一織と陸は、いつものようにテーブルを挟み向き合う形でソファへ座り、テレビを流し見していた。
 正確に言うと、一織と陸は、ではなく、陸一人は、だ。一織はSNSのチェックに勤しんでいて、陸との会話は後回しにしている。
 他のメンバーは仕事や飲み会で出払い、陸の話し相手は一織しかいないのにもかかわらず、平然とそんな態度を取るのだから生意気だった。
 当然ながら、うすっぺらい液晶画面に夢中になっている一織を前に、陸はひどく退屈していた。
「いーおり、なんか喋ろうよ~」
 陸の甘ったれた声に、一織の眉間がピクリと動く。視線は寄越さず、普段より冷ややかに返された。
「……いつも喋ってるでしょう」
「足りない! もっといっぱい、二人でしか出来ない話しよう!?」
「そんなものありませんけど」
「えー! いっぱいあるじゃん! 内緒話しようよ~」
「無いものの話をするほど暇じゃないので」
 ピシャリ。見えないシャッターが下ろされる。
 一織のあんまりな言いように、自然と眉が下がって、しゅんとした表情になった。その様子を窺うように一瞬だけ視線が向けられ、すぐに興味なさげに逸らされる。追撃を仕掛けようという気も削がれてしまって、あーあ、と声に出さずにため息をついた。
 このモードに入った一織は、何をどうしたって応答は望めないことを陸は知っている。「邪魔をするな」と全身で訴えてくるので、それ以上は何も出来なくなるのだ。
 抱きしめていたクッションにぼふりと顔をうずめて、一織のばか、と声には出さず言った。
 別に、本気で邪魔をしたいわけではないし、自分の寂しさを紛らわすために一織を使いたいわけではない。
 ただ、……ただ、ほとんど起こることのない『完全なふたりきり』という状況を楽しみたかっただけなのだ。

 ――二人でしか出来ない話。
 オレをコントロールしたいと思う一織と、一織にならそうされても構わない、オレの話とか。
 いつかの密約は、内緒話にはあたらないのだろうか。陸にとっては、あまりに特別で、大事すぎるほどの内緒話だ。
 一織がオレのことを考え抜いて出したであろう結論について、どんな思いでオレに伝えたのかを、もっと知りたいし教えて欲しい。
 もっともっと沢山、一織とこれからのことを考えたいのに。
 いくら陸が願ったところで、一織はスマホ画面とにらめっこのまま、状況は変わらない。
 今月から始まった大和主演ドラマのタグを追いかけていることは、皆の知るところである。一織は特に他のメンバーの活動も熱心に追いかけていて、そういうところは素直に感心していたし、尊敬もしていた。
 だから、これ以上はもう、何も言えなかった。相手がひと段落して、自分と話そうと思ってくれるまで待つ。
 陸はそれが出来ないほど子供ではなかったし、それに不満を覚えないでいられるほど大人でもない。
 あーあ。「待て」された犬みたい。他人事のように思う。

 ……とはいえ退屈は退屈だ。一織をじっと見つめるのも飽きてテレビに目線を戻すと、安眠出来ると噂の低反発マットレスのCMが目に入る。
 本物の睡眠を手に入れられる、二層構造マットレスがなんちゃらかんちゃら。
「あ、これ欲しい」
 一織の相槌がないせいで、その呟きは独り言になった。気にせず続ける。
「最近、あんまり寝付きよくないんだよな~」
 まあ、理由は分かってるんだけど。その言葉は心の内に留めておく。
「……はい!?」
「ぅえ?」
 それまで陸に一切の興味を示さなかった男が、ガバリと勢いよく顔をあげ、間髪入れずに「今なんて!?」と叫ぶ。
 突然のことに、ぱちくりと一度、大きくまばたきをした。
「ちょっと、どういうことですかそれ。うちの寮のベッドだって、寝心地はいいはずですよ!?」
「え、う、うん。いや、全然寝やすいよ?」
「どこか具合が悪いとか? ちゃんとマネージャーには相談しましたか? また勝手に思い詰めてストレスを溜め込んだりしてるんじゃ……っ」
「ま、待った待った! そんなに深刻な話じゃないっていうか、理由、分かってるやつだから、大丈夫!!」
 立ち上がらん勢いでまくしたててくる一織に両手をぐんと伸ばして、ストップ! の体勢を作る。
 その〝待て〟の合図に一織が息を詰め、コホン、と咳払いをする。ソファに座り直し姿勢を正した。どこかバツが悪そうな様子だ。
「……で。寝付きが悪い理由は?」
 あ。黙っていようと決めていたのに、一織の勢いに釣られて口走ってしまっていた。
 理由。理由……。
 少し考えてから、拗ねたような声で言った。
「……秘密」
「はあ? なんですかそれ」
 すぐにでも答えを聞けると踏んでいたらしい一織が、不機嫌そうに眉を寄せた。さっきまで陸をスルーし続けていた人間とは思えない様子に、流石の陸もムッとする。
 なおさら、教えてやるもんか、と思った。
 いや、そもそも一織には、――一織にだけは、言えないんだけど。
「体調悪いとか、ストレスとかじゃないよ! だから平気!」
「平気かどうかは医師が判断すべきでしょう」
「だから、そういう話じゃないんだってば!」
 流石に、今このタイミングで押し負けるわけにはいかない。絶対に言わないと決めていることを、言わされてしまう可能性があるから。
 寝付きが悪い理由。

 ――恋わずらい、ってやつ。
 しかも恋する相手は目の前の男、和泉一織その人である。


   *


 結局、このままだといらぬ嘘までついてしまいそうだと、陸はさっさと部屋へ退散して事なきを得た。
 ……いや、得られたかどうかは微妙なところだ。
 翌朝、リビングで朝食を食べている間、普段より一織の視線が訝しみを含んでいたように思う。
 一織のようにクールでもシャープでもスマートでもない陸は、その視線から逃れるようにおにぎりにパクつき、盛大に喉に詰まらせあわや大惨事となった。
 そんな時だって、一織は一番に駆けつけて、陸の背中をそっと撫でてくれるのだ。意外なほどにあたたかい手のひらは、兄である九条天のそれとも全く違った。
 慣れていないなりに精一杯の優しさで触れてくる、そんな感じ。
 だからこそ、陸は思う。

 ……こんなの、好きにならないでいられる……?

 「言いがかりですよ」と、一織からのお小言が聞こえてきそうだけど。


 陸単独での雑誌撮影は予定の半分以上を撮り終え、ひとまずの休憩時間に入った。
 スタジオのロビーで一人ソファに腰掛け、ホットティーを両手に包みながら「はあああ」と大きなため息をつく。マネージャーは撮影スタッフと打ち合わせの為、席を外していた。
 ――言うべきじゃなかった。大失敗だ。陸の寝付きが悪いと一織が知ったら、心配することなど分かっていたはずなのに。
 だって一織は、――とかく〝IDOLiSH7のセンター〟である陸を、大事にしているので。
「……それで満足出来てないの、問題だよな~~……」
「へえ、リクが悩んでら」
 突然、背後から声をかけられ飛び上がった。ホットティーをこぼしそうになった姿を見てか、慌てた様子で声の人物が駆け寄ってくる。
「ちょ、大丈夫か!? 火傷とか……っ」
「わっ、わー! すみません、大丈夫です! 大和さんが居ると思わなくて、びっくりして……!」
 ぺこぺこと頭を下げると、焦った表情だった男――大和がほっと息を吐く。
「ならよかった。ドラマの撮影、急遽こっちのスタジオ使うことになってさ。リクは休憩中?」
「はい! 大和さんもですか?」
「ん、そんなとこ。……あー……、前、座ってもいいか?」
 どこか窺うように聞かれて、もちろん、と頷く。わざわざ聞かなくたっていいのにとは思うけれど、大和はいつだって陸に遠慮がちだ。陸をどう扱っていいのか分からず、未だ掴みかねている部分が多くあるのだろう。
 なんでもそつなくこなせてしまえそうな大和の、不器用な部分の一つ。陸はそういう大和が大好きだった。年上なのに、可愛く思えるところも含めて。
「で、問題って?」
 ……でも、突然大人そのものみたいになるところは、ちょっと困る。
「ナニモ、イッテ、ナイデスヨ……?」
「はは。リク、ほんっと嘘下手だな」
「ウソジャナイデス……」
 ガチゴチに固まってしまった陸を前に、大和が苦笑いを浮かべる。流石に、自分でもこの言い分には無理があると思った。なんなら、言えば言うほど嘘っぽくなる。もっと自然に、スマートに、クールでシャープに! そう思えば思うほど、体の自由は利かなくなっていった。
 陸の様子を苦笑いのまま眺めていた大和は、一転、何を思ったのか「はあ」と軽くため息をつき、埃を払うような仕草でかぶりを振る。
 それから、
「……それってお兄さんには言えないこと?」
 と寂しそうに言ってみせた。
 ……ちょっと!
「そ、それは、ずるい……!!」
 そんな顔されたら、言わないほうが悪人のように思える。演技だと分かっているのに、本気で寂しがっているようで途端に気まずくなった。
 良心に訴えてくるなんて、ひどい!
 あー、だの、うー、だの言葉にならない声をなんとか絞って、――……結局、負けを認めたように渋々口を開いた。
「い、いおり、との、ことでした……」
 自分でも可哀想に思えるぐらい、しおしおの声だ。大和はその名前を聞き、驚いたように目を見開いた。
「……あっ、なるほど? そういうことか。……参ったな、またしてもイチと問題勃発ってか? 喧嘩?」
 参ったとは言いつつも、大和から肩の力がいくらか抜けたのが分かった。陸と一織のいざこざに巻き込まれ慣れている大和の悲しい余裕でもある。当の陸は巻き込んでいる気などさらさらない為、何故気が抜けたのかは分かっていないどころか、その様子にさえ気づいていなかった。
「ん~、喧嘩とかじゃなくて、なんて言うか……」
 こめかみに両手の人差し指をくっつけて、うーん、うーんと体を左右に揺らす。その様子を見た大和が「あざと~」と笑っても、考えあぐねている陸の耳には入っていない。
 ……ああ、でも、これかも。
 ようやく思い当たって、口を開く。
「一織に大事にされすぎて困ってる、って感じです」
 沈黙。
「…………おっと。ごめん、お兄さん一瞬気が遠く……。え、なんて? だ、大事に? されすぎて? え?」
「はい。一織、オレのことめちゃくちゃ大事なんです。でも、そればっかりだと、オレが困るっていうか、うーん……」
「……それはまたどうして。いいことじゃん、大事にされんの」
 そうだ。いいことなのは、間違いない。だからこれは完全に『陸』の『問題』だった。
 大事されすぎて、それ以上を求めてしまうこと。
 大事にされることは嬉しいけれど、期待してしまう自分がいること。
 だったらいっそ想いを伝えてしまおうかと考えて、そこまで無謀にはなれないこと。
 それら全てが、一織への恋愛感情からきていること。
 何もかも、頭のてっぺんから足の先まで、困り通しだ。
「もらうばっかりは、ちょっと……」
「あげりゃいいじゃん。ってか、十分あげられてると思うけど?」
「オレのは、うーん……色々余計なものが、くっついてきちゃうから」
「……〝余計〟ねえ?」
 まずい。これ以上話すと、大和は何らかの気づきを得てしまいそうだ。
 かと言って不自然に話の腰を折ることも出来ず、背中に汗が吹き出た。これ、バレたらどうなるんだろう。やめとけって、言われたらどうしよう!
 途端に大和のことがまっすぐ見れなくなり、膝の上で組んでいた指に視線を逃した。どうにかこうにか、この場を乗り切りたい。ええと、何か、何か別の話題を――……
「……なあ、リク。それって――」
 大和が何かを口にしようとした瞬間「陸さん!」と呼びかける声が聞こえて、ガバッと頭を上げる。
「ま、マネージャー!」
 天の一声とはこのことだ。たかたかと小走りでこちらまで掛けてくる紡が、本気で天使に見えた。
「そろそろ撮影再開だそうです。って、あれ、大和さん!?」
 駆け寄ってきた紡が、驚いた様子で目をぱちくりとさせている。いつも通りの愛らしい様子にホッと息を吐き、心の底から感謝した。
 あからさまに安堵している陸を前に、やれやれと大和が肩を下げる。
 その様子を不思議そうに見ていた紡に、大和が片眉を上げて問いかけた。
「よおマネージャー。スタジオがこっち移ったの聞いてなかった?」
「いえ、聞いてはいたんですが、休憩が被るとは思っていなくて……? 後でそちらにもお伺いしますね」
「そりゃどうも。俺の勇姿見届けてよ」
 よいしょと立ち上がった大和は、「じゃあ俺も戻るわ」と二人に手を振り、スタスタと来た道を戻っていった。
 背中を見送り、陸も立ち上がる。
「じゃ、オレたちも行こっか」
「はい。大和さんと何のお話をしていたんですか?」
 紡の何気ない問いかけに、ギクリと固まる。
「……ヒ、ヒミツ、デス……」
 嘘の練習、しといた方がいいかも。
 一日に二回も苦笑いされてしまうのは、流石にどうかと思うから。




■2

 何でもない様子でその場を後にした大和は、二人の視線から外れた頃を見計らって、立ち止まる。
 ドン、と壁に片手をついて、もつれそうになる脚に力を入れた。

 ……………。
 ………………………。

 イチ、おまえ、脈アリだぞ…………!!!????

 今すぐ電話してそう伝えてしまいたいのに、一織は今、間違いなく授業中だ。大和がなりふり構わない子供であればそんなことは気にせず、緊急事態だと騒ぎ倒して電話をかけていただろう。
 しかし大和は大人も大人、IDOLiSH7のリーダーである。まさかそこまで暴走することも出来ず、つまんねえ大人になっちまったもんだよ……と頭を抱えた。
 いや正しいのだが。全然、それでいいのだが。

 ――それにしても、だ。
 ここ最近、大和主演ドラマの評判チェックの傍ら、一織が検索しているのは『好きな人との正しい向き合い方』であることを、陸は知らない。知るはずもない。
 かく言う大和も、自分の出ているドラマについて熱心に調べてくれていると勘違いし、一織のスマホをひょいと覗いたことで、その事実を知ったのだ。
 大和の軽率極まりない行動に烈火の如く怒り狂った一織に捕まり、普段殆ど入ることのない一織の部屋で小一時間説教を喰らったのは言うまでもない。
 それ自体は完璧に大和が悪いので、甘んじて受け入れた。けれど、この時点では一織の「好きな人」が陸であることなど、大和は知る由もなかったのだ。
 学校に好きな子が出来たのかなとか。いやはや甘酸っぺえなとか。でもアイドルだしイチはそういうところ特に気にしそうだよなとか。
 大和の浅い想像はその程度の追求で終わっていたのである。
 これがアオハルってやつか……なんて、くすぐったいような気分ですら居たのだ。
 それなのに。
「二階堂さん、いいですか。このこと、七瀬さんには……七瀬さん〝だけ〟には、絶対、言わないでくださいよ……」
 そう言い出したのは、他でもない一織だった。
 言われた意味が分からず、何秒か固まってから、思い至った。
 いや、なんでリク?
「どう考えてもタマの方がヤバくねえか? あとミツとか」
「いえ。七瀬さんです。あの人に知られたら、翌日にはこの世の全ての人間が知ることになりますよ」
「そ、それは流石にリクに失礼だろ……」
 ひく、と顔をこわばらせて笑えば、一織がドン、と床に両手をつき身を乗り出した。
「あなたは何も分かってない。本人にその意思が無くても、口を滑らせて上手い言い訳も思い浮かばず、ちょっとの追求で全てを白状するのが七瀬さんですよ。悪気がないからこそ余計にタチが悪いんです!!!」
 いや声デッッッカ。
 こんな声出るのか、イチ。
 鼓膜にダメージを負った大和は、「分かった、わかったから」と一織を宥める。一織の剣幕は凄まじいものだった。いや、そんな? そんなに?
「リクっつうか、誰にも言わないから。大丈夫だから!」
「本当ですね……?」
 この焦りよう、普段の一織の凛とした姿からは到底想像出来ないものだ。兎にも角にも、陸に〝だけ〟は知られてはならないらしい。
 好きな相手が同じ学校の子であるなら、環にバレないようにした方が懸命。
 考えうる限り最もバレたくないであろう実兄の三月よりも、陸にバレないこと優先。
 ……なるほどなあ、と大和は案外すんなり合点がいった。そもそも頭は回る方だ。考える材料さえ与えられてしまえば、方程式を組むこと自体は容易だった。
 一織の陸に対する過保護さや熱心さ、執着にも似た苛烈な感情を「好き」の一言で片付けるのは、いささか乱暴すぎる。
 けれどなるほど、確かにその感情が全く無い方が、よほど不思議だ。好きだなんて、当然。ごく当たり前のことにすら思えた。
 イチが、リクをねえ。なるほどねえ。
 ふーん。
 ほーーーん?
「二階堂さん。なんですか、その妙に腹立たしい顔は……?」
「えっ、あれ、お兄さんどんな顔してた?」
「面白がるようなくすぐったがるような私に報復を誓わせるような無限に腹が立つ顔です」
「怒りのレベル格段にアップしてない? 大丈夫大丈夫、言わない。ぜっったい言わない。イチがリクのことラブ的に好きなのは意外っちゃ意外だったけど、俺は遠くから見守らせていただ」

「はあッ!!!!!????」

 いやだから、声デッッッッカ。

「お兄さん鼓膜破れちゃうよ……っ?」
「だ……なっ……なん……っ、ラ、好……!!!????」
「あっ、マジかそういう動揺!?」
 茹で蛸も真っ青な真っ赤っ赤ぶりに、可愛いを通り越して可哀想になってきた。
 こんなに簡単に真意を見抜かれるとは思いもよらなかったのだろう一織は、まともな言葉を紡げないレベルまで壊れている。
 いや、めっちゃくちゃアオハルかよ。凄い現場に遭遇してんなあ俺。
 一種の感慨すら覚えながら、どうどうと一織の両肩を押さえるようにして宥め、詫びを入れつつ言った。
「悪かったって。まあ……相手がリクとなると、お局のような兄もいるし大変だとは思うけど……応援してるからな!」
 持ちうる限りの表情筋を使い笑顔を見せたと言うのに、ハリセンがあったらぶっ叩かれていたと確信出来るほどキツく睨みつけられた。
 そのあと、誓約書まで書かされた。……マジかよ。

 そんなことがあったのが、一週間ほど前の話。
 一織は未だ、自らが持つ恋愛感情との折り合いの付け方や、陸への接し方に迷いがあるようだった。
 以前より増してツンケンするようになったかと思えば、陸が困っている時は必要以上に優しくしていたり。
 約束通り不干渉で見守りの姿勢は貫いているものの、目で追いすぎているせいなのか、一織に大分肩入れしてしまっている自覚が、大和にもあった。
 だからこそ先程の陸の様子は、大和にとってかなり衝撃的だったのだ。
 あの、イノセントの申し子みたいな陸が、一織に対して物凄く生っぽい感情を抱いていることに、感嘆したのだ。
 大事にされすぎて困る。同じぐらい大事にしたいけど、陸から一織への感情には、多分に〝余計〟なものが混じっている。らしい。
 それって多分、まあ、そういうことだろう。
 陸の明瞭でない喋り方も、頬の染まり方も、やけにリアルで見ているこっちが緊張した。
『……なあ、リク。それって――』

 イチに言ってやれよ。顔真っ赤にして、喜ぶよ。

 さっき言いかけた言葉をスマホに打ち出し、陸へ送信しておく。
「さ、行きますか」
 トイレ、とサブマネに言い残しただけで二十分以上姿を消してしまっていた現場へと、早足で戻った。
 勿論、こっぴどく怒られた。
 こんなんばっかだな、俺。


   



■3

 大和から一方が入ったのは、学校を出てすぐのことだった。
 ドラマの撮影中であるはずの男から一体、とメッセージを読んで、頭にクエスチョンマークが乗る。
『今日はミツとソウを連れて飲みに行きます』
 ……はあ。だから何か。
 別段これから打ち合わせの予定があったわけでもなく、今までだって何も言わずに三月や壮五と飲みに行くことは何度もあったろうに。
 わざわざ告げてくることに意図を感じつつも、別にいいかとスマホをしまいかけたところで、今度は環から連絡が入った。
 先程まで同じ教室に居たのに、言い忘れたことでもあったのだろうか。不思議に思ってメッセージを開く。
『いおりんへ。今日はナギっちと映画を観て帰るらしいので、遅くなります。冷蔵庫に入ってる王様プリンはぜってぇ食べないこと!』
 ……。
 …………?
 またもや、どうでも良すぎる報告。それに「観て帰るらしい」とはなんだ。自分の予定ぐらいちゃんと把握しておくべきでは。
 一気に五人が寮から居なくなることが分かり、ふう、とため息をつく。
 二日連続で、静かな夜になりそうだ。
 ――気を張り続けなければいけない夜に、なりそうだ。


 ――と、さっきまでは本気で思っていたのだ。
 まさか帰宅してすぐ、陸に捕まるとは思ってもみなかった。
 捕まる、というのは比喩ではなく、玄関で一織の帰りを待ち構えていた陸に、むんずと腕を捕まれ、そのまま部屋に連れ込まれた。目を白黒させている間に、陸が後ろでに扉を閉めた。
「……え?」
 赤い部屋の真ん中で立ち尽くし、陸を見る。陸はどこか緊張した面持ちで「お、おかえり!」と言った。順序があべこべになっている。
「……ただいま帰りました。で、なんですか、これ?」
「えー……っとね、ちょっとオレの部屋に居てほしくて……。あと10分だけでいいから、ここでゆっくりしててくれない、かな?」
 視線がキョロキョロと動いていて、頬には汗をかいている。明らかに妙だ。完全に怪しい。何か悪さでもして、それを隠そうとしているのではないかと、勘ぐる。
 そもそも、昨日から今朝にかけての陸も、様子がおかしかった。普段なら、一織が強く言えば大体のことは白状する陸が、頑なに「眠れない理由」を教えなかった。
 「内緒話をしよう」だなんて、にわかに喜ばせるようなことを言ったくせに。結局陸が秘密を抱えているのでは、話が違うじゃないか。どこかひねた気分になったのは、言うまでもない。
 よって、今出せる結論は一つ。
「嫌です。自分の部屋に荷物を置いて着替えたいので」
「お、オレの服着ればいいじゃんか!」
「ななななんですかそれ!?」
 そんなこと出来るわけがない。陸の服には陸の匂いが染み付いているわけで、ごくごく最近陸に恋愛感情を自覚した一織からすれば、自殺行為である。
 とんでもない提案をしてくる男に反射でキツく反応して、陸が「ご、ごめん!」と頭を下げた。
「あ、いや……」
 そんなことをさせたいわけじゃない。ここ最近、自分でもどうかと思うほど陸に対してめちゃくちゃな態度を取っている。
 しゅんとした顔を見せられれば「かわいい人だな」と思いっきり口走りそうになるし、クッションに頭を埋めている姿はうさぎにしか見えないし、口を尖らせ上目遣いで語りかけられたら、勘違いしてしまいそうになるし。
 恋は盲目。恋は病。恋は闘い。恋は、恋は……とんでもなく厄介で、邪魔者で、なのにちっとも追い出すことの出来ない隣人。
 陸の頭のつむじが目に入る。それすらも愛おしいと思っている時点で、この闘いは実際のところ、とっくに負けていた。
 だとしても、だ。
 事実、放っておけないこともある。例えば。
「あの、さっきから焦げ臭くないですか?」
「あっ!!」
 ガバッ、と頭を上げた陸の顔が、びっくりするほど青ざめていた。
 その瞬間、何故「部屋から出るな」と言われたのか理解する。
「ま、まさか……」
「ご、ご、ごめん一織、ここで待っててー!!」
 ダッシュで部屋から駆け出した陸の言うことなど聞くわけもなく、バタバタと追いかける。リビングへ向かう扉が開かれると、キッチンの方から明らかな異臭が漂ってきて目眩がした。
「あ、な、た、は~~~~……!!」
「あーっ、ごめんなさいごめんなさい! うまくいくと思ったんだよ~!!」
 一織より先にキッチンに駆け込んだ陸は、プスプスと音を立てていたフライパンを持ち上げ、慌てて火を消した。
 極弱火だったようではあるが、あわや火事騒ぎだ。フライパンの上で息絶えた「何者かになる予定だったもの」を見つめて、陸がしょんぼりとした声をあげる。
「ああ……一織の……くまさんオムライスが……」
「はい?」
 耳を疑うような発言に、思わず聞き返す。陸はどんどんしなしなになって、しゅんと眉を八の字に下げた。
 あ、ちょっと、その顔。
 よくないと思いますけど。
「ほら、一織ってば最近、機嫌悪かったからさあ……。好きなもの一緒に食べれたら、機嫌直してくれるかな~とか、思って……」
「……だからくまさんオムライス?」
「うん……」
 いや、私が好きなのは兄さんが作ってくれるくまさんホットケーキですけど。
 オムライスが好きなのはあなたでは。
 とは、流石に言わないでおく。
 この人の、こういう、大事なところで思いっきり抜けているところが、正直たまらなかったりするので。
 そのことは絶対に教えないし、食材を無駄にしたことは、きちんと反省もしてもらうけれど。
 一気に気が抜けて、肩を落とした陸の横を通り過ぎ、フライパンの前に立った。味見用のスプーンを手に取り、黒焦げのそれをすくい取る。
「え……? ぅえっ!?」
 陸が驚く間に、ぱく、と真っ黒のそれを口に運んだ。
「うっ……、グッ…………」
 一瞬ブラックアウトしかけるほど苦い。有害物質以外の何物でもなかった。くまさんオムライス(そもそもくまさんオムライスってなんだ)の成れの果て。
「うわー! いおりダメだよ! 体に悪いよ―!!」
「っ……そんなものを、作らないで……」
「ごめん、もう絶対作らない! オレが責任持って食べるから……!!」
 半泣きで背中をさすってくる陸は、とてもじゃないが年上とは思えない間抜けさだ。きっと、今日がまたしても二人きりだということを知っていて、機嫌を取るなら今しかないと踏んだのだろう。
 得意でもなんでもない料理に向き合って、失敗して、謝って。
 何をしてるんだろうな、この人は。
「……悪いと思うなら、次は絶対、成功したオムライスを食べさせてくださいよ」
「……うえ? ま、また作っていいの……?」
「っていうか、今すぐ作り直しですよ。仕方ないから、私も手伝います」
「うう、ありがとお……」
 めそ、と瞳をうるつかせた姿を真正面から受け止めるのは難しく、ふいと顔を逸らす。
 普段であれば、一織の露骨な態度にムッとして、「もういいよ!」と怒り出すところを、そうしない。
「……二階堂さんと、グルだったりします?」
「へっ? え、大和さんと? なんで? なにが??」
「……」
 嘘をつく時は露骨に舌が回らなくなる陸が、素直に驚いている。大和の謎の人払いとは関係なさそうだった。
 ……なら、本当に、私の機嫌を取りたかっただけなのか。
 別に、今までも不機嫌だったわけじゃない。むしろその逆だ。
 あなたのことが好きになってしまったので、素直になれませんでした。
 ……言えるわけないけど。
 なんだか気恥ずかしく、無言でオムライスの準備を始める。冷蔵庫から取り出した卵を、ぽちゃん、ぽちゃん、とボウルに割っていった。陸はそれを「おお……」と感心したように眺めていた。いや、あなたも見てないで何かしなさいよ。と言うのは、もう少し後だ。
 三個目を割り終えたところで、固まっていた口をなんとか開いた。
「機嫌が、悪かったんじゃないですよ」
「へ?」
「……どう話せばいいのか、分からなかっただけ」
 ぽちゃん。四個目を割り終えて、何を今更、どんな顔をして、と自責する。
 けれどこの人の、結果大失敗に終わった好意の示し方が、嬉しくないわけがないのだ。それだけは
「な、なんで? いつも普通に話してくれてたじゃん」
「……まあ、はい。私の問題です」
「一織の、問題……」
 核心を突くほどではなくとも、これぐらいは伝えなければフェアじゃない。し、好きな相手にすることではない。今更だけど、このラインは守らないといけないように感じた。陸の真っ直ぐな好意に、絆されたとも言う。
「だからあなたは悪くないし、機嫌を取ろうだなんてしなくていいんですよ」
「オレが嫌になった、とかじゃないの?」
「当たり前でしょう。むしろ、……いえ、その……まあ、悪くないですよ。隣に誰か居るっていうのは」
 危うく口を滑らせかけて誤魔化す。陸を見れば、なんとも形容し難い顔をしていた。
 嬉しいんだか困っているんだか分からないような、かわいい顔。
「な、んですかその顔」
「んー、いろいろ、余計なこと考えてる、顔……」
「はい?」
「だって機嫌取りたかったのは、それこそオレの問題だからさあ〜」
「七瀬さんの問題?」
 一織の問いかけに、そっと一歩近づいてきた陸が声をひそめて言った。
「……あのね、一織。オレ今から、とっておきの内緒話するけど、聞いてくれる?」
「内容によるとしか」
「ちょっと! いいじゃんかいいじゃんか! 言わせてよ!」
「ふっ……、すみません、冗談ですよ。……どうぞ?」
 言わせてと自分から願ったにも拘らず、陸は結局、暫くの間あーだのうーだの言って、やけに顔を赤くさせていた。もじもじそわそわ、そんな効果音が似合う様子は流石にかわいい。ぐっと眉間に皺を寄せて、顔が緩むのを耐えた。
「あ、怖い顔してる! 言う、言いますッ」
「ああいや、これはそういうのじゃ……」

「オレが寝付けなかったの、一織のこと好きだからなんだ!」

 勢いをつけて言われて、頭が真っ白になった。
「……」
「……」
 二人の間に静寂が落ちる。普段はよく回る頭がちっとも働いていないことに気づく。
 寝付きが悪い理由。
 体調やストレスではないと陸は言っていた。
 だからって、そんな答えがあるかと思った。
「なん、……で、いきなり……」
「大失敗オムライス、食べてくれたから」
「そんなこと」
「あと、……オレが一緒に居ても嫌じゃなくて、むしろ、いいことだって思ってくれてるなら、期待するぐらい、好きだって言うぐらい、いいじゃんって……思った!」
 吹っ切れたみたいな言い方をして、あはっ、と首をかしげるように笑う。待って、置いていかないで。
「だからね」
「……」
「一織がオレのこと、大事にしてくれるだけで、もう十分だなーって」
「ちょ、あの」
 話の雲行きが一気に怪しくなり、それから先を絶対に言わせてはいけないと本能で理解する。
 待って。私だって、あなたのことが。
「我慢出来なくなってごめんな。あーでもスッキリした! オレ、これでもう――」
「待ってください!」
 無理やり黙らせるみたいに、有無を言わさず抱きしめる。これが友情の証だとか、親愛の情だけのものだとは思わせないように、ぎゅうううう、と音がするほど強く抱きしめた。苦しいと言われても、離す気はなかった。
 無様だと思う。
 全く、クールでもなんでもない。パーフェクトの自称も形無しだ。
 なりふり構わないって、こういうことを言うのか。ドクドクと早鐘を打つ心臓が、陸のものなのか、一織のものなのか、分からなかった。
 ぴったり隙間なくくっついて、離れないし、離さない。
 硬直していた陸の腕が、ゆるゆると一織の背中に回る。

 伝わった。
 と、思った。

「……七瀬さん」

 意を決して口を開いた瞬間、ガチャ、とリビングの扉が開いた。

「ったくミツのヤツー……、忘れもんぐらい自分で取りに……、行け………、よ、な…………」
「…………」
「…………」

 沈黙。

 ――沈黙。

 破ったのは、大和だった。

「……え、展開早くない? 若すぎるだろ、流石に……?」

 言うに事欠いてそれか。
 最悪のタイミングで現れた大和に絶句したまま何も言えずにいると、一織より一足先に正気に戻った陸が、可哀想なぐらいガチゴチになりながら言った。
「タ、タノシク、アソンデタ、ダケデスヨー!」
 ああもう。びっくりするぐらいヘタクソな嘘。言わないほうがマシなレベルだ。
 またしても大和に口止めをしなければならないのか。
 一織は目眩を覚えながらも、もうどうにでもなれといった気分で、陸に回した腕を離さずにいた。





■それから

 某テレビ局、簡易シアタールームにて。
「ナギっちぃ〜〜なあもう帰ろうぜ〜〜」
「OH……いけませんタマキ。折角、せっっっかくミスターモモが用意してくれたんですよ? 全て拝見しなければオタクがすたります!」
「オレ、オタクじゃねえもん……。これさっきも観たやつじゃんかあ!」
「ノー! ノー!! これはマジカルここなアニメ一期総集編に描き下ろしカットが入った特別版でテレビ放送しかしていなかったため今では観る機会の殆どない貴重な貴重な映像です!!」
「何言ってるか全然わかんねえよ〜〜!!」
 大和からの依頼を快く引き受けたモモの手筈により、数々の歴代レアここな映像を鑑賞するに至った環とナギは、かれこれ三時間近くシアターに籠もっている。環もなんだかんだと言いながら付き合いの良さで観続けているものの、流石に同じような映像の連続で限界を感じていた。ナギから映画鑑賞の誘いなんて珍しいと、ワクワクで足を運んだのにこれだ。
 キラキラと瞳を輝かせ、スクリーンに釘付けになっているナギをぐったりと見つめる。もう勝手に帰ってやろうかな、と諦めかけたところで、ポケットのスマホが鳴った。
「んあ?」
 差出人は大和だ。メッセージを開くと、そこには
『映画鑑賞終了。すぐに家に帰ってくること。これから家族会議の後、パーティーです』
 とあった。
「おお、パーティー!」
「パーティー? パーティーが行われるのですか?」
 流石のナギも興味を示し、大和からのメッセージを見せる。
「カゾクカイギ……?」
「……あ! もしかしたら、誰かがオレのプリン食ったのかもしれねえ。一大事だ!」
 ガバリと立ち上がって、決め顔でナギを見下ろす。
「行くぜ、ナギっち!」
「………ワタシは、もう少し後で……」
「ダメだって! 終了って書いてあんだろー!!」
 とんでもなく名残惜しそうなナギの腕を掴んで、「パーティー、仲間はずれになっちゃっても知んねえぞ……!」と必死に説得する。心を打たれたナギも、重い腰を上げ、すっくと立ち上がった。
「そうですね、タマキ……。必ずや犯人を見つけ出し、パーティーに花を添えましょう!!」
「さっすがナギっち! そーでなくっちゃなー!!」

 かくして二人は大急ぎで全員集合の寮へと帰り――一織と陸の恋愛成就に、持たされたクラッカーを何度も鳴らすのであった。
 ナギは何度目かの祝杯で「もう局に帰って良いですか?」と真顔で言った。「帰る場所はここだろ」と総ツッコミを受けて、やれやれと嬉しそうに肩を竦めたところまでが――実はこの物語の第一幕だったりする。


続きはこれからの人生にて