「……おい、何をしてる」
「ん〜? 蒼を見てる!」
「それだけじゃないだろう。手に持ってるものを寄越せ」
「やだよーだ! これはボクのだもん!」
 伸ばされた手からひらりと身を翻し逃げると、蒼の眉間に力が入り、チッと強く舌打ちをされた。あ、またかわいくない顔してる。鬼火は薄っぺらい電子機器の画面越しに、その姿をパシャリと撮った。
 容姿端麗である蒼は、どんなタイミングでシャッターを下ろしても、ちゃんと様になるから愉快だ。それを知っているのは、恐らくこの街では鬼火だけだった。鬼火は自分が撮った写真をすぐさま見返して、かわいくない顔なのにかっこいいなあ、などと素直に思った。
 その間にも、蒼の腕は伸びてくる。その度に交わして、伸ばされ、交わして。繰り返しだ。もしかすると蒼は今日、暇なのかもしれない。詰所に居座る鬼火を無理やり追い払おうとはしないし、もう四半刻もこの戯れを許している。ひらひらと長い袖を揺らしながら追いかけっこを楽しみつつ、鬼火は素朴な疑問を口にした。
「今日は詰所に蒼だけ? 英や楓はいないの?」
「中央の軍部に呼び出されてる! ……っ、止まれ!」
「あはは! 蒼、もしかして足遅いっ? 軍部ってとこ、行かなくていいの?」
「円や詠、重隊員に留守は任せられないだけだ!」
 ――なるほど?
 確かにその面々は、鬼火や鎌鼬が詰所に忍び込もうと、気にも留めない。詠が人間界から持ち込んだカードゲームを一緒させてもらうことすらあった。蒼が居ない時に限った話なので、これは蒼の知らない話だ。
 バタバタと廊下を走り抜け、石畳へ降りて庭に足を踏み入れる。木造りの腰掛けにぴょいと飛び乗ったものの、すぐさま首根っこを掴まれ、引きずり降ろされてしまった。
 これで、今日の鬼ごっこはおしまい。
 すんなりと諦めて、つい今しがた飛び乗った腰掛けに、何事もなかったかのように座った。
 蒼は鬼火から目を離さないように、少しの距離を保ちながらつっ立っている。隣に座ればいいのに、ツレないなあ。蒼はいつだって、警戒心が強い番犬のようだ。いや、……神経質な猫?
「お前、いつまで居る気だ?」
「みんなが帰ってくるまで!」
「……俺が居るのに、お前を居座らせてたなんて知られてみろ。英隊長からなんと言われるか……」
「知らないよー、そんなこと」
 蒼の話はいつもちぐはぐだ。刀衆たちは、信用してない同士なのに、同じ場所で同じ仕事をしている。その上、立場や体裁もよく気にしていた。
 鬼火であれば、そんな相手と一緒にいる選択はハナからナシだ。その場から自分が消えるか、相手を消すかする。
 そんな簡単なことすら出来ないなんて、人間は妖みたく単純ではないらしい。
妖よりよっぽど余計なことを考え続けているし、怒りっぽいし、何より弱い。そのくせ、いっちょ前に噛み付いてきたりして、なにがなんだか分からない存在だ。
 だから面白いし、好きなんだけど。
 蒼なんてその最たる存在だった。鬼火を毛嫌いしているようでいて、こうして傍にいることを許す時間がある。妖自体を憎んでいる素振りを見せるのに、本気で討伐を企てたりはしない。質問を投げかけると、こうしてちゃんと返してくれたりもするのだ。
 鬼火には〝好き〟と〝嫌い〟しか存在しない。大事なことは全て教えてくれる九尾の狐からも、それ以外の感情については教えられていなかった。九尾の狐が教えないということは、必要ないということだ。その点については素直に従っている。
 だからこそ、人間として生まれなくてよかった、と思うのだ。蒼が持ちうる感情、その全てが、鬼火にとっては処理しきれないものばかりだろうから。
「蒼って大変なんだねぇ」
「……」
 この言葉に労いの意味は含まれていなかったが、蒼は勝手にその言葉を解釈したらしく、眉間の力をわずかばかり緩めた。それを受け、今度は鬼火が「うん?」と眉を少し寄せる番だ。
 なんで蒼、ちょっと嬉しそうなんだろう。分かんないなあ。――まぁ、いっか。蒼のこういうところが、面白いのだ。蒼と居ると飽きないし、楽しいし、心がぽかぽかする。怒られてばかりなのに、嫌いになるどころか、好きだなと実感し続けていた。
 蒼は、いつでもどこでも遊べるオモチャではない。思い通りになんて絶対にならない。それなのに、こんなに「好き」だと思える存在は珍しかった。
 もう一度、スマホを掲げてカメラを起動し、シャッターを下ろす。少し油断していたらしい蒼が、ハッとしてから、大股で近づいてきた。
「おい! いい加減に……!」
「いいじゃん、減るもんじゃないんだし」
 ひょいと立ち上がり、蒼から距離を取る。ギリギリのところでスマホは奪われずに済んだ。忌々しげな顔もパシャリ。
 蒼、撮り放題だなぁ。こんなに隙があって、大丈夫かな?
「あ、ボクの写真も送ってあげる! 鎌鼬が撮ってくれた、とっておきのがあるんだ!」
「はあ? どこぞの下級妖怪の写真なんて要るか!」
 間髪入れず断られて、鬼火の頭にガーン! と大きな文字が落ちた。
「やっぱり蒼なんて嫌いだー!」
 と反射的に言い放ち、
「……やっぱウソ!」
 とすぐに訂正した。
 口にして分かる。嫌いなんて、あり得ない。
 鬼火のちょっとした暴言に、蒼はなんのダメージも食らってなさそうで、それは少し悔しかったけど。

 半刻が過ぎたところで、とうとう詰所を追い出された。
 けれどそれは、蒼の元に「あと少しで英と楓が戻る」と連絡が入ったからであって、それが無ければもっと遊べたかもしれない。
 そう思うと面白くなく、あーあ、と下駄で砂利を蹴った。鎌鼬は他の妖と昼から飲んでいて、九尾の狐は話を聞いてくれこそすれ、遊んでくれることはない。
 それに、最近人間と遊びすぎている鬼火は、他の妖たちから少しやっかまれていて、遊び相手が減っていた。だからこそ、蒼は鬼火の相手をもっと沢山すべきだ。
 そう言ったら、蒼はきっと難しい言葉を沢山使って、ボクにお説教をするんだろうな。
 くふふと喉が鳴って、手元のスマホの画面に人差し指をあて、すいすいと左右に動かした。カメラロールには蒼の百面相が沢山収められている。
「ボク、写真撮るのうっまいなあ!」
 にぱにぱと笑顔で自画自賛する。このスマホなるものは、鬼火が汗水たらして働いたお金で買った宝物だった。烏天狗――の助手である詠――のところでせっせとお手伝いをして貯めたお金で、烏天狗から買ったスマートフォン。使い方は詠からみっちり仕込まれたので、完璧に覚えている。
 誰かと喋ったりだとか、調べものは出来ないが、文字を打ったり、写真を撮ることはいくらでも出来るらしい。灯影街で売っているカメラは馬鹿みたいに大きく、両手で持っても腕が震えるほど重い。何より値段が法外だ。その10分の1以下の値段で買えるなんて、奇跡みたいだった。
 九尾の狐や鎌鼬の姿も沢山写してはいるけれど、鬼火は誰よりも蒼をよく撮っている。英や楓は表情の変化に乏しいし、円も実は結構クール。重は詰所に全然居ないし、詠は葛ノ葉で頻繁に会える。だから、最優先はやっぱり蒼だ。
 実は誰よりも色とりどりの表情を見せてくれる蒼は、鬼火にとって最高の被写体だった。
 しかし、そこではたと気付く。
「大変だよ蒼〜! ボクたち、一緒に写ってる写真が全然ない!」
 と、告げることが出来たのは気づいてから一週間は経った頃だ。
 人間界に戻っていた蒼は、灯影街を長いこと留守にしていた。毎日詰所に通っては、英に「出ていけ」とすげなく返され、しょんぼりしながら街に帰っていたのだ。
 そして今日、詰所に向かう途中の道で、見回りをしている蒼にばったり出くわしたのだった。蒼は鬼火を見るなり眉間に皺を寄せたけれど、それすら懐かしく感じられ、正面から飛びつく。しっかりと受け止められた上で、思いっきり引き剥がされた。
 なんだよ、ちゃーんと受け止めたくせにさぁ。
 口を尖らせはしたものの、そんなことより、と先日気づいたことを口早に告げたのだった。
 一緒に写ってる写真が、全然無い。これはとかく、由々しき事態だ。
「……だから?」
「一緒に撮ろう!?」
「断る」
「えー! なんで!? どうして!?」
「うるさい。逆に俺が聞きたい。どうして妖怪風情と写真なんか撮らなきゃいけないんだ」
 鬱陶しいの極み、みたいな顔で吐き捨てられた言葉は、本心かどうか読めなかった。鬼火はいっさい気にせず、すたすたと鬼火の横を通り過ぎるように歩き始めた蒼を追いかける。ぴょいぴょいと軽く跳ねるように、蒼の顔を無理やり覗き込んでも、蒼は鬼火に一切視線を寄越さなかった。
 その頑なさが妙にかわいいことを、蒼は知らないのだ。
「写真ってさ、思い出になるんでしょ?」
「お前との思い出なんて、要らない」
「え?」
 鬼火がピタリと立ち止まったのに釣られるように、蒼も数歩先で立ち止まった。くるりと振り返った蒼の、青みがかった美しいグレーの瞳が一瞬揺れて、鬼火の夕陽色に映った。

 ――その揺らぎは、蒼の弱さだ。つっけんどんな態度を取るくせ、自分の過失を自分で認めてしまう。その上、鬼火を慮るように、立ち止まってしまうのだ。
 とはいえ。
 鬼火はあくまで下級妖怪の一種であり、その揺らぎの意味など、理解できない。だから何を言われても、寂しくは思えど傷つきはしなかった。
 若い刀衆が一人と下級妖怪が一匹。理解しあえないことを、理解出来ないでいる。

 いつの間にか、灯ともし頃だった。
 空が橙から濃紺へと姿を変えていく。普段から人気のまばらな路地に、今は蒼と鬼火、二人きりだった。向かい合い、見つめ合う。鬼火は軽い口調で続けた。
「ん〜……違うよ? 蒼のための思い出じゃなくて、ボクのための思い出の話をしてるの」
「なんでお前が、……そんなもの。必要ないだろう」
 言外に、妖怪のくせに、と聞こえた。
「ええ?」
 蒼の問いかけに、素直に驚く。
 だって〝それ〟は、九尾の狐から、大昔に教えられたことだった。灯影街に人間の姿で顕現して、本当にすぐ。まだ自我の芽生えすら朧気な頃だ。
 ――私たちの見た目は人間にほど近いが、妖であることに変わりはない。彼らと私たちは、生きる時間があまりに違うよ。人間なんて、まばたきをしている間に死んでしまう、儚く、寂しい生き物だ。だから、食べてはいけない。脅かしても可哀想。せめて、驚かすぐらいにしておやり――
 九尾の狐の声は慈愛に満ちていた。全く、人間を相手にしていないと言ってるようなものだ。
 そして鬼火は、九尾の狐から教えられたことしか知らない。

「だって蒼、ボクより先に死んじゃうんでしょ?」

 ざあっ、と風が吹いた。
 蒼は立ち尽くしていて、いつもの小言が聞こえない。鬼火はその様子を不思議に思いながらも、思ったことをそのまま口にしていく。
「だったら、写真はいっぱいあった方がいいよ。蒼の色んな顔、ずっと覚えてたたいもん! ボクも一緒に写っておいたら、あの時だ! ってもっと分かりやすくなるし……」
「……」
「それに、スマホに妖力を与え続けてるとね、ボクぐらいの妖力でも壊れなくなっていくんだって。そしたら、百年後も、二百年後も、写真を見返して、蒼を忘れないでいられるよ!」
 凄いでしょ、とピースサインをして笑う。
 その瞬間、蒼の瞳が強く揺れ、閉じていた口が小さく開かれた。
「そこまで、俺を覚えていたいことに理由はあるのか?」
「なにそれ! 蒼はボクに忘れられたいのっ?」
「質問しているのは俺だ」
「ええー? そんなの、好きだからに決まってんじゃん」
 臆面もなく答えると、蒼の拳がきゅっと握られたのが分かる。鬼火にはその機微が理解出来なかった。
 蒼が居なくなってしまうのは、寂しい。そしてきっと、凄く哀しいことだ。けれど、大好きな蒼をずっと覚えていられるならば、それは素晴らしいことだと思う。
 同じことを九尾の狐に言った時は、ちっともいい顔をしてくれなかったけれど。スマホを取り上げられなかったということは、好きにしな、と許されたのだと理解していた。
「本当はさ、どうにかして一緒に生きてて欲しいなあって思うけど。でも、そんなの無理だもん。九尾の狐の力を借りたら、出来るかもしれないけど……」
「死んでもごめんだ」
「ほらぁ! だから、ボクはボクに出来ることで、蒼のことを一生覚えてよーって思うんだよ。大好きだから!」
 言いながら、両腕を広げ、踊るようにくるりと回った。そろそろ葛ノ葉に帰って、九尾の狐の手伝いをしなければならない。と言っても、本人は何もしないので、飲み終えた鎌鼬がラーメンを作り、鬼火が洗い物をする。本当は蒼にも食べに来て欲しかったけれど、何十回と断られた過去があるため、既に誘うことはしなくなっていた。
 写真は、また明日でいっか。蒼は帰ってきたんだし。
 そう思って、「じゃあね」と口にしようとした瞬間、蒼の手が鬼火の腕を掴んだ。
「えっ?」
 驚いて振り返ると、蒼が、なんとも言えない顔をしている。眉を寄せているのはいつものことで、でも目元に剣呑さはない。揺れる瞳の奥には、不思議そうな顔をする鬼火がしっかりと映り込んでいた。唇は真一文字に引き結ばれているのに、きつい顔立ちになっていないせいで、ちぐはぐに見えた。
「……蒼?」
 思わず問いかける。腕に込められた力がいっそう強くなって痛いぐらいだ。追いかけっこの時だって、こんな風にされたことはなかった。

 まるで、どこにも行くな、とでも言われているかのような。

 しばらく、沈黙が続いた。普段から人気のまばらな路地に、今は蒼と鬼火、二人きりだ。灯ともし頃は終わり、夜が始まろうとしている。
 口火を切ったのは蒼だった。
「写真」
「え?」
「写真、撮るんじゃないのか」
 どこか切羽詰まった声色を、不思議に思う。そしてどうしてか、胸の奥がドクリと脈打ったような気がした。
「うん、撮る……」
 本当は、もっと言いたいことがあった。忘れられたくなくなっちゃった? いきなり焦ってどうしたの? ボクの思い出になってくれるんだ。
 その全部が、どうしてか喉につっかえて、吐き出せない。
 ドク、ドク、と知らないリズムで打たれる鼓動が、不可解で、でも嫌ではなかった。
 蒼がゆっくりと鬼火の隣に立つ。スマホを持つ手を出来るだけぐんと腕を伸ばしてインカメラにしてみるも、初めて使うせいで全く勝手が分からない。シャッターボタンに指は届かないし、なんだか妙に緊張しているしで、あわあわしてしまう。
 蒼がため息をつき、「貸せ」と鬼火の手からスマホを奪う。それからすぐ、小さな式神がスマホを持ち上げ、ふわりと浮いた。その様子に、思わず吹き出す。
「大事な式神、こんなことに使っていいの?」
「お前に任せると朝になる」
「そんなことないよー!」
 いいから、と肩をぐっと寄せられて、いよいよ驚く。目を見開いた瞬間、パシャリとシャッターが下ろされた。
「え! ウソ、今撮ったっ?」
「ああ、お前の間抜け面をな」
「待って! も、もう一回! もう一回撮ろ!?」
「これっきりだ。そもそも俺は任務中だぞ」
 すげなく返されて、蒼はすっかりいつもの空気に戻ってしまっている。
 置いてかないでよ、ボク、まだドキドキしてるのに。
 式神が鬼火の頭にスマホを乗せ、蒼のもとに帰っていく。蒼は今度こそ、鬼火を置いて歩き出した。もう追いかけることは出来ない。鬼火にだって、葛ノ葉のお手伝いという立派な任務があるのだ。
 胸の奥が、うるさい。心臓ってやつだ。動いたり、怖がったり、驚いたり、焦ったり。それ以外で、こんな動き方をすることを初めて知った。
 鬼火は頭の上のスマホを押さえながら、遠ざかる蒼の背中に声をかける。
「蒼、ありがとー!」
 蒼は振り返ることも、立ち止まることもしない。けれど、その姿が見えなくなるまでは、ずっと「ありがとう」と繰り返した。

 また撮ろうね、って言いたいのに。
 やけにドキドキして、なんでか言えなかった。



  *


「後生大事に持つには、いくらなんでも間抜けすぎやしないか」
「でもでも、蒼はすっごいかっこいいでしょ!?」
「……ま、悪くはないね」
 と、九尾の狐が古びたスマホを眺めて言う。鬼火はあの頃と全く変わらぬ姿でこくりと頷き、
「これがね、一番、いっちばん嬉しい思い出だよ」
 と静かに笑った。

 それは、蒼を想うことでしか、見せない笑顔だった。


共白髪にはなれずとも