差し伸べるのではなく、奪う為に腕を伸ばした。
痩せ細った、胡乱な瞳をした子供は、やすやすと片手で持ち上げられる。
脇に抱えては走り辛く、両腕で抱きかかえると、頭の後ろからやけに落ち着いた声で問いかけられた。
「キミは、人攫い?」
「この状況で、それ以外に何があるんだ」
「……救世主?」
少し、面食らう。それから、「惜しいな」と返した。
「英雄だ」
ゴウトという大国の。
そして、今からは、お前の。
*
子供の名前はクオンと言った。
齢十五ほど、正確な年齢は知らないらしい。たかだか十違うだけで、ここまで幼く見えるのは、分かりやすく栄養失調の気があったからだ。
ナーヴという大国で考案された、対人型呪術。心的負荷を与えることで、人工的に厄災を引き起こすことの出来る、最悪にして最強の兵器。
その名を天子と言う。
どれだけ幼く見えようと、全身から漂う神聖さは、民間人や、あるいは王である自分とも、明らかに違った。
自国へと戻った俺は、自室にこの天子・クオンを匿うことにした。自分の手の届く範囲に居る方が余程守りやすいことを知っている。この国で、いや、世界で〝最強〟の名に最も相応しいのは、自分だという自負があった。
ひとまず調理人を手配して、栄養食を作らせることにする。クオンが身に付けていた礼服は金額にしたら土地が二つは買える代物だった。しかしこんなに痩せていては、せっかくの服も見栄えしない。すぐに浴場へ連れていき、軍の支給品である隊服に着替えさせた。
敵国の王、直々にお前は攫われたのだ。と言ってみても「そうみたいだね」と返されただけで、不自然なほどに感情が凪いでいる。瞳は昏く、生気は殆ど感じられない。
それが、クオンの持つ呪いに起因していることは、明らかだった。――なるほど、この歳にして、感情を完璧に抑制している。癖になっているのかもしれなかった。
巨大な円卓を挟み、対角線上に座るクオンに声をかける。
「今から俺は、お前を太らせようと思う。何か食べれないものはあるか」
「……分からない」
「……? なら、好きな食べ物は」
「知らない」
「自分の好き嫌いを把握していないのか? 遠慮なら……」
「毎日。同じものしか食べさせられていなかったから、好き嫌いを語れるほど、食材や、料理のことを知らないんだ」
「……、な」
「ああ、でも、本だけは読ませてもらってたか。名称は知っていても、それが具体的にどんな形で、どんな味かは、知らない。と言った方が、正しいかな」
当たり前のように語られる最低の現実に、本気で目眩がした。隣で聞いていたコノエの表情が、途端に険しくなる。
人一倍人情厚く、それ故にお人好しな男だ。クオンが、生きる為の最低限の施しか受けていなかったことが窺え、俺と同じく不快に思ったに違いない。
この男の、こういうところを、気に入っている。心が無ければ、正しく戦うことが出来ないから。
ナーヴ国の天子誘拐にいち早く賛同したのも、他ならぬコノエだった。
唐突に、くるくると袖をまくったコノエが、腕を回すジェスチャーを入れながら、わざとらしいぐらい声を張った。
「そんなら、俺が腕によりをかけて、飯作るッスよ!」
「調理人の邪魔にならないようにな」
「ちょっとカバネ様、なんてこと言うんスか! なんなら誰よりも上手く作れる自信あるッスよ!?」
「ふ、そうだな。お前の飯はいつも美味い。今日も、期待してる」
「任せてくださいッス!」
コノエが厨房へと向かったことで、この部屋には、クオンと俺の二人だけが残された。料理が完成するには、暫くかかる。それまで寝かせておくべきだと考え、数歩でクオンに近づくと、脇と膝の下に腕を通して持ち上げた。
「わ、」
「……この倍は重くなってもらわなきゃ困るな」
「そんなに、早死したいの? そんな風に見えないのに」
「呪いの話か? 死ぬ気なんてさらさら無い。重さを知りたかっただけだ。降ろすのも面倒だし、このまま運ぶ」
「どこへ?」
「ベッド」
ほんの少し、面食らったのが分かる。殆ど変化のなかった表情に色がついただけ良いとしよう。
「まだ眠くないよ」
「それでも寝るんだ。子供は、寝るのも仕事のうちだぞ」
「……キミと、そんなに変わらないように見えるんだけど」
反抗的な態度に、上出来だ、と笑う。
これぐらいのふてぶてしさが、丁度いい。これから、お前はこの国で、ゴウトの人間として生きていくのだ。強くなってもらわなければ、困る。助ける為にも。救う為にも。
ただの囚われの姫を、攫ったつもりはないのだから。
――人型呪術兵器は、触れているだけで対象者を蝕んでいくと言う。症状は軽度のもので喀血。最悪の場合、内蔵が破壊され、死に至るらしい。
ただし、天子の心的負荷に比例するため、今の時点で俺やコノエが重症になる可能性は低いとのことだった。
とはいえ、距離が近ければ近いほど、確実に蝕まれる。止める方法は無く、故にあまり近づかず、触らないで欲しい。そう言われたのが、約二時間ほど前の話だ。
そしてそれを拒否したのも、二時間ほど前の話だった。
既に交渉は決裂し、終わった話だ。
天窓付きのベッドにクオンの身体を下ろし、羽毛をかけようとしたところで、くああ、とあくびが出た。天子誘拐計画の為に、ここ一ヶ月ほぼ不休で働いていたツケが、この瞬間、ドッと押し寄せてきた。
「……眠い」
「なら、一人でこのベッドを使って、ゆっくり休むといいよ。僕は、さっきの場所に戻ってコノエを待つから」
身を起こそうとするクオンを手で制し、肩を押して元の姿勢に戻す。冗談みたく操りやすい身体。動きを御すことなど、赤子の手をひねるより簡単だ。
天子という存在の儚さのようなものに、嫌気がさす。
先程は倍と言ったが、三倍は太らせたいところだ。
「どうせ少しの時間だ。ここで一緒に寝ろ」
「……キミは確かに、この国のどんな人間よりも、強靭な覇気があるよ。でも、だからといって――」
「ここは誰が統べる国で、ここは誰の部屋だ?」
「……キミの国で、キミの部屋」
「どっちに主導権があるか、分からないほど愚かじゃないだろ」
その一言に、クオンは観念したらしい。どこか強張っていた身体からふっと力が抜けて、ごろりと横向きに寝返りを打つ。その姿勢に合わせるように、俺も片肘を立て、頬杖をついた。
「そもそも、俺の名前は〝キミ〟じゃない。まさか忘れてるわけじゃないだろうな」
「カバネ」
「様をつけてもいい」
「カバネ?」
「……好きにしろ」
返事の代わりに、クオンの瞼が下りる。それから、もう一度静かに開かれた。
「カバネ、有難う。僕を攫ってくれて」
その言葉に、自然と眉根が寄った。
「分かっているよ。キミは、〝天子〟という存在そのものを、許せないんだよね。人型呪術兵器という、それそのものが」
「……ああ」
「天子が僕でなくとも、同じように助け出し、同じように施しただろう。キミの、正義に基づいて」
「……そうだな」
「でもね、カバネ。それでも、天子は、僕だったんだ」
クオンの瞳に、じんわりと膜が張る。部屋中の光を集めて、その膜はきらきらと輝いているように見えた。
生気が宿った双眸は、深く、静かに燃えるような色をして、ゆらめき始める。――その瞬間やっと、クオンが生身の人間であると、正しく受け入れることが出来た。
「僕は確かに、キミに攫われた。でも、攫われるという、運命を選び取ったってことなんだ。カバネが僕を選んだんじゃなくて――……僕が、カバネを選んだんだよ」
一定の幅にしか開かなかった口元が、ふわりと緩んだ。
花の咲くような笑顔に、目を奪われながらも、安堵する。
視線はしっかり合わせたまま、目元にかかる長い前髪を一房、そっとよけてやった。
「お前は、無駄に言葉が多い。もっと簡潔に言えないのか」
「あれ、分からなかった?」
「まさか。俺を誰だと思ってるんだ?」
「カバネ!」
そう。ゴウトの国王であり、お前を攫った誘拐犯であり、お前を助ける、英雄だ。
かけそこねていた羽毛を足元から引き上げて、二人、同じベッドの中で眠る。たかだか十分かそこらの、仮眠にも満たない時間。
俺たちは同じ夢を見た。
老いて、共に死ぬ夢を。
それが、気が遠くなるほど遙か先の話で――しかし、必ず叶う夢とは、まだ知らずに。