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 この人に仕える為に生まれてきたのだ。

 地面に腰をつけ、片膝を立ててそこに頭を置いている王の姿を見る。
 寝息ひとつ立てない姿は当然で、眠っていないからだ。自分が傍にいるのだからもっと安心して欲しいと願う反面、そこに甘んじることのない姿に惚れ込んでもいる。
 戦場に出る時はいつだって王――カバネ様が先頭に立っていた。
 この場に於いて彼に勝てるものはおらず、戦闘民族である黒縄夜行も例外ではなかった。
 振るう剣先で体が二つに割け首が飛ぶ。真後ろから心臓を目掛け背中を貫く。頭の骨を容赦なく砕くこともあった。
 返り血を浴び、全身を真っ赤に染めながら戦い抜く姿は鬼神そのもの。
 その背中を見ていた。ずっと。右腕になることを夢見て、ただの一般兵からのし上がったのだ。
 何人殺したかは分からない。
 かといって戦果を上げるだけでは意味がなく、最も重視されるのはゴウトという国への貢献と忠誠、そして――民をどれだけ愛せるかだった。

 先代の王が亡くなって、王子だったカバネ様が王位を継承されたのは十二の齢だった。自分より三つも年下の子供が、王になる。国葬を終えてから聞かされた事実には驚かされ、同時に不安にもなった。ゴウトは大国が故に他国からの侵攻に常に脅かされており、戦は耐えない。前王は自身で剣を振るわない代わりに、戦略にも戦術にも長けている人間だった。
 十二歳の子供に、何が出来るんだろう。周りにいる大人が、どうにかしてくれるのかな。
 けれどそんな心配は杞憂にすらならず、たった一ヶ月後にカバネ様は国外へ足を向け外交を重ね、それから更に一ヶ月後には『若き鬼神』の名をほしいままにしていた。
 初めてその姿を見たのは祝祭の日。真紅の天鵞絨で幼い体を隠し、演説台の真ん中で、まだ幼さの残る声で彼は言った。

「私がゴウトの王、カバネだ。……君たちにずっと、会いたかった」

 どこかあどけない微笑み。その時沸き起こった興奮、そして喝采を、私は生涯忘れないだろう。

 そして当たり前のように思った。
 私は、この人に仕える為に生まれてきたのだ、と。


  ✧✧✧


 長期間の視察を終えてゴウトへと帰還した夜、カバネ様に声をかけられ城下町へと繰り出した。
 お互い国民に顔を知られ過ぎているので、店は貸し切り状態にしてもらった。木製のテーブルに所狭しと並べられた料理は、王と近侍の帰りを祝う意味合いが込められていて心が温まる。店主と少しばかり話をしてから、二人きりの空間でカバネ様は静かに口を開いた。
「ナーヴは何を隠していると思う」
 ナーヴ。教皇によって統治される極小国家が、最近一つの国を滅ぼしたと、まことしやかに噂されている。
 独自の宗教観を持ち、他国との交流を一切持たない未開・未明の国。一切の軍事力を持たないとされ、今の今まで戦争に加担すらしていなかった。今回の長期視察は、ナーヴに殲滅させられた国の調査だった。
「……確かに、あの場には『国』があった筈なんだ。まだ王子だった頃、何度か訪問もしていた」
「はい。でも、無くなった」
「ああも完璧に、一掃出来るものなのか。……人の力で」
 二人の間に沈黙が落ちる。無理もなかった。
 そこに在ったとされる国は、消し炭のように消えてなくなっていた。隕石が落ちたわけでも、爆弾が落とされたわけでもない。そのような形跡すらなく、ただ、そこかしこに死体が転がっているだけだった。
 全てを確認したわけではないが、市街地から居住区から、皆一様に血反吐を吐いて目を剥いて転がっていて、死体は既に腐敗が始まっていた。
 住む人間のいなくなった土地は、即座に荒廃する。野盗が忍び込んだ形跡も見られ、既にそこは国として機能していなくなっていた。まさしく、殲滅だ。
 戦争とはまた違う地獄絵図。喉元を掻き毟るような傷跡を残したおびただしい数の死体が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
「……生物兵器の使用も考えられるかと」
「なるほどな。全員同じ死に方をするように、遺伝子にでも組み込むのか?」
「それは……、…………」
 私が答えを持ち合わせないことを知りながら、問いかけてくるのは珍しかった。それほどに苛立ち、余裕がないのだ。無理もない。だってあの死に様は、あまりに得体が知れないから。
 目を剥き、首を掻き毟り、苦悶の表情を残したまま絶命したであろう死体の山。それだけ〝即死〟ではなかったことが窺え、気が滅入る。
「大規模な洗脳の可能性もあるな」
「洗脳……」
 ありえなくはないが、他国が他国の国民――国王すら巻き込み、自殺へ追い込むほどの精度で洗脳出来るものなのだろうか。
「……或いは」
 温度の低い声。唸るような、自責を感じさせる音だ。あなたは何も悪くないのだと、伝えたくなるような。
「或いは?」
「呪い」
 視線が交わり、昏い瞳にゾッとした。
「……カバネ様。お言葉ですが、……あまりに、非科学的では」
「そうだな。……すまない、忘れてくれ」
「いえ、そんな、……。…………」
 もし、彼の言う通り呪いだったとして。
 それは誰にも止められないものだ。どれだけ軍事力のある国だろうと、目に見えないものは防ぐことも奪うことも出来ない。
「……そうでないことを、祈ります」
「ああ」
 手のひらにじんわりと、嫌な汗が滲む。脳内でリフレインする『呪い』の一言を押し流すように、ウイスキーを口へ運ぶ。
 非科学的、迷信、おとぎ話。そう言って一笑に付すことが、出来

 ――もし、その呪いが、ゴウトにも降りかかることがあったら。
 恨んでも恨みきれないだろうと思った。




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 僕が人並み、いや人並み以上に言葉を知っていたのは、本を与えられていたからだった。生まれてから先まともな教育を受けさせてもらえない代わりに、侍女が秘密で本を読み聞かせしてくれていたのだ。
 一人である程度読めるようになってからは、ありったけの本を持ってきてもらうようにしていた。早く読めば、次の本にありつける。本の虫になるのに時間はかからなかった。
 僕の育ての親にあたるらしい枢機卿や教皇は、確実に気づいていたが何も言わなかった。
 ベッドとテーブル以外何もない純白の部屋で『何もしないをする』と約束させられていた僕にとって、どこの誰とも知らない人々が描く物語はあまりに魅力的だった。
 この作者は、実際にこんな冒険をしたことがあるのだろうか。こんな料理を食べたことが? 動物と話したことがあるなんてすごい。海にはおおきなおおきな鯨という生き物がいて、その生き物の腹の中には人間の住処があるらしい。
 何が真実で、何が空想か。その判別がつかない僕は、物語をフィクションとして捉えることは不可能だった。結果、描かれるファンタジーの殆どを真実だと信じていた。
 この世には毒林檎があり、美女を眠らせる毒針があり、喋る鏡も喋る猫もいる。いつかこの部屋を、城を、出る機会があったとして。出会えたらいいなと空想していた。
 いっとうお気に入りの物語は、若き王様が貧しい民たちのために一人旅立ち、出会いと別れを繰り返しながら、宝の地図が指し示す場所へとたどり着く話だった。
 強くて、勇ましくて、優しくて、頑固で、美しい。そんな英雄が国民を救う物語は、僕の胸を強く打った。
 僕にもこんな人が現れてくれたなら。
 きっと世界は変わる。


  ✧✧✧


「あれ、これは……」
 ゴウトに一冊だけ持ち込んでいた書物を見つけたのは偶然だった。
 僕にかかった呪いを解呪・解明する為に、カバネは最近別室で資料とにらめっこを続けている。そのカバネに、別の資料を書庫から取って来て欲しいと頼まれたのだった。
 僕の体に宿る呪いは、僕に近づくもの、精神に負荷をかけるものを死に至らしめる。周りの人間が呪いの影響を受けることを避ける為、僕は出来る限り一人で行動していた。
 けれど一定の距離を置いて、常にカバネ或いはコノエが僕の傍にいてくれる。僕に何かあった時、影響を受けるのは身近にいる人間だけには留まらないからだ。
「どうかしましたか?」
 コノエの問いかけが、少し離れた場所から聞こえる。僕は首を振って、「大したものじゃないよ」と応えた。
「僕のお気に入りの本。君たちが僕を攫ってくれた時、この一冊だけは手放せなくて持ってきてしまったんだけど……。失くしたんだとばっかり」
 振り返りざま、古ぼけた布張りの表紙に銀の刺繍が入ったそれを見せれば、コノエは得心して頷いた。
「ああ、そちらの本ですか。カバネ様がやけに大事そうに書庫にしまい込むので、ワケアリなんだろうなとは思っていました」
「えっ、カバネが?」
「はい。ちゃんと片付けたことを持ち主に伝えていないのは、いささか困りものですけどね」
 眉を下げて微笑むコノエからは、カバネへの愛情が伝わってくる。僕も釣られるように笑って、「本当にね」と答えた。
「でも、もうこの本は必要ないかな」
「……? 何故です? せっかく見つけたんですし、自室へ持ち帰られては?」
 コノエの言い分は最もで、けれど僕はゆっくりと首を横に振った。
「この本はね、ある英雄の物語が記されてるんだ。勇敢で美しい英雄が貧しい民を、国を救う話。……僕は、物語以上の現実を、もう知っているから」
 そうして思い浮かべるのは当然、カバネのことだった。数ヶ月前、僕をあの白い部屋から攫った人。
 世界を変えてくれた人。
「物語の中でしか生きられなかった僕に、現実の世界を教えてくれたのはカバネだ。僕はね、土があんなに柔らかいものだとこの年になるまで知らなかった。料理に、たくさんの味があることも」
「…………クオン様」
「様、なんて言わないで。僕だって君のことを、コノエさん、って呼ばなきゃいけない気がしてくる」
 そう言って微笑めば、コノエはまたしても眉を下げて笑った。初めて会った時は、カバネもコノエもどこか冷たく粗野な印象があったが、口を開いた瞬間、そんな印象はどこかへ消えてしまった。
 特にコノエは、穏やかで優しく、博識で料理上手だ。僕が知らないことをなんでも教えてくれ、作る料理の美味しさに震えた。
 カバネは口数が多い方ではないものの、夜、僕が眠りにつくまでずっと傍にいてくれる。
 本人曰く、
「寂しくなって泣かれちゃ困る」
 ――ずっと独りだった僕に、そんな心配をする必要は無いのにね。
 むしろ、当たり前だった孤独が失われることが、いつか恐ろしくなるのかもしれない。そう思うのに、カバネを追い出すようなことは絶対に出来なかった。
 だって嬉しいのだ。
 コノエがこうして、僕と会話をしてくれることも。カバネが眠るまで見守ってくれることも。
 まるで僕を〝人間〟のように扱ってくれる人たちに、出会えたことが。


 それでも僕はちゃんと呪いだった。
 何も、呪術兵器としての側面だけを言っているわけじゃない。
 存在するだけで、誰かを不幸にする。そういう人間だったのだ。僕は。


  ✧✧✧


 世界は変わった。



<続く>

けもの道