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 ユキさんが笑ってくれるだけで、嬉しい。
 その気持ちは、正しくオレの中にある。なのに笑顔で「有難う」と言われて、うまく返事が出来なかった。。
 信じ難いことに、たかだか他人の気配一つで、怖いぐらい動揺していることに、そこでやっと気づいたのだ。
 こんなこと、一番最初に慣れるべきことだろう。ユキさんが誰を好きで、誰と付き合って、誰と――なんて、これから何度だって知る機会はあるはずだ。手伝いをしていた時にも、修羅場は何度も目撃していた。それと、何が違う?
 ――……もしかして。
 自分が傍に居る間は、そんなことは起こらないって、思ってたのか?
 そこまで思い当たった瞬間、ぶわっと顔が熱を持った。どうしたの、と少し驚いたような声が聞こえて、次いでユキさんの指がそこに触れた。瞬間、大げさなほど肩が震える。指はすぐに離れ、二人の間に、不自然な沈黙が落ちた。
 自分の心臓の音が、耳の中でうるさく響いている。
 違うんです。ごめんなさい。オレが悪いんです。ユキさんは、こんなオレを心配してくれるけど、心配してもらえるようなこと、ないんです。
 そう伝えたいのに、口がうまく回らなかった。金魚のようはくはくと唇を上下させるだけで、音にまではならない。
 向かい合って座っていたオレとユキさんは、改まるように、視線の位置を合わせた。自然と呼吸が揃ってしまうのは、ダンスレッスンの賜物だろうか? 
 ユキさんの表情は不安げに曇り、物言いたげだ。
 もしかすると、オレの浅ましさに、気づいてしまったのかもしれない。それは、凄く嫌だな。香水の匂い一つで、〝普段通り〟が出来なくなるほど狼狽えて、自分が最優先されていると勘違いをして――それが「いい子」なわけがない。
 完全に失敗してしまったオレは、この空気をどう修復すればいいのか見当もつかなかった。何でもない風を装うにはもう遅く、かといって真実を語れるような度胸もない。そもそも、オレに、ユキさんの行動を制限するような資格は、ないのだ。視線が逸らせない代わりに、唇はぎゅっと引き結んだ。余計なことを言いたくない。これ以上、困らせたくもない。
 ――この時「教えて」と言えれば。
 ――あるいは「訊いて」と言ってくれれば。
 こんなに遠回りすることはなかったのにね、と。
 笑い会えるのは、ずっと先の話。
 けれど、必ず訪れる未来の話だ。